第6話

『部員の一人が確かに美術部員を見たと言っています。恭一くんの名前を呼ぶと右手を挙げて反応したそうです。絵を描いていたようで顔は見えなかったそうですが、反応はあったそうです』

 サッカー部の方は、こういう過不足無いメールが送られてきたので、簡素なお礼のメールを送って後回しにした。

 問題は茶道部の方だ。

『なんか、話が全く噛み合わないんだけど。ちょっと来てくれない?』

 そういうメールがあったのが放課後に入ってすぐのこと。なるべく顔に出さないように驚いたつもりだったが何人かには見られてしまったようだ。仕方ないことと割り切って、僕は茶道部室に向かった。


「失礼します」

「え!」

 中から明らかに『今入らないでお願い!』みたいなニュアンスを含んだ声がしたが、気にせず僕は扉を開けた。

「……またこぼしてたんですか」

 そこは茶道部部長があたふたしている真っ最中だった。

「そうなんですよ……部長ときたら、立てるお茶は一級品なのに、立て終わった後必ず足がしびれて、器を倒してしまうんですから」

 いきなり横から声がかかった。はっとしてそちらを向くと、長い髪を後ろで結った、正座をしている女子生徒がいた。

「貴方が祐子さんですか?」

 僕が聞くと彼女は頷いて、立ち上がった。どうやら彼女の足はしびれていないようだ。

「どうぞ入ってください。正座しなくて構いませんので」

 また前のようなことになってしまわないかと思っていたので、僕は安堵のため息を漏らした。

 祐子さんは一体いつ淹れたのか、僕の目の前にお茶を出した・

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

 僕は少し驚きながら、口に含んだ。

「おいしい……」

 そんな言葉が自然にこぼれでてしまった。そういうふうにすっと喉に入ってくるお茶だった。

「ありがとうございます」

 祐子さんはそう言うとにっこり笑った。上品な笑い方だなと思った。正直、少し見惚れてしまいそうだったので、僕は目線を外して再度お茶を飲んだ。

「でも部長には敵いません。お飲みにならなかったんですか?」

 僕は首を横に振る。確かに体験には来たけれど、あのときはそんなところに気が回っていなかったので、味を見ていなかったのだ。祐子さんは嘆息して、

「それは残念です」

 と、本当に残念そうに言った。そこまでのものだったのか、今うめいているこの部長のお茶は。

「それで、証言でしたよね?」

 ようやっと話が戻ってきた。僕は目線を彼女に戻して、話を進めることにした。

「メールにあったことは、間違いないですか?」

「はい」

 祐子さんは自分の分のお茶を用意して、それを飲んだ。

「ということは、貴方は悠斗くんには会っていないということですか?」

「ええ。その日は確か、珍しい体験入部の方がいらしてくださっていたので、よく覚えています。男子の方でしたが、素質のある方でしたね。とても熱心に聞いてくださったのを覚えています。少しおっちょこちょいなところがありましたけれど、部長の割ってしまった茶器を片付けてくれたりしてくれて、とても真面目で、そこがかわいくて……」

「あの……、祐子さん?」

 話しているうちに話がその体験入部に来てくれたやつにうつってきたので、僕は声をかけて彼女の話を遮る。

「……失礼しました」

「いえいえ」

 どうやら、その体験入部にやってきた男子というのは、よほどこの人の好みにドンピシャだったのだろう。ほんの少しだけ……そう、ほんの一ミリ程度だけ残念だ。

「……ともかく、私はあの日、その男の子と部長しか会っていないです。美術部の人なんて、一人も見ていませんよ」

___________________

「ふむ……」

 笹谷有紀は僕の報告書に目を通すと、また考え始めた。

「この言葉をそのまま受け取るのならば、屋上にいた部員が嘘をついていたことになるが……」

 彼女ははっきりとした言葉にはしなかった。無理もないし、僕だってその懸念はある。嘘としてはずさんだし、そもそもそんなレベルの嘘をつく人間が、あんな風に構えていられるとは思えない。しかし、事実は事実だ。状況は彼が怪しいと告げている。部屋を出たのも彼が最後だし、盗み出すこと自体は不可能では無いように思える。あれだけ大きいものをどうやって盗み出したのかという問題は残るが、そこは考えればどうにかなりそうだ。しかし、いずれにせよ、工作することは必要。その割には、ついた嘘がずさんすぎるのだ。 どこかちぐはぐで、はっきりしない。

「ひとつ質問なのだが……」

 急に笹谷有紀が質問してきた。

「美術部と茶道部になにかつながりはあったのか?」

 何が聞きたいのだろうと思ったものの、僕は素直に答えた。

「特には無かったはずですよ。部同士の交流があったとも聞きませんし」

「では、屋上にいた部員はどうやってその人物を茶道部員と判断したのだろうか?」

「それは……」

 言われてみれば確かにそうだ。知らない人間を茶道部員と判断することなんてできない。まして茶道部は部員二人の弱小部活。顔を覚えられているわけも無い。では、どうして茶道部員と判断したのだろうか?

「その人物は、なにか茶道に関係したものを持っていたのでは無いかね?」

「……あ!」

 一人、いた。

 茶道部員では無く、茶道に関係したものを手に持っていた可能性があって、茶道部員ではないもの。

「体験部員、ですか」

 笹谷有紀は頷いた。

「その人物の証言をとらないといけないな」

彼女がそうつぶやいた瞬間、僕はため息をついた。

「はいはい……明日僕が調べてきますよ」

「ああ、よろしく頼む」

 こうやって仕事が増えてしまうのもいつものことだ。彼女は決して、この文芸部室をでない。学校内で見かけることは少なく、どこに住んでいるのかもわからない。本当にここに住んでいるのではないかと思ってしまう。

 でも、僕はそんなことは聞くつもりは無い。同じように彼女も、僕のことに深入りしてこない。今でも僕は、笹谷有紀が僕と初めて出会ったときのことを、はっきり思い出すことができる。

————————————————————

「失礼します」

 あのときはまだ、僕のことを彼女は知らなかったから、扉を開けるまえに返事が来るなんてことは無かった。

 一番最初、僕が文芸部室に入ったとき、笹谷有紀は頬杖をついて、原稿用紙に向かっていた。

「……なにか?」

 彼女は閉じていた目を開けもせず、僕に聞く。それが僕らの初対面だった。

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