獅子の子

 走って、走って、走って。私はどこに行けばいいのだろう。私は父上にお国のためだと売られた。けれど、私が逃げられるように穴はあけておいてくれた。父上の真意は何だったのだろう。わからない。わからなけど、私はきっと奴隷商あの人達に捕まってはいけないのだろう。だから、私は走る。走った行く先などなにもないまま。

 このままどこか知らない所で野垂れ死ぬのかな。それは、イヤだな。




 あの試験から2年後。アレハンドロは街の視察に行っていた。しかし、数週間後、予定を急遽取りやめて屋敷に戻ってきた。行くときには居なかった者を連れて。


「父上、おかえりなさい」

「あぁ、ただいま」


 挨拶を正しくしたもののカテリーナの目はジッとアレハンドロの後ろに向かっていた。それには勿論アレハンドロも気づいており、そっと後ろにいたのを自分の前に押し出す。

 ぴくぴくと動く耳は人族のものではなく、動物のもので、丸みのある三角耳だ。更に、緊張か恐怖からか、房のある尻尾は足に絡みついている。見た感じ、獅子の獣人のようである。

 容姿はだいぶ、泥などで汚れてしまっていてわかりづらいが汚れてもなお、整っている印象を受けるのだから、綺麗になればよりはっきりわかるだろう。服も一見すれば泥汚れや破れなどで襤褸の様に思えるが、元は綺麗なドレスだったのだろうと残った部分から辛うじてわかる。


「ケイと同じ年頃のようだ」

「……この子、どうしたの?」


 怯え具合からして、いい感じを受けない。どういうことなのかと目にアレハンドロは知人の商人の所に侵入して、捕縛されていたのだという。どうも、フォルサビショから来たようなのだが、詳しい話自体は聞けておらず、一先ずは保護という形で引き取ってきたらしい。

 歳が近く、性別が近いのなら打ち解けやすいだろうと考えもあったが、この獅子の子とのふれあいで少しでも、強くなりたい、戦いたいというカテリーナの欲を抑えられたらというアレハンドロの下心も多少なりともあった。むしろ、それが大きいかもしれない。


「うーん、とりあえずはまずはお風呂に入っておいで。服はそうだね、僕の来てないのがあるからそれを着たらいいよ」


 獅子の子にそう優しく告げ、メイドのララを呼ぶ。「はいはーい」とメイドらしくない軽い返事をしながら現れたララにカテリーナは苦笑い零すもしっかりと仕事を指示する。それにララはすぐに獅子の子を連れて行ってくれた。

 しかし、すぐに彼女の悲鳴のような声が響き、カテリーナはアレハンドロに自分が見てくるからと告げ、脱衣所に向かう。駆けつけると、裸の獅子の子と目を覆っているララの姿。獅子の子は耳をぺたんと下げ、どうしたらいいのかと不安そうな顔で駆け付けたカテリーナを見つめていた。そこで、カテリーナは理解した。それと同時に自分が勘違いしていたことも。


「君、男の子だったのか」

「…………」


 不安に揺れる銀の目。静かにこくりと頷いた獅子の少年。

 カテリーナは下半身を隠してあげながら、配慮が足りず、すまなかったと謝罪をした。それに少年は首を振り、気にしてないとした。


「ララ、いつまで目を覆ってるんだ。そもそも騎士団に居たんだから平気だろ?」

「うぅ、だって、騎士団の中に居ても慣れないものは慣れてないんですよぉ」

「もう、わかったから、そうだな、ズールイ呼んできて」

「はぁい、呼んできまぁす」


 ララの代わりに呼ばれ現れたズールイに少年はサッと背丈の変わらないカテリーナの後ろに隠れる。


「ズールイ、よろしく」

「はぁ、まぁ、若に入れさせるわけにはいかねぇしな。しょうがねぇか」


 なんで、俺がという顔だったがララにもすでに聞いていたのだろうカテリーナの頼みに素直に頷く。


「服はドレスじゃダメだろうから、功夫服でも持ってきておくね。母上に頼んで尻尾の所の加工もしておいてもらうよ」

「あぁ、そうしてくれ。ほら、いくぞ」


 隠れている少年を小脇に抱え、ズールイは浴室に消えた。




「父上、残念だったね」

「……そうだな」

「でも、父上なら性別関係なく助けるでしょ」

「ケイがそう思うのならそうだろうな」

「僕は彼には迷惑だろうけど、嬉しかったよ。年の近い友達ができるって」


 ズールイが少年を風呂に入れている間、カテリーナはアレハンドロに少年のことを報告していた。その報告には予想外過ぎたのだろう眉間に皺をよせ、大きな溜息を吐いた。しかし、友人ができると嬉しそうにしているのを見て、まあ良しということにした。街に連れて行ってやることができない分そうするしかなかった。




 一方、浴室では根気よく話しかけていたズールイに少年がおずおずとカテリーナのことを尋ねるのをきっかけに彼女の性別などを伝えた。


「お、んなのこ」

「おう、そうだ。まぁ、らしいことはしてねぇし、強くなりてぇって最近じゃ剣を振るってるじゃじゃ馬だがな」

「……つよく」

「あぁ」


 カテリーナについて説明すると同時に少年のことも聞いた。正直なところ、ズールイとしては少年に心当たりがある。それは隣国の調査を行っているからなのだが、アレハンドロは気づいていなかった。恐らく、気づける余裕がなかったのかもしれないだけだろうが。


