【過去編】『天才』→先輩:彼→後輩(下)
本来ならば私、
故にかの名探偵はシャーロック・ホームズ自身ではなくワトソンが物語を綴っている。シャーロックホームズの視点で事件解決の鮮やかなストーリを描いたならば、きっとそれは酷くつまらない物語になるだろう。
シャーロック・ホームズの頭の中では既に答えが導き出されている。そしてそれを確実にする為の証拠を集め、そして逃げ道のないように犯人を追い詰める。
そんな物語では、シャーロック・ホームズの死に対してアーサー・コナン・ドイルに脅迫状を送りつけるような真似はされないだろう。
物語とは、読者にとって納得のできる程度の非常識が迎合される。圧倒的な推理力は喜ばれても絶対的で徹底的な推理力は非難される。だからこそ、ノックスの十戒にて超能力者は禁止されているし、その推理は――少なくとも読者が納得できるレベルまでは――つまびらかに披露しなければならない。
例えば事件現場を見ると同時に犯人を言い当てるなどという行為は決して好まれることはない。その事件の被害者とかではない限り――。
「――ってな訳で、『天才』さん、貴方のせいでこんな目に遭ってるんです。その詫びとか、必要じゃあないですか?」
いつも通り――という程、私は
「詫び、ねぇ。まどろっこしいことは無しにして、何をして欲しいのか言ってくれないかい?」
私はそう告げて、目の前の惨状を一瞥する。
場所は一年一組、彼の在籍する教室だ。その教室の中心に彼の席はある。そしてその机に書かれたおびただしい数の罵倒の文字。彼はどうやらクラスとは普通の関係を構築しているらしく、一体誰がやったのかという点で疑心暗鬼に陥っているらしい。
「犯人探し、ですよ。噂に聞いてますよ。どんな嫌がらせも、犯人を当てて、その稚拙さ中途半端さを指摘したっていう性格の悪い噂を」
だから彼は私を利用した。
「だろうねぇ」
名探偵が刑事などの依頼人に頼られるのは、確実に事件を解決してくれるという信頼があるからだ。探偵なら大丈夫だろうと確信しているからこそ頼られる。
彼が私を利用するのも同じだ。『天才』が犯人を見つける。それは絶対的な安心感をクラスに与える。それを狙ってのことだ。ひとまず犯人は分かる。疑心暗鬼から脱することができる。
「……ああ、すまないね。ウチのクラスが無益なことをしてしまっているようだ」
一瞥するだけで犯人が分かった。語彙、字形、その他含め全て見覚えがある。私の机にも、奴らは同じようなことをしているのだから。
「名前と犯行理由は?」
「
たったそれだけで、クラス全体にほっとした雰囲気が広がり、同時に彼は廊下を駆け出していた。
犯人が分かった。そしてクラスメイト達は知っているのだろう。県裕二が、一体何をするのか。彼が一体どんな人物なのかを。だから彼のクラスメイト達は安堵した。彼が向かったということは、事件が解決したと同義だからだ。
私は彼の行動に期待しながら教室に戻り、そして私は笑いを堪えきれなくなった。
「くくっ、はははっはははははっ!」
鼻を折られ、額から血を流し、方足の骨が反対に折れ曲がった状態で床に伏す京、真、公の三人。その三人の間で白シャツに赤の模様を付けた彼が平然とした様子で立っていた。
「おいおい、こんなことをしてどうなるのか分かっているのかい?」
「反省文と、あとは数日の停学ですかね」
「その程度で済むのかい?」
「そりゃ、まだまだ俺は子供ですから。『普通』子供の過ちというのは一回くらいなら許されるものですよ。それに今回、最初にやったのはコイツらだ。だったら俺はそこまで悪くない。『普通』、やられたことは倍返しをするものですしね。まさかコイツらも反撃されないなんて高をくくっていた訳でもないと思いますし」
血相を変えて走ってきた教師達の元へ向かう彼は、そんなことを言いながら三人を踏み越える。血溜まりさえできているようなその惨状に私のクラスメイト達は恐怖し、怯えていた。
その恐怖は私に向ける恐怖とは異なる。異物や未知に対しての恐怖ではなく、既知の恐怖だ。人間の純粋な暴力性を再認識した、そういう恐怖だった。
「なるほど、なるほど。君の『普通』ってのは、そういうことか」
「? 何を言っているんですか。『普通』なんてものは、『普通』でしかないじゃあないですか」
「そう思うならその方がいいさ。『天才』の定義と同じだ。『普通』の定義もまた同じことが言える。……なるほど、確かに君は『普通』だ。私とは違う。そして特別でもない。君はいつでもどこでも『普通』だ」
彼は普通故に、何者にも染まらない。彼は彼で有り続ける。自分を含めた百人の内九十九人が右と言っても彼は左と言うのだ。何の躊躇いも迷いもなく、ごく普通に。
教室に連れられ職員室へ向かう彼を呼び止め、私は問う。
「県裕二。君に提案だ。――この学校に自由に使えるスペースは欲しくないかい? 例えば放課後にそこへ向かい読書を楽しむだけの空間とかだ。どうかな、後輩くん」
「――! ……そこに『天才』が居たりはするんですかね、その辺り僕はもっと情報が欲しいですね、先輩」
そのたった一往復の質疑応答が、他の誰にも分からない。しかし、『天才』と『普通』故に分かりあえた、互いを認めた瞬間だった。
これは誰もが口を閉ざしている過去の事実。『普通』と呼ばれる彼が、『天才』の側にいて、それでも尚『普通』であり続けている理由。
『天才』も恐ろしいが、『普通』もまたごく普通に恐ろしい。
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