第14話-「最後の晩餐を食べにきたの」①

「……ったく、なんなんだよ。あのクソ女」


 放課後。篤は一人、誰もいない教室で文句を垂れ流していた。


 やるなら先手必勝だなんて息巻いて、自分から優月に「帰るぞ」と言ったものの、今日も職員室に用があるから待っていろと命じられたのである。


 本当に一緒に帰りたいわけでもない相手に待たされる。篤にはそれが理不尽に思えてしかたなかった。

 それに優月を呼びに行った時の周りの反応、


『やっぱり本当に付き合ってるんだ』

『よりにもよって早乙女かよ』

『優月ちゃんが変なの? それとも早乙女くんが無理矢理……?』


 全部聞こえていた。そんな苛立ちの火種を連発で浴びせられたおかげで眉間には皺がより、目つきは最悪。机に戻るとおもいきり背もたれに身を預け、足を机の上に投げ出した。そんな不良少年丸出しの篤に恐れてか、普段なら数人は残っている教室も今日は一人の人影もなく、街の彼方の時報が聞こえるほど閑散としている。


 篤は少し落ちこうと深く大きく息を吐いた。


 試合前にこんなモチベーションでは勝てる試合も勝てなくなる。とりあえずリラックスすることが重要だ。そう自分に言い聞かせて茜に染まりゆく窓の外に目をやる。


 どうせ一ヶ月だし、その間しっかり戦ってやる。篤はそんな心づもりだった。

 まだわからない感情も、不満な気持ちも、もやがかった心境も、一切拭い切れてはいない。しかし、友人の言葉によって気分はいくらか晴れていた。まずは相手の前に立ち、構える。それが一番だ。


 今、篤の中で相原優月は彼女であり敵である。確かに弱みと言えるものはあちらが所持しているが、だからと言って負けてたまるか――なんて考えていたものだから、篤はさらに困惑した。


「ぜぇぜぇ……篤っ! ごめんねっ、ゴホッ! 昼もごめん。それに今も待たせてご……ゴフッ!」


 飛びこむように教室の戸をぶち開け、むせた口もとに乱した髪を被せている優月は開口一発目で深々と謝ってきたのだ。


「待ったよね? ごめん、今すぐ仕度するから――」

「……とりあえず落ち着けよ」


 なんだろう。これが俺の敵……には到底見えなかった。

 優月はありがとうと苦しそうに微笑むと鞄からピンクの水筒をひっぱり出して一息つく。


「ふー……、落ち着いた。でも本当に良かった。もしかしたらもう怒って帰っちゃったんじゃないかって、すごく心配だったの。嬉しいよ、篤」


 乱雑に散らかった髪を手櫛でまとめながら篤に歩み寄る。淡い夕日に映える笑顔はまるで無垢な子供のように甘くほころんだ。優月を中心に世界の全てがパステルカラーに見えた気がして篤は思わず瞬きをする。


「なに、どうしたの? 珍獣でも見るような顔しちゃって。これでも乙女なんだから、そんな目で見られたら多少は傷つくわよ?」

「いや、別に……なんでもねえよ」


 篤は試合開始そうそう調子を狂わされていた。昼に怒ってきたと思えば、今は急に謝ってきて、あげくの果てにはこんな笑顔まで見せてくる。まったくわけがわからない。


「なんでもないって、それはそれで傷つくわ。……はっはーん。それともあたしが可愛くて見惚れちゃったってわけ?」

「――っばかじゃねえの! そ、それはありえねぇ!!」


 本気で即答する篤を眼前に優月は一瞬なにかを悟ったように目をまるくして顔を薄らと赤く染めた。


「ま、まさかね……冗談で言ったつもりだったけど、わかりやすいってのもここまでくると……照れちゃうよ」

「はあ? なに言ってんだ?」

「なんでもないよっ! それで自覚ないんだから篤は本当に……もうっ!」


 語尾にハートのお花が咲いたような言い方に、なおさら篤は首を傾げた。


 なぜかご機嫌な優月に不審の眼差しを向けながら、篤が荷物を持って立ち上がると、そいつはすぐ横でつま先立ちになり、耳元でささやく。


「ねえ、篤。そういえば今これって、誰もいない放課後の教室だよね。……いけないこと、できちゃうね」


 優月の甘い吐息と洗剤のような香りが鼻をくすぐり、篤は自分の顔がみるみる熱くなっていくのを感じる。ブリキ人形のようにぎこちなく声のした方に顔を向けると、優月が上目遣いで、くすりと笑った。


「……ふふっ、冗談だよっ!」

「んだっ……! んなのわかってるに決まってんだろ! とにかく帰るぞ!」


 篤は虚勢を張って、優月の額にデコピンをかますとそのまま教室を出た。後ろからは荷物をまとめた優月がなぜか嬉しそうに額をさすりながら小走りで駆け寄ってくる。


 とりあえず負けてはいないだろう。なんて篤は自己肯定するが、もはや試合をしているような心境にはどう頑張ってもなれなかった。やっぱりボクシングと女じゃ比べようがなかったことを改めて実感せざるをえない。


 それと篤が実感していることがもう一つ。これは誠に不本意だが、相手のペースに呑まれているのは間違いないということだった。

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