エスケープ!!

 思わず僕は叫ぶ。


「矢上っ!? なんでお前グラウンドで練習していないんだよ!」

「え、ああ。それはだな」


 僕の反応を見た矢上は、パッといつものクールな表情に戻り、淡々と説明してくれた。


「そこで練習してんのは3年と2年。俺ら1年は外周してたの。それで今戻って来たとこなんだけどさ」


 そこまで言うと、矢上は目を細めて僕ら2人を交互にじっくりと眺めだした。


 そして口を開く。


「……なんでお前ら2人でいるの?」

「そ、それはだな」


 うーん。しまった。僕の計画では遠目から矢上を見るだけ見て、さっさと帰るつもりだったのだ。


 だから矢上とこんな至近距離で話すとは思っていなくて、どうやって華村のことを説明しようか、などということは全く考えていなかったのだ。これはヒジョーに困った。


 ……と、僕が言葉に詰まっていると、意外なことに華村が口を開いたのだった。


「隊長です」

「え?」

「ん?」


 僕と矢上は同時に華村の方を向く。


「相馬君が隊長だからです」


 それを聞いた矢上はまた困惑した顔をして、手を頭にやるのだった。


「いや、どういうことだよ? おい相馬。これは高度なギャグか何かなのか?」

「……うんソウダヨ」

「ぜってー違うだろ……」


 遠くでホイッスルの鳴る音がする。


「あ、集合かかったから俺戻るぞ。……相馬、後で詳しく話せよ?」

「分かったよ」


 そして矢上は駆け足で、グラウンドの中央へと向かって行った。


 少しの沈黙の後、華村が僕に言う。


「今のがお友達でしょうか」

「ああ。いつもは良い奴なんだけど、今日は華村がいたからびっくりしたんじゃないかな」

「びっくり……ですか?」


 華村は首を傾げて言う。


「あ、いやほら僕がいつも1人でいるからさ。そんな僕がかわいい華村と一緒にいたから矢上が驚いたんだと思うよ」

「……」


 ……ん? 今さらっとすごいイケメンみたいなセリフ言ったな僕。今夜は赤飯だな。


 華村は「そうなのですか」と無表情で返事してきたのだが、感情オーラは真っ赤に染まっている。


 もー可愛いなぁ。



「それで次はどこに行こうか……」と僕が言おうとした時、背後から大きな声が聞こえてきた。


「あっ! お嬢!! こんな所にいたのですか!!」


 次は誰だよ。


 振り返ると、タキシード姿のメガネをかけた高身長の男が立っていた。どう見てもここの生徒ではない。何者だ?


