先輩を不純に想う。
「え、マジで?」
「マジマジ。大マジ。正直、めっちゃ焦った!」
いかにも女子高生らしいやり取りだな、と我ながら思う。とはいえ私こと
いや、だけれど私達は今マックにいる訳だし、となるとあの中にも幾らかは真実があるのかもしれない。まぁ、どうだっていい。
そんなことよりも、だ。そう話の本題はそうではない。
未だ警戒は続けなければならないし、実はもっと深刻な事態に陥っているのだとパニックになっている人がいるくらいなのだが、とりあえず緊急事態宣言とやらは解除されてしばらく。私達はなんやかんやと元の日常を取り戻しつつあった。困っているのはバイトが休みになって少し金欠になってしまっていることくらいだろう。とはいえ、外に出ることもなければネットショッピングもできていないのだからお金は減っていない。だけれどお金が入らないというのはなんというか、少しテンションが下がる感じがする。
「それで愛、どうだったの? 『天才』と話してみた感想は」
そう。自粛機関中の暇潰しに
「ヤバかった。うん、なんて言えばいいんだろう。ヤバかった」
「愛ってそんなに語彙なかったっけ?」
「ヤバいって言葉便利だよね。困ってる時はつい使いがちになっちゃう。……正直私も今、全然語彙ないなって思ってる」
もしくは言葉の方がないのかもしれない。彼女、『天才』を一言で的確に言い表す言葉が。
「……っていうか、じゃあ、初めて知ったんでしょう。『天才』と『普通』のやり取りを」
「うん。正直、衝撃だった。だって、それは本当に『天才』と『普通』の会話だったの」
「と言うと?」
「『天才』は、正直何を言っているのか分からなかった」
単純な言葉の意味は一つだが、しかしその裏にいくつもの意味があるように思えた。それは『天才』だからという偏見かもしれないが、少なくとも私達がするようなヤバいな会話ではなかったと思う。
『天才』の言葉に異質さはない。だが、その一言一言が真綿で首を絞めるような言葉の力を持っていた。元よりあの会話に私は参加していなかったが、それはそれとして私は参加できなかった。言葉を挟むことがどうしてもできなかった。
『天才』は言葉に対しても指向性を付与できるのだろう。私には話していない、と言葉にせず言葉で伝えていた。
「だけど、先輩は、……『普通』は、変わらなかった。本当に、『普通』だった。それが正直、怖かった」
怖い。そう、怖かった。
ぞくっ、と背筋に冷たいものが通る。思い出しただけ身震いするような、そういう恐怖だ。明確に何か怖いものがある訳ではない。明確でないその得体の知れなさがどうしようもなく怖かった。
「……たぶんね、先輩の『普通』って私達の思っている普通とはちょっと違うんだと思う。普通で、普遍で、……不変」
「んー、よく分かんない。じゃあそれって『普通』じゃないんじゃないの?」
「私も全然、分かってない。だけど、なんだろう、ちょっと先輩が怖くなってる自分が正直、嫌なの」
先輩は『普通』の人だ。『天才』とまともに渡り合える、ただの普通の人だ。そうだと思ってた。だけれど全然違う。それだけで先輩がどこか遠くに行ってしまったような気がしたのだ。
「ふぅん。……じゃあ、これからはあまり先輩のところには行かないの?」
「いんや、別に」
「……じゃあ、そのよく分かんない怖さはどうするの?」
「向き合っていくしかないんじゃないの?」
「……そっか」
何やら千佳は意味ありげな間を作る。
「ま、そうだね、本当にその感情とは真面目に付き合っていった方がいいかもしれないね」
「……? だからそう言ってるじゃない」
「そうだけど、そうじゃないんだよねぇ」
「……私には今の千佳の言葉が一番分かんない」
「そのうち分かると思うよ、きっと」
「なにそれ」
と、変に重苦しい会話をするのも嫌になったので、それで私達は解散となった。
私と先輩の関係が大きく変わるようなことはないだろう。先輩は変わらないし、私も変えるつもりがない。だから、変わらない。
「ただいま」
家に帰る。おかえり、を言ってくれる人は誰もいない。当たり前だ、父に無理を言って借りてもらったワンルームマンションの一室。そこで私は一人暮らしをしているのだから。
「……さて、と」
カチ、と電気を付ける。小さな部屋の壁にはびっしりと、先輩の姿の収められた写真が貼り付けられている。どれもピントはぴったりで見事なものだと自画自賛したくなる。
「……怖い、か」
今日、千佳に説明するという形で言語化できた先輩に抱いた感情。ああ、そうだ。確かに私は今、県先輩を怖いと思っている。『普通』ということの怖さ、その片鱗に触れたような気がしている。
だけれど、だから面白い。興味が尽きない。知りたい。理解したい。知的好奇心が、どうしようもなくくすぐられてしまう。
「本当、飽きないなぁ。先輩は」
私は知らず知らずの内に、歪な笑みを浮かべていた。
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