第6話-「あたしの彼氏になりなさいっ!」①
叔母特製のスタミナ弁当をいっきにかきこんで芝の上に寝転がる。
学校の裏門を少し出たところにある短い桜並木の一角。そこが篤のお気に入りだ。
人通りもなく静かだし、芝の上というのはなんだか落ち着く。なにより耳障りに騒がしい教室にいるより、夏の熱い日も冬の寒い日もここにいた方が何倍もましだと思っていた。
だから竜也のいない昼休みはほぼ毎日ここで一人弁当を食い、午後の授業までを過ごす。
いつかプロになったら入場曲にしようとひそかに企んでいる流行りのラップをポータブル音楽機器に繋いだイヤホンから流し、篤は静かに芝の上で寝返りをうった。
「やっぱり寒いな……」
いくら秋晴れで日差しが暖かいといえど、もう十月の終わり。さらに風通りのよいこの場所は体感温度を容赦なく下げてくる。
寒さを紛らわせようと小さく身体を縮こませた時、唯一の暖取りである日の光が急に隠れて、視界に影がおちてきた。篤は不思議に思って顔を上に向ける。
するとそこには人影があり、
「――さっきから呼んでるんだけど、聞こえてないみたいだからこれ外させてもらうわね」
右耳にさしていたイヤホンが急に抜き取られた。
逆光に目を細めて、そいつを見る。
篤に跨るように立ち、前かがみでわずかにふっくらとした胸元には艶やかな黒髪が落ちていて、柔らかそうな口元は優しく笑っている。頭の上には綺麗にまとまったお団子状のものが乗り、しなやかな指先で取ったイヤホンをくるくると回していた。
相原優月。篤はそいつが転校生だとすぐにわかった。
「あなたが早乙女篤くんよね? 朝言ったけど、あたしは相原優――」
「失せろ。そして俺のイヤホンを放せ」
それが二人の初めての会話だった。相原は目を見開くと口元をピクリと引きつらせる。
「おぉー。こいつは噂通りの堅物ね。というか君さ、こんな美少女がなかば馬乗りになっているのに照れとか動揺のひとつくらいないわけ?」
「美少女? なに言ってんだ、おまえ。いいから早くどけよ。うぜぇし寒い」
「なっ、んなっ、なにをー! でいっ!」
「ぅがっ! て、てめぇ、なにしやがんだ!」
本気であしらう篤を凝視して相原は顔を真っ赤にすると、そのまま腰を垂直に、のみぞおちへ落ちてきた。篤は痛みと初めて味わう女子の太ももの感触に頭を乱され、上体を起こして拳をあげる。しかし、さすがに女に手を出すわけにはいかないのでその場でぐっと固まった。
「おぉ! ちょっとびっくりしたけど、さすがに女の子に暴力をふるうなんてことはしないみたいね。ここは噂とは違ってて安心した。偉いぞ偉いぞー」
相原は幼稚園児でも褒めるように篤の頭をぺしぺしと撫でる。
それに対して篤の眉間は当然のように狭まり、口はへの字を通り越して歪な形を作った。
「おまえ、いい加減にしないと本気で突き飛ば――」
「叫ぶわよ?」
「……は?」
「だから、叫ぶって言ったのよ。君があたしに手をあげようものなら、この場で泣き叫んで助けを乞うから。あたしの悲鳴で駆け付けた人達はどう思うかな」
相原は見下すように微笑むとウィンクをする。
「不良少年と美少女。これは強姦と思うのが普通よね」
「こ、このクソ女……」
「大丈夫、ちょっと話したいだけだから。別になにかしようってわけじゃないよ。でもこうでもしないと君、話を聞いてくれなさそうだし」
言って、相原はそのまま語り始める。
「改めて、あたしの名前は相原優月。というか、ちゃんと人の自己紹介とか歓迎会とか聞いてなさいよ。君だけよ、寝てたの。それはそれは可愛い優月ちゃんにとって心の痛むものだったわ! あんなに無関心な態度されたの初めてなんだから!」
篤が怒り半分、そしてわけのわからなさ半分の視線で見返すと、相原は一つ咳払いして、ぐっと顔を近寄せる。
