第10話-「彼女がいるって悪いもんじゃないぜ?」③


 帰宅して普段の練習メニューを終えても、篤はひたすらサンドバックに撃ちこんでいた。


 竜也の言っていたこと、中野にまったく敵わなかったこと、そして優月のこと。そいつらはいくら殴っても消えていかない。消えるまでやり続けようと思ったが、篤の体力が先に限界をむかえてしまった。


 大の字に寝転がり、飾り気のない真っ白な天井を見る。

 でも不思議なことに、いつものようにただ苛つくというわけではなかった。何かもっと別の感情が、まだ出会ったことのないむず痒さが篤を支配していた。


「相原優月……」と無意識にぼやく。それに気付いて頬を自らビンタする。


 おかしな話だ。あれだけ女が嫌いだというのに、篤は優月を心のどこかで興味ありげに見ている。でもそれは肯定的ではないかもしれない。ただ納得がいかないから、いろいろとはっきりさせたいのだ。なんて篤は自分で決めつけている。


 竜也からもあの後、優月に関する話をいくらか教えてもらった。


 まずは、この町一番の総合病院の院長の孫娘であり、父親もそこの医師でもあること。そしてつい先日までは都心のお嬢様学校に通っていたということ。来月からはアメリカに留学するということ。留学する前に普通の共学に通いたかったという理由で無理を言って転校してきたということ。


 この過疎地域への貢献度が高い病院の御息女であることを考えればいくらか融通を利かせてもらったといえるだろう。


 ちなみに血液型はB型。好きな食べ物はチョコとイチゴのフレンチドーナッツ。好きな男のタイプは強い人。強いの基準は不明。そして、とにかく可愛い。それは認める。


 竜也曰く、見たかんじでは控えめだけど、実は気が強くてわがままなタイプだそうだ。

 篤にはどう考えても甘やかされて育った傲慢で高飛車な女にしか見えないが……。


 しかし、何にせよ、


「――相原病院か」


 ゆっくりと瞼を閉じて呟く。

 竜也からその名を聞いた時に篤の心にはまた一つ解消できない霧がかかった。


 あそこは嫌いだ。踏み入れてはいけない違う世界との境界がある気がして、あの場所にいくと、なぜかいつも脳天からつま先まで冷たくなる。生きた心地がしない。


 なぜこのように想うのか、それだけは明確だった。

 そこが篤の父親が死んだ場所で、母親を失ったことを理解した場所だったからだ。

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