creep

スミンズ

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 机には血が付いていた。自分自身でも気がつかなかった。クラスの連中が僕の席の横を通る際に鉛筆で右腕を刺したのは知っていたけど、ここまでたくさん出血しているなんて思わなかった。よく見ると白いポロシャツは血で赤く染まっていたし、若干手の感覚が鈍っているような気もした。ただ、それは慣れっこだと気にしないふりをしていただけで、僕はそれでもなんでもないように取り繕った。事実、右隣の席の女は、気づいているのかいないのかは知らないが全く僕を気にもしていない。左隣の男は、窓の外だけを見つめていた。


 ほら、気にしなくていいことなんだよ。


 僕はそう自分に言い聞かせながら、右手をグッと握りしめた。学校では、誰も僕を気にしていないんだから…。


 放課後、担任に呼び出され、僕は職員室に入った。高校の職員室は、いつもコーヒーの匂いがする。


 血のついたポロシャツは濡れた雑巾で比較的目立たないくらいにしておいた。その状態で僕は担任の席の前に行く。


 「なんでしょうか?」そう訊ねると、担任は静かに一枚のプリントをだした。


 「津々見、なんだこれ?」そこにはちいさな便箋があった。それに見覚えがあったから、僕は少し目を見開く。数日前、僕が意見箱にいれたものだからだ。


 「これは、あれ、でもこれは無記名だったはずじゃ……」


 「そんなの字を見ればわかったよ。おまえ、字だけは小綺麗で特徴的だからな。『クラスで意味もなくどついたり、蹴ったりしてくる人がいます。先生も注意して見てほしいです』。これは、笠井のことだろ?俺が注意してやった。お前な、だが何故自分からやめてと言えないんだ?こうやって意見箱に入れたってなんの解決にもならんじゃないか」


 「……それは、先生、笠井に僕が言っていたって言ったんですか?」信じられないが、そう訊いてみる。いや、本当は確信していた。


 「そうだ」そして担任は頭を縦に振った。



 今日鉛筆を刺したのは間違いなく笠井だった。おそらく担任からの話を聴き、恨みを買ってしまったのだろう。僕はジンとする傷跡に持ち前の絆創膏を静かにをはると、玄関を出た。夕方になり、ひとりで帰宅できる時間は夢のようである。しかし、その時間は学校の誰かとあってしまう可能性もあるからリスキーでもある。だから、僕はいつも無意味に遠回りをして、家に帰っている。だから例のごとく、今日もその道へと向かった。


 いつものようにひと気ない細い道を歩いていると、今日はそこにクラスメイトを見つけてしまった。僕の左隣の席の中森耕也だ。そいつは向かいから歩いてきていたがもう回避出来るような感じでは無かったから、僕は堂々と中森とすれ違おうとした。すると、中森はちいさな声で、「大丈夫?」と呟いた。


 「なにさ」僕は誰かに喋り掛けられたら、冷たい返答をしてしまう。無意識なのだ。


 「うで、刺されたんでしょ?」


 「…」僕は足を止めた。中森の足はもうとっくに止まっていた。


 「僕、ずっと窓の外を見てたけどね、景色をみていたわけじゃない。目をそらしていただけなんだよ」そう言うと中森は少し涙声になる。


 「中森…」思わずそう声をかける。


 「僕は弱いから、目を背けてしまう。笠井たちなターゲットにされたくないから、気にしないふりをしていた」


 そういって中森は震えていた。わかっている、中森が本当は僕を心配していることくらい。だけど、それでなにが変わる?


 「ありがとう」口だけでお礼をいって、僕はまた歩きだした。中森はしばらく動けなかったようだ。


 先生はクラスを考える挙げ句、あんな行動をとったのだろうし、中森だって自分の身を案じるがために保身をしていた。そう考えると、僕はだれにも助けられる理由なんてないような気がした。



 次の日、中森は欠席した。理由は知らない。何かから逃げたのかも知れない。クラスの誰かから、笠原か、あるいは僕かも知れない。


 笠原はいつも通り僕を意味もなく蹴った。脛が少し青くなったくらいで、いつもよりは大したことがなかった。


 そしてふと考える。こんなめに会うのに何故僕は自らここに来ているのだろう、と。


 その答えはわからない。ただ、ふと昨日の中森を思い出すと、もしかしたら、誰かが僕を気にしてくれているのだろうと、心の何処かで願っているのかも知れない。


 右隣の席の女は、やはり僕の存在には興味が無さそうだった。

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