「おっと、取り乱した、ごめんごめん。話を戻すね。そして単刀直入に言うわ。あたしはこれから一ヶ月、あなたのパートナーになる人間よ」
「は?」
今度はもう百パーセントわけがわからなかった。篤は口を半開いて相原を見る。
すると相原は顔を夕焼けのような淡い朱に染めて、小さく唇を解いた。
「君のパートナー。つまりは……その……君の彼女に……なるというか、なってあげるというか……」
「俺のパートナー? 彼女?」
「そうよ……。彼女よ、あなたの」
「俺の……彼女? そんなものはいねえよ」
首を傾ける。そんないまだにわけのわからない顔をしている篤を相原は恨めしそうに睨むと、開き直ったように右手をふりかぶり、そのまま人差し指を篤の皺寄った眉間に突きつけた。
「んっだぁぁー! 君、今の話の流れでなにもわからないの!? もしくは鈍感!? ええい、じゃあはっきり言ってやるわよ。君は選ばれたの。というかあたしが選んであげたの! 光栄に思いなさいっ! あなたと付き合ってあげるって言ってんのよ!」
相原は声を荒げて、なぜか目を潤ませて篤を睨む。
一方で篤の脳はしばし回転が止まっていたが、我に返ると驚いたようにまばたきをした。
「は? はぁ? おまえ正気かよ?」
似合わず声が裏返る。
いきなり見ず知らずの人間に付き合いを申し込むなんてこいつは頭が狂っている、篤はそう思った。だがそれ以上に篤はこの現状を受け入れきれていなかったのだ。
突然女に跨られ、互いの息が触れ合う位置で告白された。篤の下腹部には相原のスカートが被り、その中身はしっかりと篤の腹筋に密着している。言うまでもなく温かい。
しかも風に煽られて時々、石鹸のようないい香りが鼻をくすぐる。それに対して篤は昼に食べた弁当の臭いがしないかと思わず口をつぐみそうになるが、なんでそんなこと気にしないといけないんだと自分をかえりみたりする。というかなぜこの女は俺に告白してきた。俺だぞ? 竜也とかならまだしも、なぜ俺なんだ。いや、何を考えてる。そもそも――篤の脳内は完全に錯乱状態だった。
さすがに女嫌いと言えど年頃の男子だ。それにその性格のせいでこれまで一切と言っていいほど同年代の女子との関係を断っていた篤にとって、この状況は完全にキャパシティーを越えていた。一ラウンド目にしてすでにダウンもらったような感覚に陥る。
そんな篤を意にも留めず、相原は自分のことで精一杯といったかんじで口を開く。
「正気よ。というか返事聞かせなさい。もちろん――」
「ああ……そうだな。もちろん――」
篤はまだ現状を整理しきらないまま、しかし一つだけ明確な答えをしっかり相原に向けて放った。
「喜んで受け入れるわよね?」
「却下だ」
二人の言葉が空気中でぶつかる。
すると相原は口をあんぐりと開けて「嘘でしょ……、君こそ正気なの?」と溢す。
「当たり前だろ。そんな見も知らねえ女と、というか誰が彼女なんてほしいと思うか」
「あ、ああ、ああああありえないっ!! なに言ってんの!? このあたしが、この相原優月が彼氏にしてあげるって言ってんのよ!? 君の目腐ってんじゃないの?」
「腐ってるのはおまえだ。いいか、俺は女が好きじゃねえ。それにおまえみたいな女が一番嫌いなんだ。身勝手でわがままで、強くもねえくせに高飛車で、女王様気取りか? はっ、笑わせんな」
篤が吐き捨てると相原はゆで蛸のように真っ赤になって、
「ちょっと! 初見で人のことをどんだけ馬鹿にするわけ!? あたしのこと全然知らないくせにっ!!」
「ああ。まったく知らねえよ。けどそれはおまえもだろ! というか全然知らない相手に告白されてどう答えろってんだ」
「そんなの一発承諾でいいじゃない! にこにこ即答YESでしょ!」
「……意味がわからん」
「とにかくありえない、許せない、認めないっ! このあたしが初めて男に告白してフラれるなんて! かくなる上はっ!!」
相原は深呼吸して一度落ち着くと奇怪に笑い、急に顔を篤の眼前へと接近させた。
