第4話-「相原優月です。よろしくお願いします!」③
篤は女が嫌いだ。図々しいし、わがままだし、自分の思い通りにならないとすぐに泣く。女が男をべたべた触れてもなにも言われないが、女を無許可で男が触った日には非難轟々。ちょっと可愛いからといって調子に乗るやつも少なくない。
なのに……、
「なあなあ、篤よ。オレ的に転校生はやんわり美少女系だと予想しているんだが、どう思うよ? それにやっぱり最初は人見知りするくらいの方が可愛げがあっていいよな?」
なぜ
朝学活の前、先日の席替えで運よく当たった窓際の最後列。早朝練習のやり過ぎで負荷のかかった身体を机に突っ伏していると、前の席の竜也が椅子ごと身体をこちらに向けて、目を爛々と輝かせていた。
ぶっきら棒に「知らん」と返す。
そんな無愛想な篤の制服から飛び出た赤いパーカーフードをわざとひっくり返しながら竜也はふざけて笑う。
「……ったくおまえは相変わらず女に興味が無いよなー。ゲイか?」
「殴るぞ?」
「ちょ、ちょっと待った。冗談だって! それだけは勘弁してくれよ! おまえの一発は本気でシャレになんねえから――」
「二割くらいにしといてやるから安心しろ」
言って篤は上体を起こし、隼の如く竜也の脇腹にフックをかました。
「……っ痛でぇ! 死ぬ。誰か救急車をっ!」
悶絶する竜也に大袈裟だとジト目で見下ろすと、そいつはすぐに笑顔を取り戻した。
「でもよー。篤は顔悪くないしスタイルも良いんだから、こっちから歩み寄れば、簡単に彼女の四人や五人くらいできそうなもんだけどな」
「おい、誰の顔みて悪くないって言ってんだ? だいたいなんで彼女が複数形なんだよ。おまえと一緒にするんじゃねえ」
睨むと竜也は愉快そうに白い歯を光らせる。
竜也には常にとっかえひっかえ女が付いていた。無理もない。男の篤から見ても竜也は美少年なのだ。背は自分と差はなく高い方でスタイルも良い。どこかの雑誌にでてきそうな中性的な顔立ちで、髪もカーディガンも今時の高校生っぽくベージュに統一されている。
性格は温厚で社交的だが、どこか野性的な一面も持っていて、そこが女心をくすぐるのだと自画自賛するくらいだった。
ちなみに野性的な部分は一昔前の竜也を知っている篤からすれば納得がいく。〈
まあ結局、まとめて殴り飛ばしてしまったわけだったが……。なんて篤はもう欠片もない友人の獣のような眼光を懐かしみながら軽く笑う。
竜也と篤はまるで正反対だ。人が避けていく篤に比べて竜也の周りには人、特に女が集まる。しかし篤は竜也のことが嫌いではなかった。むしろ唯一好きだと思える人間の一人だ。男としてさっぱりした性格をしているし、一度ボコボコにされた
「じゃあ、もしその転校生が竜也好みだったら、俺が奪い取ってやろうかな」
すると竜也は豆鉄砲をくらった鳩のように目を見開いて「嘘だろ?」と呟いた。
「もちろん冗談。俺が女嫌いなの知ってるだろ?」
「ああ、間違いないな。なんたって篤はゲイだか――ごふぅっ! 今のは七割くらい力入れただろっ!!」
「いいや。三割だ」
さっきは右に入れたので今度は左の脇腹に一発決めた。累積ダメージによって竜也は腹を抱えて苦しんでいる。でも顔は笑っていた。
二人でそんなことを言い合っているとチャイムが鳴り、同時に教室のアルミ戸が乱雑な音を立てて開く。そして百五○センチほどの小ぢんまりとした様相の女が教室に入ってきた。そいつは慣れたかんじで教壇に立つと、いつも通り出席簿を開き、大きく息を吸い込んで吐き出す。
「はーい、じゃあみなさーん。出席をとりま――」
「おぉー! 転校生の子かっわいー! 黒髪ポニーテールの眼鏡っ子って大好きなんだ!」
竜也がさっそく茶々を入れ、周りからはくすくすと笑い声が聞こえる。
「んなっ……まったく妹尾くん! 転校生はわたしじゃありません! というか担任に対して可愛いとか……そんな破廉恥なこと許されませんからっ!」
慌てたように黒縁眼鏡をかけ直したそいつは担任だった。
大学を卒業し、二年目にして初の担任という大役を任されたそいつは顔を真っ赤にして竜也を叱ろうとするが、
「あ、ほんとだ。奈菜子ちゃんだった。てか先生、破廉恥ってどういうことですか? オレよくわからないから手取り足取り教えてほしいんですけどー」
竜也の意地悪な笑みに押されて「ぐぅ……」とさっそく根をあげると、同時につぶらな瞳に涙をためる。まだまだ教師としては未熟者だ。
「おい、竜也。あまりからかうなよ」
篤が竜也の背中を突くと、竜也は了解したように右手をひらひらさせる。
「そ、そうですよっ! 早乙女くんの言う通りです! そもそも妹尾くんはですねえ――」
「うるせえ。てめえも出席とるならさっさと始めろ」
篤がそう低い声で睨むと轟はかすれた悲鳴を発して、しょんぼりと出席簿に目を落とした。なにやら小声でぶつくさ言っているが、篤が大きく咳払いをすると一度肩をびくつかせ、諦めたように名前を呼び始める。
竜也が振り向いて「篤の方がよっぽど酷いだろ」と呆れ声で呟いた。
篤の女嫌いは教師だろうが関係ない。別にさっきも轟を助けたわけではなく、ただ単に学活が早く終わってほしかっただけだ。それを勘違いされては困る、と篤は思っていた。
嫌いなものは徹底的。そして嫌いな相手には自分のことも嫌いになってくれれば関わらずにすむから楽だ。なんて捻くれたことを思うことも多い。篤はそういう人間だ。
そんな篤をたまに横目で気にしながら轟は元気なく全員の名前を呼び終えて一息つくと気を取り直して廊下に向く。そして健気に微笑んだ。
「さて、ではみなさん。お待ちかねの転校生です!
周囲がざわつき始め、竜也が息を飲む音が聞こえた。
そんな喧噪を意ともせず、そいつはさらりと一歩、教室に足を踏み入れる。春風が通り過ぎたように教室の空気は入れ替わり、誰もがその姿に目を奪われた。そして次に姿勢よくこちらに向き直り、まずは無邪気に笑って頭を下げる。
「おい、おいおい、マジかよ……。やばいな、あれは」
振り返った竜也が嬉しそうに篤の机をばしばしと叩く。
竜也の言わんとしていることが篤にはわかっていた。
確かに文句なく可愛いのだ。いや、美人だというべきだろうか。
まず、うちの紺の制服とはまるで異なり、ブラウン系に赤くて大きなリボンがついた他校の制服を身に付け、両手は制服の下の長めな白セーターからちんまりと顔を覗かせているのだが、それがあざといくらいに可愛らしい。
背は轟よりも高く、百六○ぎりぎり無いくらいで細身。漆塗りのような黒のロングストレートを背中の中ほどまで靡かせ、後頭部には髪をそのまま団子にしたような、篤には構造のわからない工夫が施されている。
日の光を吸収して輝く白い肌とふんわりとした唇。笑うと浮かぶ笑窪。黒く清純な瞳。顔もスタイルもそこら辺のアイドルと遜色ないほど、というより負け劣らないほど整っていて、なおかつ気品がある。
しかも清純派をどこか少し着崩したようなあどけない雰囲気が無邪気さを損なわせず、無垢で底抜けな明るさがそのこっ恥ずかしそうな笑顔に纏っていた。
そりゃあタイプだろうがなかろうが、一度は見惚れるだろう。篤でさえ、その姿に一瞬見入ってしまったくらいだった。
「ごめんなさいね。ちょっと騒がしいクラスだけど、みんな優しい子ばかりだから」
「いえ、轟先生。とっても楽しそうなクラスでよかったです」
「そう言ってくれると嬉しいわ。じゃあ自己紹介をよろしくね」
「はい!」
言われてそいつはチョークをとると轟も驚くような達筆で自分の名前を黒板に書いた。
「
相原が再度頭を下げると教室からは「おー!」と歓声があがり、拍手が巻き起こる。
そして相原は笑顔で続けた。
「先月までは全寮制の聖園女子高校にいたのですが、わけあって一ヶ月後からアメリカに留学します。それまでの間この学校にお世話になりますのでよろしくお願いします」
するといきなり竜也が椅子をひっくり返して立ち上がる。
「えっ! ちょっと待って! じゃあ優月ちゃんは一ヶ月したらまた転校しちゃうってこと!?」
初めての女にもいきなり名前呼びなのが竜也だ。
クラスの連中も同じく動揺すると、疑問と残念がった声を漏らす。
相原はそんな雰囲気に対して申し訳なさそうに頷くと言葉を付け足した。
「で、でもっ、みなさんとは本当にお友達になりたいって思ってるので、どうか仲良くしてやってください!」
「それはもちろんだよ! けど残念だなぁー……」
竜也はわずかに俯くが、すぐに切り替えて握り拳を高らかにあげた。
「だがしかぁーし、落ち込んでいても仕方ない! 優月ちゃんのこの一ヶ月が楽しい思い出になるように皆で盛り上げていこうではないか! というわけで、グットタイミングで一時間目授業の奈菜子ちゃん。今日の現国は優月ちゃんの歓迎会ってことで」
「そうですね。じゃあそうしましょうか、一時間目は相原さんの……ってちょっと待った! さすがにそれはっ――」
「では奈菜子ちゃんの許可もおりたことだし。さっそく優月ちゃんへの質問コーナー! 司会はもちろん私、妹尾がやらせていただきます!」
「妹尾くんっ! 待ちなさい! まだ良いなんて言ってないっ!!」
教壇を竜也に乗っ取られた轟はあわあわと立ち往生し、最終的に「今日だけですからねっ!」と瞳を潤ませる。それをクラスの連中が愉快に笑い、相原も両手で口元を抑えて笑みを溢していた。
みんな楽しそうに微笑む。そう、篤だけを除いて。
勝手なもんだな、と篤は窓の向こうの遠い空に目をやった。
その時だけの関係を築いて自分の都合で出ていく。女なんてみんなそんなもんだ。
だが、こうして目の前で笑っているあの女は一ヶ月で出ていくらしいし、俺の知ったことじゃない。そもそも関係をもつ必要はない。
篤はそう自分に言い聞かせながら肘をつき、手に顎を乗せると、騒がしい教室から自らを切り離すように外を眺める。秋の終わりにしては気持ち良い日差しがうっとりと眠気を誘い、篤はそれに従って瞼を閉じた。
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