雨の側に彼は居る。

 むかしむかし。ううん、多分そんなにむかしじゃあなかったかもしれないけれど、わたしにはにぃはいなかった。

 家族っていうと、わたしをお父さんとお母さんだけ。お父さんとお母さんは、わたしのことが嫌いだった。

 嫌いっていうとすこし違うかも。多分、きょうみなかったんだとおもう。だから、わたしが近くにいることがとてもとても嫌だった。


 そんなわたしにあの人があらわれた。えっと、なまえはなにだっけ。兄のお父さんがわたしを助けてくれた。


「ちょ、ちょっと何なんですか、あなた」

「なんなんだよ!! 人の家に上がりこんで来やがって、警察呼ぶぞ!?」

 お父さんとお母さんの困惑と怒声が聞こえる。

「悪いな、俺が警察だ。自分の娘、ウリに使ってるようなクソが何偉そうにしてんだ。黙ってろ」

「先輩!? 言い過ぎです、下手すると訴えられたり……!」

「安心しろ。そんなことできる度量があるなら、俺達にバレないようにもっと綿密にやるさ。ツイッターで安易に募集かけるなんつう雑なことしねぇよ」

 そうしてわたしとお父さんとお母さんははなればなれになった。それはきっと良いことなんだとおもう。だけどわたしにはわからない。なにが良くて、なにが悪いのか。


「よぉ。また来たぜ。って、おいこら、言ってんだろ、、ってか言われてんだろ、股を開くな。下着は履け。お前はもう、そういうことしなくて良いんだよ」

「…………?」

 わからない。だって、わたしにはこれしかないから。

 こまったような笑みを兄のお父さんは見せてくれる。だけど、どうしてこまらせているのかわからない。わたしは、なにもわからない。

「お前はもう救われたんだよ。だから普通でいいんだ。……知らないから、分からないからでそういうことをするしかないなんて、そんな人生は駄目なんだよ。ちゃんと必要な知識つけて、自分の生き方をするんだ」

「…………?」

「分かんねぇか。……おまえさ、俺の子になるか? しょうもねぇ奴だが、まぁ悪くない兄貴もできるぞ?」

「…………?」

「んー、そうだな。じゃあ、嫌なら首を横に、オッケーなら縦に振れ」

 こくり。

「いい子だ。辛いことって嫌いか?」

 こくり。

「よし、ならお前は今日から俺の娘だ」


「ってな訳で、お前の妹のあめだ。……まぁ体見れば分かると思うが、そういうことだ。変なことするなよ?」

 そう言ってお義父さんが男の人をおしえてくれる。高校生くらいの人だ。

「しねぇよ。別にそういう欲求はねぇしな」

「ない、って男なのにか?」

「あんまな。人並みにはあるが、普通人ってのは無理矢理襲わねぇだろ。やるのはアホとかアホとかアホとかだろ」

「人ってのは案外簡単に理性なくなるぜ。後悔してるアホもいるし、後悔してねぇアホもいる。……人ってのは総じてアホだ。だからお前もアホだぞ」

「分かってるよ。……おっと、汚い話してごめんな。俺は県裕二。ま、適当によろしくな」


 兄さんはとっても不思議な人だ。私に、色々なことを教えてくれる。言葉に、知識に、そして人の心。なのに私には何もしない。おかしい。こんなの、おかしい。

 だって人は人に対価を求める。兄さんがそう教えてくれた。

「兄さん……。どうして、私に何もしないの?」

「する必要がないからな」

「でも、そんなのおかしいじゃん。普通なら、私を……」

「何度も言わせんな。……お前はさ、昔の基準を普通と勘違いしている。お前の普通を俺に押し付けんな。俺の普通は俺の普通だ」

「…………。そっか」

 普通は人によって違う。そんなことも兄さんは教えてくれる。

 それだけで私はなんだか安心できるようになった。


「……にぃ。お腹空いた」

「そうか。んじゃあ、飯でも作るか。何がいい?」

「兄が作るならなんでもいい」

「オムライス?」

「…………」

「チャーハン?」

「…………」

「ラーメン?」

「っ…………」

「うし、ラーメンだな」

「……何でもいい」

「そうかそうか」

 はは、と兄は笑って台所へ向かった。兄は至って普通。私にも普通に接してくれる。近くの人は私を見れば可哀想な目で見てくる。だけど兄は違う。普通だった。

 それが、どうしようもなく落ち着く。

 昼食を食べて、また兄の部屋に戻る。

「お前、自分の部屋あるだろ」

「やること、ない」

「俺の部屋にも何もない。っておい、布団に潜り込むな、俺が寝れねぇだろ」

「大丈夫。私、小さいから」

「ったく。あんま動くなよ」

「……ん」

 兄は何も言わない。それが良い。普通が、一番良い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る