ああ、なんたって私は——

 二つ、記さなければいけないことがある。一つは少女の疑問、つまり「アンタら」の謎は結果として、意外と早く解決するということ。もう一つは、少女の母の病気の進行、つまり「一年」というタイムリミットが、そろそろ近づいてきたということ。


 魔女は、少女の母の病気について、片時も忘れたことはないようだった。少女が魔女の館に来て、あと少しで一年が経とうとしていた時、魔女は少女に「あたし達はあんたの母さんを治しに行くよ!」と怒鳴って帰りの支度の準備を促した。少女は突然のことにポカンとしながらも魔女の指示に従った。

「ねえ、もしかして、ほうきなの?」と、少女が訊ねると。

「それ以外に何があるんだい?」と魔女は言って、少女をほうきの後ろに乗せた。「そうして、ユーフォーみたいに、ビューって飛んで行ったの」と少女は後に、そう語った。


 一年ぶりの自分の家に帰って少女が抱いた感想は、部屋が旅発つ前よりも少し荒れているな、ということだった。特に外壁に蔦が絡まり放題で、切って整えるには少し骨が折れそうだった。部屋の中に入ると、少女の母は安楽椅子に座っていた、少女に気づくと母はニコリと笑ったが、その顔はどこかやつれていた。


「薬を調合するよ。アンタ、ボケェっとしないで手伝いな!」


 魔女は少女にキッチンを案内させて、一年間みっちり教えられたとおりに、薬を作ることができた。アプリコットジャムのように金色の液体だった。


「お母さん。薬、できたよ」

「あら、ありがとうね。それじゃあ立派な魔法少女になって帰って来て——魔女さまにもお礼を言わないといけないわね」


 少女の母がそう言うと、頑固な魔女は怒鳴るようにこう言った。


「まだお礼を言うのは早いよ! アンタが、薬を飲んで、薬の効き目が現れたのを、ちゃんと見てからさ!」


 母の方は魔女の大きな声でびっくりした。そしておずおずとその金色の液体を飲み干す。窓から射す陽光に黄金が反射して、一種、芸術的な美しさがそこにあった。そして反射するものは——陽光からの光を反射するものは、黄金の液体だけではなかった。そこには涙があった。頬伝う母の涙が光り輝いていた。


 魔女が少女の母に尋ねた。静かに。


「すべて思い出したかい?」

「……ええ真に、すべて」


 なにやら荘厳な雰囲気がそこにはあった。少女はキョトンとして、二人を見つめている。その後、二人は小声で幾つかの言葉を交わしたかと思うと、「じゃあ、アタシの役目はもう終わりだね。それじゃあ、アタシは帰るよ」と言って、家の外へと出てしまった。母の方は泣いていて、少女は何が何だか、全くわからない。わからないから、聞かなきゃいけない。少女は慌てて魔女のことを追いかけた。


「ねえ魔女さま。いったい、何が起こっているの?

お母さんは急に泣き出すし、思い出すっていったい何のこと?」


 そうすると、魔女は少しだけ——少女が見るのは初めての——笑って、次のように答えた。


「あんたのお母さんに飲ませたのはね。病を治す薬じゃないのさ」

「それじゃあ、いったい何?」

「記憶を取り戻す薬だよ」

「記憶」

「そう、記憶さ。魔法で脳みその奥に仕舞い込まれた記憶を、目の前に引っ張り出してやったのさ」


 ちょうど二階の納戸にある赤いダンボールを、お母さんの目の前に持って行くみたいに。と少女は心の中で付け足した。


「記憶って、どんな記憶か聞いてもいい?」

「ああ、いいとも。なんだってアンタは、もうそのヒントを得ているんだからね。

いいかい、アンタの母さんが失った記憶は二つさ。西の魔女が死んだという記憶——そして、自分が東の魔女だという記憶さ」

「お母さんが、東の魔女?」


 その時少女は、メモの歌を思い出した。


東の魔女は姿を見せず

南の魔女はやさしくて

北の魔女は怒りん坊

西の魔女は去年死んだ


「いったい、何があったの?」

「アンタの母さん——東の魔女は記憶を操る魔女さ。自分を見た人間の記憶はすぐに消してしまう。だから、誰もその姿を知らない、そんな魔女さ。

だけど、東の魔女と親しくしていた——唯一の友達と言ってもいいかもしれない——西の魔女は、病気で亡くなっちまった。その悲しみは苦痛だった」

「苦痛」

「ああ、苦しいだろうね。狂うほどに、だから記憶を消したのさ。けれど、私からしたら、そんなのは『表面上の解決』なのさ。根っこまで引き抜かない雑草抜きみたいなもんさ」

「だから思い出させたの?」

「だから思い出させた。記憶の取り戻した東の少女なら、あんな病を治す薬を作るなんて、わけないよ——作る気があるならね」

「作るかな」

「作るとも、なぜなら『アンタ』がいるからね」


 そう言うと魔女は柄にもなく、少女にウィンクして見せた。


「なるほど。やさしいのね、魔女さまって」

「ああ、なんたって私は、やさしい南の魔女だからね」


 少女はびっくりする。少女はずっと彼女のことを北の魔女だと思っていたからだ。その驚きの間に、魔女はユーフォーみたいに、ビューって飛んで行った。

風が、花なきアンズの木の葉がふわり揺れた。家の中からアプコットジャムの匂いがした時。やさしいからこそ、人に厳しく、怒りっぽくできるのだと気づいた。

そして「あの老婆は間違いなく、やさしい南の魔女だったと」少女は理解したのだった。


 家に戻ると、少女の母が苦笑いをして待っていた。


「魔女さまは帰ってしまった?」

「『魔女さま』だなんて、変なの。お母さんだって魔女なのに」

「忘れてたのよ、そういう体質。いや、事情があって

 ……で、そういうわけでお願いがあるんだけれど?」

「なに?」

「ノート。二階の納戸に赤いダンボールがあるでしょう?

 取ってきてくれないかしら。あそこに薬のレシピを書残しているのよ」

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アプリコットジャムの手品 Sanaghi @gekka_999

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