第11話-「紅茶じゃないわ。ダーリンよ」①
翌日。今日も篤は朝学活の前、机を抱くように突っ伏していた。
結局昨晩も遅くまでやりこんで、父親代わり兼コーチの叔父に「休むのもトレーニングだ」と強制終了させられたあげく、現役時代の話を延々と聞かされた。だが篤はそれをもお構いなしに今朝も拳を振るってしまった。そうしていないと落ちつかったのだ。
おかげでこの様。まるで氷海から上がってきたトドのようになっている。
あいかわらずだな、と笑う竜也に力ない返事して目を閉じようとした時、そいつは突拍子もなく囁いた。
「なあ篤。今日一緒に優月ちゃんと話してみないか?」
……なに? 数秒の間を空けて篤は跳ね起きる。
「はっ!? 俺も?」
「そう、篤も。ほらオレも篤もまだ優月ちゃんとしっかり話してないじゃん? 昨日は彼女と一緒に飯食ってたから昼休みは全然だしよ。篤なんかまだ一言も会話してないだろ」
「いや、まあ……なんというかな……そりゃそうかもしれねえけどよ……」
「なに照れてんだよ。それに昨日言ったけど、篤からも少しずつレディーに心を開いていかねえと! そういう意味では転校生なんて超優良物件じゃね? クラスの女連中みたいに目が合っただけで逃げていくこともないしよ」
「別に俺は女なんか……」
「つべこべ言ってねえで――って来たぞ、優月ちゃん! 今日も可愛いなあ」
ガラリと可憐に戸を開けて優月が教室に入ってくる。扉の開け方ひとつで自分とはこんなにも違うものかと篤はわずかに感心した。
優月は今日も例のお嬢様学校の制服に純白のセーターの袖を指先まで被せていていた。その無垢な容貌が幼くもあるし、それでいてしなやかな身体つきはどこか色っぽい。朝の日差しをふんわりと浴びた頬は優しくつやめく。
戸を閉めて向き直ると優月は辺りをきょろきょろと見回し、さっそくできた友人たちとあいさつを交わす。首が振れるたびに揺れるお団子髪を篤は追うように見ていた。
すると、ふいに篤の焦点が優月の視線と重なった。優月は視界に篤を捉えると急に目つきを険しくして、バッグも置かずにこちらに向かってくる。
「おっ、優月ちゃんオレのこと見てないか? せっかくだからもう声かけちまおうぜ! ――優月ちゃん!」
嬉しそうに優月に手を振る竜也。
だが、篤は悟っていた。おまえじゃない、と。そして今、優月の視線の先にあるのは間違いなく俺なのだと。加えてなにか怒っているようにも見えた。
竜也に気付き、にっこりと取り繕った笑みで手を振り返しながら優月がやってくる。またなにか嫌な予感がして、篤は再び机に突っ伏した。
なんで俺があいつを避けるような真似しなきゃいけないんだ、とは思いながらも暗い視界の中で静かに周りの声に集中する。
「優月ちゃん、おはよ!」
「妹尾くんもおはよう! 昨日は歓迎会ありがとね! すっかりお礼言いそびれちゃった」
「どーいたしまして! それにそんなの気にするなって、オレら友達じゃん?」
「えへへ、ありがとっ! そう言ってもらえると嬉しいな」
朗らかな声が篤の鼓動を少し早める。
「それでさ、優月ちゃん。せっかくだし少し話さね? 紹介したいというか、ちょっと話させてみたいっていうか……こいつ結構、優月ちゃんと話合うと思うんだ――って寝てる!? おい、このバカ!」
「ふふ。奇遇ね、あたしもちょうど彼と話したかったんだぁー」
「え、ほんとに!? それは好都合だ。ほれ早く起きろ! 篤!」
優月の声が棒読みだと感じてしまうのは気のせいだろうか。
なにも知らない竜也がより力強く肩を揺さぶるのを堪える篤だったが、
「そうよ、ダーリン。起きて。昨日のことはどういうつもりなのか説明してもらわないと」
冷徹な声の響きに背筋は嫌に逆立つ。
「ダ、ダージリン?」
竜也の呆けた声が聞こえ、わずかに周りもざわめき始めた。
「妹尾くん、紅茶じゃないわ。ダーリンよ」
「えっ、ダーリンって……もしかして、篤のこと? それに昨日って? ……なあ、篤。オレ状況が読めないから説明しろ。まず起きろ」
「ぐぅー……」
「おい! わざとらしいというか、それ以前にキャラに合ってねえんだよ!」
自分だってそんなことはわかっている。それに昨日のことってなんだ。昨日は優月が一方的だっただけで俺はなにもしていない。逃げ場のないこの状況で篤はまた困惑するが、優月の次の台詞で顔を上げざるをえなくなったのは言うまでもない。
「いつまでもシラを切るつもりなら仕方ないわね。本人がこの調子じゃあ、周りから崩していくしかないかな……」
優月はひとつ息を吐くと少し大きめの声で、わざと周りにも聞こえるように堂々と、
「――そう、篤はあたしのダーリンなの! 昨日一緒に帰る約束したのに、先生に呼ばれている間に勝手に帰っちゃう超絶ぶっきら棒のバカ彼氏。その名も早乙女篤! 起きなさいっ!」
言った。言いやがった。
というか、なるほどな。それで怒ってんのか。あれは約束だったのか。
小さい手に両頬を抑えられた状態で起こされ、目を開ける。そこには優月の潤んで不機嫌な瞳と横にはまん丸に見開かれた友人のあほ面。
そして教室が絶叫で渦巻いた。
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