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Re:雨

 嗚呼、雨というのは本当にこの僕を嫌な気分にさせるのが上手いらしい。

 ざぁざぁ、と家の外で強い雨が降っている。小降りの時にはあまり気にならなかったが、部屋に飾ってある時計の音さえかき消してしまう雨音になってくると流石に意識せざるを得ない。読んでいた本を閉じ、机を回転させて体ごと窓をみやる。反射して映る黒髪黒目平凡な顔立ちの僕を透過した先の外の景色。まだ夕方だというのに分厚い雲のおかげで外は真っ暗だ。

 二階建ての一軒家。二階にある自分の部屋。ベッドと勉強机と本棚とクローゼット。必要最低限の家具に、様々な趣味の道具が散らかっている。そんなありふれた『普通』の部屋も今日一日ずっと続いている雨のせいか、少し湿度が高くなっている。折角の休日、趣味の為の道具を買い漁ろうと思っていたというのに、このバカみたいな雨のせいで台無しだ。

『おいおい、聞いているのかい? 後輩くん』

 ずっと聞き流し適当に相槌を打っていた声が読書から意識が離れた途端にしっかりと聞こえてきた。スマートフォン越しに少し不満げな声を漏らすのは、僕が通うありふれた私立高校の部活の部長、ナガレ星香セイカ先輩だ。部活動と言っても、実質のところは先輩と僕アガタ裕二ユウジの二人だけ。後の全てが名前だけの幽霊部員。

 彼女と僕がただ使われない空き教室で無為な時間を過ごすだけの部活動だ。体裁として『才能研究部』という部名は、彼女の蔑称から来ているのだろう。己に付けられた『天才』という名、そしてその蔑称が付けられるに値する程の『才能』を持っている。そして、そんな『天才』に目を付けられた哀れな子羊が僕、何もかもが平凡極まりない『普通』の県裕二だ。

「聞いてませんよ。最初から」

『辛辣だねぇ後輩くんは。先輩に対して敬意というものが感じられない。嗚呼なんて嘆かわしいことなんだ』

「先輩はそんなもの欲していないでしょう?」

『まぁそうだね』

 くくくっ、と先輩の愉しそうな笑い声が漏れ聞こえる。何が愉しいのかは何も分からないが、不快でないのならそれでいい。

『とはいえそれじゃあ私の示しがつかない。せめて人目のつくところでは適当に敬っておくれよ』

「人目の付く所で話さない為の『才能研究部』でしょう。そもそも他の所で馬鹿みたいにその恐ろしさを示しているじゃあないですか」

 くくくっ、と先輩はまた笑う。何が面白いのか何一つとて分からない。『天才』の考えることを理解しようなどと『普通』の僕にはおこがましいことだ。

『あの程度で恐ろしさを感じるのは弱い人間だけだ。己の全力を賭さなければならない未来を追い掛けたいと思うのなら、あの程度で怯えていては話にならない。私は抗う者を見たいんだ』

「持つ者の欲望ってのは随分と傲慢なんですね。勝手に傷付けて、立ち上がった者によくやったと拍手を送る訳ですか」

『当たり前だ。私は『天才』だからね。私に抗おうとする者に敬意を表す。理屈は後輩くんが私を敬わないのと同じさ』

「へぇ、興味がないです」

『正直だねぇ。まぁいいさ。それで? 本を読むのをやめてまで、君は一体何に気を取られたんだい?』

「雨、ですよ」

『ほぉ。生命の源、命の雫に対して思う所でもあったのかい?』

「誰がそんな大層な話をすると思うんですか、この平凡極まりない『普通』の僕が」

『私だよ。そういう話、後輩くんは大好きじゃあないか』

「人並みです。僕が言いたいのは、単純にこの湿気を生み出し、僕の癖っ毛を際立たせる最低な、ただの豪雨に対してです。ああ、先輩のような天候にも左右されない綺麗な髪が羨ましい」

『羨ましいのは髪だけかい? 才能の一つや二つくらい羨んでくれてもいいんだよ?』

「御免被りますね。それに髪だって皮肉で嫌味です」

『おや手厳しい。しかし、雨というのは自然のサイクルだ。言わば天災の人に影響のないバージョンといったところ。それに対して機嫌を損ねるというのは、随分と無駄な労力じゃあないか。そういうの後輩くんは嫌いじゃあなかったかい?』

「そうですね。『天才』に割く労力ほど、骨折り損のくたびれ儲けなモノはないですねぇ」

『言うじゃないか』


 三十分程経って流石の長電話に先輩も飽きたらく、通話は一方的に切られてしまった。『』の相手を無事に務め終えた疲労を感じ、ベッドに転がり込む。周囲の人間曰く先輩と話すと威圧感を覚えるらしいが、それはにはない。疲れたのは単純に先輩のからかいというのは容赦がないからだ。

 ふぅ、とため息を漏らすと同時に、きぃ、と扉が開いた。現れたのは白髪の少女。血の繋がらない妹、県アメだ。見た目は八歳くらいだが、戸籍上は中学一年生だ。成長が遅れている訳でもない。成長できなかったのだ。

 起き上がって、壁に背中を預けるように体勢を整える。雨の言うことなど、分かりきっている。

ぃ。一緒に寝て」

「いいぜ。ほら、こっち来い」

「ん」

 とことこと駆け寄って、すとん、と俺のかいた胡座の上に抱きつくような形で収まる。静かに、優しく抱き返して数秒。すぅすぅ、と規則正しい寝息が聞こえてくる。

「いい加減、一人で寝ろよな」

 はぁ、と別の溜息を漏らしつつ、隈の酷い雨の頭を撫でる。少しだけぐずるも、それもすぐにやめてしまう。完全に俺を受け入れている証。俺に対して何の抵抗も見せない。それは油断ではなく諦めだ。俺だけではなく世界、そして人間に対しての諦観。

 薄着の雨の体には、未だ治らない痕跡が刻まれている。雨は俺の存在を感じていなければ眠らない。――否、眠れない。

 嗚呼、雨というのは本当にこの俺を嫌な気分にさせるのが上手いらしい。


 前者も後者も、怨みの対象はこの理不尽な世界に対して、だ。






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