「白獅子とはまた珍しいよな」

「…………」

「獅子ということは王族、もしくはその親族じゃなかったか?」

「……獣国に伝える?」

「いや、お前がされなくないのならきちんと大将、お前を保護したカテリーナの父親にそれを伝えろ。基本的にあの人は本人の意思を尊重してくれる方だ」

「……わかった」


 汚れていた体を綺麗にし、脱衣所で細かい傷などの消毒をして、身だしなみを整えてやれば、やはりというべきか少年は整った容姿をしていた。銀色の髪と目は更に少年を美しくみせる。まだ幼さが残る顔は少女といっても納得してしまいそうなほどだ。とはいえ、少年が少女と偽っていたのは別の理由があるのだが。


「大将の所に行くぞ」

「あ、はい」


 尻尾が足に巻き付く。ズールイには何となく心を開いてくれたようだが、アレハンドロはどうにも怖いようだ。


「お、やっぱ、綺麗だね」

「……若」


 出た瞬間、カテリーナがいた。もしかして、ずっといたのかと目を向ければ、それはないよときっぱりと返事をする。


「そろそろ、出てくるかなって思ってさ。あと、早く話してみたくて」

「……えっと」

「あ、さっきは自己紹介してなかったね。僕はカテリーナ・デ・ルシエンテス・イ・ベージョティエラ。ケイでいいよ」

「え、あ、わ、私はディアナです」


 少女のような名前にカテリーナとズールイは目を丸くしたが、すぐに何もなかったかのようにカテリーナはよろしくねとディアナに絵がを向ける。それにディアナも嬉しそうに頷く。そして、アレハンドロのいる書斎に向かいながら、二人は互いに語り合った。




「父上、カテリーナです」

「あぁ、入れ」

「はい、失礼します」


 書斎に入るとアレハンドロが怖いのかきゅっとカテリーナの上でにディアナは抱きつく。それにアレハンドロは苦笑いし、カテリーナはズールイの顔の方が三白眼だし怖いのになと思い、そんなカテリーナに碌なこと考えてないなとズールイは溜息を落とした。


「さて、そこに立ってないで、座るといい」

「ディアナ、ほら、座って座って」

「……うん」


 一人で座るのは怖いかもしれないとカテリーナはまず自分が座り、隣を叩いてそこに座ることを促すと恐る恐るカテリーナの隣に腰を下ろした。そんな中、アレハンドロは丁度いいとズールイにちょっとした飲み物と菓子の用意を頼んでいた。

 そして、ズールイが飲み物と菓子を運んでくると本題へと移った。

 ディアナの本名はディアナ・マルティネス。10歳。スーシオバスラ王家の分家。つまり、公爵の嫡子。少女のような名と格好は王家に対し、自分たちはその地位を脅かしませんという意志表示だった。しかし、グロリアレイノとの戦いをしすぎたため、資金が足りなくなってしまった。その足りない資金を補うためにディアナを娘として奴隷商に売ったそうだ。

 その話にカテリーナとアレハンドロは同じ顔をする。血は繋がっていないというのにあまりにそっくりすぎるその表情にズールイは一人笑ってまいそうなのを堪えていた。


「つまり、帰るところがないんだね」

「ふむ、怖がられている理由もその辺かな」

「え、あ、はい」


 そこからはディアナがどうしたいかという話へと移行した。ただ、ディアナとしては戻りたいとは思わないということもあり、ルシエンテス家でその身柄を預かることとした。


「しかし、名前がそのままだとわかるやつにはわかるんじゃねぇか? 特に向こうの公爵家やそのコイツを買ったっていう奴隷商とかな」

「うむ、確かにな。家出とは話が別だな」

「人の顔を見て、言うな」


 容姿は偶々似ている出押し通せても、両方揃ってしまうと疑惑が拭いきれないかもしれない。ただ、名前を変えるとしても10年間その前で過ごしてきたディアナがどう思うか。さて、どう伝えたものかとアレハンドロとズールイがディアナを見るとカテリーナと二人でどこから持ってきたのか紙に何かを書きだしていた。


「どう?」

「うん、これがいい。私、これがいい」


 くるりと丸を付けたものを覗き込めば、そこには「マティアス・シルヴァ」という名前。


「私、マティアス・シルヴァにします! そうすれば、ケイと一緒に居ていいですか?」

「あ、あぁ、構わないが、君はそれでいいのか?」

「はい。そもそも、私は自分の名前が好きじゃなかったので、嬉しいです」


 花のように顔を綻ばせ喜ぶディアナ否マティアスにそれ以上言えることなどありはしなかった。


「マティアス、改めてよろしく」

「うん、よろしくね」


 そう言って笑い合う二人の子供を見て、まぁ良いと息を吐いた。


「つーか、見事な男女逆転だよな」


 少年のようなカテリーナに少女のようなマティアスを見て、そうズールイは感想を零すのだった。

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