第59話-「あなたにしかできないのです!」③



 電車を降りて一目散に駆けだす。

 少しでも時間が惜しい。


 たった今、優月の手紙で気付くことができた正直な想いを、なんて言えば良いかなんてさっぱりわからないこの複雑な心情を、優月にちゃんと伝えられるだけの時間が欲しい。


 大きいキャリーバッグや旅荷物を抱える人々を掻き分けながら篤は全力疾走で、竜也からメールで指定されたエントランスを目指す。


 その間もずっと篤の頭の中には優月の言葉が連なっていた。


『篤へ。そういえば手紙書くのって初めてかも……。じゃあこれって初めてのラブレターよ! どう? 嬉しい?』


 いつも通りに始まった陽気でマイペースな優月。


『謝らなきゃいけないことだらけだよね。ごめんね。勝手に出国早めてさ、お別れもせずに……。篤がこれを読んでる頃にはきっともうあたしは空の上なんだよね。最後まで好き勝手だった。本当にごめんなさい』


 わかってるなら勝手に行くんじゃねえよ。


『でもね、会うと決心が鈍ると思っちゃったんだ。だって、篤と一緒にいたら少しでも死ぬことが恐いんだもん。たった一ヶ月なのに、あとは恋人さえできたっていう事実さえ残れば、死んでもいいって思ったのに、死にたくないよ』


 優月の痛みが、苦しみが可愛らしくも綺麗な文字から伝わってくる。


『季節は変わっていってさ、普通のカップルだったらクリスマスとか初詣とか一緒に行くでしょ? 一緒に進級して、一緒にデート行って、一緒に……一緒に……』


 無数の水滴の跡があり、紙はよれてインクも滲んでいる。丁寧な優月の字は行を重ねる毎に力無く崩れていき、後半は読めたものではなかった。


 そして手紙の終わりに、最後の力を振り絞ったように、そこにはひとつの確かな想いが記されていた。そのあまりにも飾り気のない答えは、篤の心のもやを吹き飛ばして、たった一つの決定的な結論に導く。


『そういえばもう一つ篤に隠してたことがあったんだ。隠してたってよりかは言えなかったんだけどね。理由はこの恋が期間限定の仮初かりそめの恋だったからよ』


 仮初の恋だなんて、今更なに言ってんだよ。


『一ヶ月が過ぎたらこの契約は終了で、あたし達の関係は白紙に戻る。けどね……もうそれじゃあ気持ちを抑えることができないんだ。笑っちゃうでしょ? もう無理なの。篤の顔見てるだけで、その想いが溢れだして、離れるのが、死ぬかもしれないのが、すごくすごく恐い』


 そんなこと言われたら、俺だって抑えられねえよ。


『だって……篤はどう思ってるかわからないけど、あたしはこの一ヶ月じゃもう終われないくらい篤のことが――』



『好きなんだもの……。愛してるよ、篤』

「気付いたんだ。俺もそうだ……、優月」



 篤は呟いて走った。

 走りながらこの一ヶ月を正直な気持ちで顧みえる。


 今思えば、全部そうだった。

 試合で負けたくなかったのは、女の前で無様な姿を見せられなかったからじゃない。勝って優月の喜ぶ顔が見たかったのだ。矢代に取られたくないと思う嫉妬心があったからだ。


 喧嘩で手が出せなくなったのは優月と約束したからじゃない。その当時の鬼のような姿を見て嫌いになってほしくなかったからだ。


 優月の親父に手を引けと言われた時にその場で崩れ落ちたのは優月の病気に打ちひしがられただけじゃない。優月と離れることが、そして優月が消えてしまうかもしれないというのが恐ろしかったからだ。


 優月が好きだ。やっと気付いたんだ。やっと気付けたんだ。なのに……行かないでくれ。


 あの時、母親を失ったときの感情がぶり返してくる。

 別に他は望まない……。だから、頼むよ……優月を連れて行かないでくれ。全部俺がぶっとばすから。だから、頼む。俺の隣にいてくれ。


 そんなことは無理だとわかっている。

 しかし、胸から溢れる初めての純粋な気持ちはそれだった。


 竜也に指示された通りの入口から空港内に走り込むと、すぐに中野と優月の父親がいた。

 中野は肩で息を切らしながら優月の父を凝視する篤の姿に信じられないと口を覆う。

 そして、そんな篤をじっと見据える隣に向って思い切り頭を下げた。


「相原先生、お願いです! どうか早乙女さまが最後にお嬢様に会うことを許可して――」

「中野。それは先程も聞いたよ」

「良いと言ってくれるまでこのまま動きません!」


 唇を噛みしめて唸る中野に笑ってため息をつき、優月の父親は篤に歩み寄ると一言声をかける。


「もう時間がない。中野に案内させるから急ぎなさい」

「えっ……?」


 篤は目を見張り、中野も思わず声を漏らす。


「引き離そうとして、すまなかった。私も君と同じだったことをすっかり忘れていたよ。さて、中野。仕事も詰まっているし私は一人で帰るから彼を頼む」

「え……あっ……はい。もちろんです! 早乙女さま、優月お嬢さまはあちらのゲートです。すぐにっ!」


 中野に急かされてまた足を走らせる。しかし、篤は一度振り向いて丁寧に頭を下げた。

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