僕と後輩

 ホームルーム教室のない校舎の隅の隅の教室。両サイドには図鑑や辞典から小説漫画雑誌と様々な本がぎっしりと詰まった大きな本棚が二つずつ並び立ち、真ん中には学校でよく見る長机二つを組み合わせた一つの大きなテーブルと、椅子が二つ。端の方にもう一つ椅子があるが、それが活用されることはまずない。

 この部室には基本的に最大二人までしかやってこない。

 一人は俺、あがた裕二ゆうじであり、もう一人は先輩ことながれ星香せいかだ。基本的にはどれだけ早く来ても、先輩はさも当然のようにこの部室にいる。この部室に来て何かをしている訳でもない。本を読んでいたり、或いは外を眺めていたりしているだけ。

 ならば別にここでなくとも、と思ったがどうやらそういう話ではないらしい。先輩にとってはここにいる事が需要であるらしい。

 しかし、今日はいない。いや、正確に言えば毎週の金曜日は決まってこの部室には訪れない。だから俺が訪れない限り、今日――金曜日にこの部室にやって来る人物はいない。

 少なくとも、去年はそうだった。だが――。

「先輩先輩先輩変態先輩先輩!!」

 ガタン、ドゴン、バタン、と一体どうしたら学校の教室の扉でそんな音を鳴らすことが可能なのか、と疑問に思う程の騒音を撒き散らしながら後輩、萩原はぎわらあいがやってくる。

「少しは静かに入る努力をしろ。さり気なく変態を先輩の中に入れるな。そしてそんなくだらないことを突っ込ませるな。あと帰れ」

「わー、そんな一気にまくし立てないでくださいよ。聞いてないですし」

「取り繕う努力をしろ」

「あははは」

 豪快に笑って誤魔化しながら、愛はいつもは先輩の座る場所に座る。

「それで? 今日は何のようだ?」

「んー、特に用事はないです。今すぐ帰っても問題もないくらいです」

「なら帰れ。友達とラインとかしてろ。っていうか、なんでお前は俺に食い下がって来るんだよ」

「えー、なんとなくですよ、なんとなく。先輩はなんか、他と違うじゃないですか。いや、流先輩は先輩の何倍も変人ですけど」

「……ほう、で?」

「だから、興味本位です。同じ猫科でも、普通の猫と虎って違うじゃないですか。で、その虎に興味があったら見に行くじゃないですか」

「なるほど、動物園の動物扱いか」

「まぁ、そうです」

「いやだから取り繕う努力をしろ。素直が美徳なのは、小学校低学年前までだぞ」

「へ? 嘘は吐いたらいけないでしょ」

「……はぁ、もういい。お前は先輩と違う方面で戦う気が失せる」

 星香先輩が意識的に戦意喪失させる故に、愛は純粋無垢故に。効果は同じでも、その根本は全く違う。

「そうですか。じゃあ、また飽きるまでここに居させてください」

「はいはい」

 愛もまた先輩と同じように、先輩と同じ席に座ってやはり何もしない。

 俺を見ている訳でもなければ、何か目的があってここに来る訳でもないらしい。

 そんなことを言えば、俺だって同じようにここに目的がある訳ではない。あえて言うなら、ここが本を読むのに、或いは少しの時間を潰すのに適しているからここに来るのだ。

 きっと先輩も、そして愛もまた似たようなものなのだろう。それだけは何となく、理解している。

 この部室に目的があるからではなく、この部室があるからやって来るのだ。その仔細については問うつもりはない。それに、知ってしまうということは関わるということになる。

 そういう面倒事は、正直避けていたいという本音もある。良くも悪くも、深い付き合いなんてしたくないのだ。

「…………」

「…………」

 何度目かのチャイムが鳴る。窓の外を見てみれば既に太陽は沈みかけており、赤を越えて深い青色が空を埋め尽くさんとしていた。

 とんとん、と肩を叩いていつの間にか眠っていた愛を起こす。幸い、愛の目覚めは良い方で、欠伸をしながらもすぐに目を覚ましてくれた。

「おはようございます、先輩」

「おそよう。鍵を締めるからさっさと出てくれ」

「りょーかいです」

 んー、と愛は背を伸ばした後、俺の後ろに続いて廊下に出る。締めた鍵を職員室に返しに行って、そのまま校舎の玄関へ。

 俺は徒歩通学で愛は自転車通学だ。

「それじゃ、さよなら先輩。また金曜日に」

「用事がないなら来るな。あっても来るな」

「またまた。照れなくてもいいんですよ? 来てくれて本当は嬉しいんでしょ?」

「思想の自由は認めてやるが、それ以上を認める気にはならないからな?」

「あはははは!」

 豪快に笑って、愛は通学路を自転車で走り去っていった。

「全く」

 溜息を一つ漏らして、俺もまた帰路に就く。まだその息は白く染まってはいない。

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