二人の距離はもう拳すら入らないほどで、口元には相原のやけに甘い吐息がかかり、思考は一瞬停止する。
そしてその刹那、篤は覚悟した。この女がなにをしようとしているか、そして自分がそれを避けようがないということに。もう次の瞬間には互いの唇が触れ合うという事実に。
だが、
「――ふふっ。キスするとでも思った?」
相原の目が本当にぶつかりそうな距離で微笑む。
「し・な・い・よ。そんな簡単にするわけないじゃん」
神経を逆撫でするような声が愉快そうに高鳴る。してほしかったわけでは断じてないが篤は大きく舌打ちをする。
「というか女に興味ないって、ゲイなの?」
相原は見下すように、なおかつ思わず殴りたくなるほど得意げな顔をする。
篤は拳を握り思う。はたして俺はこれに堪えられるのだろうか……と。
「あとみんな不良とか言ってたけど、実は女も倒せないようなチキンくんなのかなー?」
額に青筋が立つ。無理だ。堪えられるわけがない。
「やっぱりゲイチキンな――」
「てめぇ!! クソアマっ!」
腹筋にいっきに力を入れ、思い切り上半身を跳ね起こす。――瞬間、反動で相原の身体は軽く宙を浮き、後方へ倒れ行く。そして驚いた表情を見せたが、
「かかったわねっ!」
相原は素早く篤の両手を掴み、計算通りとでもいうように自分の方へ引いた。すると力のベクトルはそのまま相原へ向かい、篤は自分の力に導かれる形となって、
「んなっ!」
「ひ、ひゃっ!」
今度は篤が相原に馬乗りになる形で倒れ込んだ。
そしてここまでは相原の計算通りだった。ただひとつの誤算を除いて。
その誤算とは――――。
「……むにっ?」
篤は呆気にとられたまま、妙な感触と振動を伝えている自分の右手に視線を落とす。
勢い余って体勢を崩した篤が右手でとっさについたのは地面ではなかった。それは篤の想像をはるかに超えた温かくて柔らかい膨らみ。普段見慣れている暑苦しい男共の胸筋とは似ても似つかない脂肪の塊。ちょうど篤の大きい拳に収まる大きさの、それ。
しかもそれを鷲掴んでいる。右手からはばっかんばっかんと溢れかえったマンホールのように強烈な鼓動が伝わって脳まで届く。もう完全に思考は停止した。
そして固まったまま目線だけを少し上に目を逸らすと、今にも泣き出しそうに潤む相原の大きな瞳。
「え、あ、違うんだ。これはわざとじゃなくて、というかそもそも、おまえが引っ張ったからで――」
なんで俺が言い訳しなきゃいけないんだ、とか思いながら、けれども篤は必死に言葉を継ぐ。
しかし、相原は泣きそうな顔を歪な笑みで緩ませるとぐすん、と鼻をすすり、
「えぇぇぇぃ。気にしていられるかぁぁぁ――――!!
叫んだ。次の瞬間、予期せぬほど近い茂みから申し訳なさそうな返事が聞こえて――ぱしゃ。明るい光が二人を照らす。
「なっ!?」
まさか見られた!? 篤は驚いて急に入ってきたもう一人の声に向く。
そこにいたのは、とろんとした瞳にしっかり鼻までのマスクをかけ、軽くブラウンに染めた頭には白くて四角い帽子。というよりも上着の紺のカーディガンを除けば全身真っ白。胸元には赤十字のワッペン。
篤は思う。もし俺の頭がまだ正常ならば目の前にいるのはどう見ても……
自分よりもいくつか年上だろうか。しかし年を感じさせない童顔で控えめな印象の
落ち着け。やばい時こそ精神を集中して相手をよく観察しろと教わった。それに倣って篤は冷静に現状把握する。
今、俺は今日初めて出会った転校生に告白され、跨り、そいつの左胸を鷲掴みにして、くしくも突然現れたナースに現場を写真で撮られている……。
やっぱ無理だ。もう意味がわからない。
一ラウンド目、終了間際。篤の頭は完全にノックアウトされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます