【過去編】『天才』→先輩:彼→後輩(上)

 これは一年前の話だ。

 まだ萩原はぎわらあいは高校生になっておらず、あがた裕二ゆうじは一年であり、そしてながれ星香せいかは変わらず天才だった頃の話だ。


 何やらよく噂になっている人がいる。一年上の先輩で、どうやら『天才』らしい。

 ただその『天才』という言葉は、どうにも悪い意味で使われているようで、だから俺は興味を持った。

 自他共認める『普通』の俺は、そんな自分が少し苦手だった。

 中学生の頃なんて、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなく、他人とは違うことをしようと躍起になっていた。

 その頃に比べれば落ち着いたのだろうと我ながら思う。まぁ、あくまでも我ながら、だが。

 ともかく。

 『普通』の俺からすれば、例えそれが悪い意味だとしても『天才』――『普通』の対義語と言っても過言ではない名詞――を持つ存在、それも俺と同じように自他共に認めているらしい、そんな相手に興味を持つのは必然だった。

 彼女がいるのは二年二組、二階の一番奥の教室だ。自由な校風という名の放任主義である学校な為、クラス間は勿論学級間の交流もお咎めはない。

「……ああ、あの人か」

 ふらりと二年二組の教室を覗いてみて、一目で窓際最後列に陣取る彼女だと理解する。それだけの雰囲気が彼女にはあった。

 視線というのは案外物理的な何かを持っているのかもしれない。

 彼女はすぐに俺の視線に気付き――気が付けば目の前にいた。

「っ!?」

 正確に言えば一瞬という訳ではない。何が起こったのかは正しく理解できる。机の上にその華奢な片腕だけで自らの体重を支え上げて机の上に乗り、更にその着地の勢いを利用して机を蹴り飛ばし、俺の眼前に来たのだ。理屈としてはあり得る。だが、それを――恐らくは何の練習もなく――やってみせるというその異常さに俺はした。

 それだけで今回の目的としては充分な成果だというのに、だ。

「やぁ、。初めまして、が、私には君に用はない。一体何の用かな?」

 矢継ぎ早に羅列された言葉は、完全に常軌を逸していた。

 一年下の人間の名前など、部活などでなければ普通は覚えていないはずだ。そして、自らに用があることを見抜いている。

 何から何まで見透かされているような気がして、警戒されない為の笑顔を引きつらせてしまう。

 いや、と思う。

 そういえば自分は彼女――流星香のことを知っている。だからつまり、『天才』のように名の知れ渡った相手であれば知っていてもおかしくはない。

 まぁ自分がその名の知れ渡った人間ではないことは重々承知している。どこまで行っても県裕二はどうしようもなく『普通』なのだから。

 そして後者、自分に用があるか否かも考えてみれば普通のことだ。一年下の生徒が教室に覗きに来る理由など『天才』くらいしか用はないだろう。

 つまりはそういうこと。名前を覚えていることを除けば別に普通のことではないか。

 ふぅ、と息をいて、心を落ち着かせる。

「別に、大した用は俺もないですよ。興味本位です。かの有名な『天才』を一目見たいと思いまして」

「……へぇ。くくっ、、君は」

 にやり、と『天才』は笑う。たったそれだけで、周囲がざわついた。

「…………」

 周囲を一瞥する。何かに怯えるような、何かに苛つくような、そんな人々ばかり。事実上は先輩なのだろうが、しかしそうとは思えない。

 蛇に睨まれた蛙、といったところだろうか。『天才』に支配されてしまって、その一挙手一投足を注視し、警戒している。いつ食われるのか分からないから。

 そんな感情を周囲からは感じた。


 その日起こったのは、たったそれだけだ。

 それだけで俺は『天才』に認められた唯一の人間、とそんな噂が広がった。

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