 僕がそいつに話しかけようとする……前に華村が先に口を開いたのだった。


「黒川……何故ここに来たのですか」


 その華村の声はいつもとトーンが1つ下がっていた。


 黒川と呼ばれた男は、身につけている白い手袋をキュッと上げながら言う。


「最近お嬢の帰りが遅くて心配だから迎えに来たのですよ。あ、ご心配なく。入校許可証はちゃんと貰ってます」


 黒川をよく見ると、首から許可証をプラプラ下げているのが見えた。


 おそらく……いや、ほぼ確実に。コイツの正体は、華村のお手伝いさんだろう。


 そして黒川は「おっ」と一言声を上げると、僕の方を向いてきた。


「君は……お嬢のお友達でしょうか。ならばこれを渡しておきますね」


 黒川は素早くポケットからカードケースを取り出して、小さな紙を1枚渡してきた。


「あ、ども」


 見てみるとそれは名刺だった。中央に『黒川智』。右上の方に小さく「お嬢のお友達用」と書かれていた。名刺使い分けてんのかよ。


 そして黒川は言う。


「それではお嬢、帰りますよ。車は用意しております」

「……いいえ、帰らないです」


 華村は黒川に反抗し、1歩距離を取った。


 すると黒川は「はぁー」とため息をつきながら、メガネを触って言うのだった。


「困りますよお嬢。最近勉強時間が減っておりますし……本日はピアノのレッスンだってあるじゃないですか」

「嫌です。楽しくないので」

「はぁ……なら別の楽器でも習いますか? バイオリンでもフルートでも……」

「嫌です」

「……そうですか。ならそのことをお母様にでもご相談されたらどうですか」

「嫌です。話したくないです」


 その後も似たような会話はずっと続いた。


 だけども華村は黒川の言うことを全く聞かず、一貫して首を振り続けるのであった。


 そんな華村に痺れを切らした黒川は言う。


「全く……こんなに反抗して。ならお嬢は一体何をお望みだと言うのですか!」

「私は……」


 一瞬、華村は僕の目を見た。


 ……その時僕は、これから華村が何を言おうとしたのかを瞬時に読み取ることができた。



 僕は見つめ返す。「大丈夫だ」と。


 僕はこっくりと頷く。「ぶちかましてやれ」と。



 ──華村も強く頷いた。



「私は……私は! 相馬君と遊びたいだけなんです。相馬君は私の知らない世界をたくさん教えてくれるんですよ! あなたと違って!」

「……」

「それに親の言うことばかり聞いて、自由に遊ぶことも出来ないなんて……嫌です!」


 華村の力強い叫びだった。そこまで大きな声ではなかったが、華村にとっては最大の声量だっただろう。


「フン……そうですか。左様ですか」


 黒川は納得した……訳ではなかった。黒川は黒いオーラを出しながら、ガッと僕の方を向いてこう言う。


「なら相馬君……でしたかね。あなたがお嬢に『家に帰れ』とおっしゃって下さい」

「……は?」


 な、何を言っているんだ……こいつは。


「どういう……意味だ」

「そのままの意味ですよ。お嬢はあなたのことを随分と気に入っている様ですからね。あなたの言うことならきっと聞いてくれる筈です」


 鋭い目をして黒川は言った。まるで「断ったらどうなるか分かるよな?」とでも言いたげな顔をして。


「さぁ、言ってあげて下さい」

「……」


 心配そうな顔をして、華村がこっちを見てくる。その思いは感情オーラを見るまでもなく、痛いほど分かった。


 ……でも。おそらく、華村は僕が「帰れ」と言ったら素直に帰るだろう。


 何せ華村は僕と遊びたがっているのだ。その僕が遊ぶことに乗り気でなくなったら、ここにいる意味がないのだから。


 僕のたったの一言で、黒川が動かせなかった華村を動かせられるのだ。


 一言で華村をお勉強やピアノを嗜む、『お嬢様』へと戻すことだってできるのだ。


 ……だから僕が言ってやるべきなんだ。


「華村は……い、家に……」








「家に帰るなっ!!!」

「……は?」



 呆れた顔に変わった黒川のことなどは無視して、僕はもう一度大きく息を吸って言う。



「僕だって華村ともっと遊びたいもん!!! それに華村頭いーから勉強とかこれ以上しなくていいだろ!! あと音楽嫌いならする必要ねーよ!!」


 ……言った。言ってやったぞ!!! 僕の思いを!! 僕だって!!僕だって華村ともっと遊びたいだけなんだもん!!


 僕のわがまま? 華村を『お嬢様』へと戻す方が正しい? うっせーバーカ!! んなもん知るかよ!!


「相馬君……!」

「貴様何を……!!!」


 潤んだ瞳と、人でも殺しそうな瞳が僕の方に向く。言うまでもないが、黒川の感情オーラはこれまでに見たことも無い程大きな漆黒に染まっていた。


 これはまずいな。何をしでかしてくるかわからないぞ。早く逃げないと。


「逃げるぞ華村!!」

「えっ、あ、はい!」


 僕は素早く華村の手を取って、校舎の方へと駆けようとした。


「チィ……!! 逃がすかァ!!」


 振り向くと、今にも飛びかかってきそうな黒川の姿があって──



「あ、危なーい!!!」


 突然。ほんとに突然、グラウンドから大きな声が聞こえてきた。そしてその声が聞こえてきたのと同時に……


「だばぁ!!!」


 サッカーボールが、黒川の顔面にめり込んだのだ。そして黒川は勢いよく倒れる。


「「え」」


 思わず僕と華村は逃げる足を止めてしまった。そして僕らは立ち尽くす。


 黒川にぶつかった転がっていくボールを、とあるサッカー部員が拾って、グラウンドに戻ろうとした。


 すると黒川はむくりと起き上がって、そのサッカー部員に向かって叫んだ。


「くっ……おい貴様!!! 人様にボールをぶつけておいて謝罪の一言もないのか!?」

「あ、すいませんね。でもここ……」


 そこまで言うと、そのサッカー部員は目線を黒川から僕らに変えた。こいつは……!!



「端っこだけどグラウンド内なんで」




 そのサッカー部員の正体は、さっきよりも何倍もイケメンに見える、矢上蒼人の姿だった。

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