第13話

 周りは暗くなり、姉の追跡を早々にあきらめてイズールは野営やえいの準備に取り掛かった。といっても、雨が降る様子もないのでテントは張らず、火を起したくらいではあるのだが。

 豆の入ったスープ缶を開け、串に刺した干し肉と一緒に火にかける。干し芋をかじりながら温まるのを待つ。


(まあ、こういうのも悪くないよな)

 最近は比較的金回りが良いので携帯食も豪華だ。イズールはそこまで食事にこだわりがあるわけではないが、ミレイがうるさいので食事には随分と予算をくようにしている。

 食事を平らげ、明日の行動予定を考える。

 陽が昇れば方角はわかるので、帰ることはできるだろう。ミレイも放っておいても一人で帰って来れるだろう。

 問題はミレイを探さず直帰ちょっきし、そのことを知られれば面倒なことになるのは間違いない。

 俺は姉を心配し、昼夜問わず探しましたよ、努力しましたよという姿勢をアピールしなければならない。間違ってもイズールが先に家に着くことがあってはならない。


(これは難しい問題だぞ…)

 リュックを枕がわりにしその場に寝転んだ。

 久しぶりに友達のところにでも遊びに行こうか…。いや、この前学会で会った時に離婚りこんしたとか言っていたな。なんだか気疲れしそうだからやめておこう。

 そんなことを考えているうちにうとうとしてきた。

 火のぜる音、虫の鳴き声、枝が踏み折れる音…


(踏み折れる?)

 眠気が吹き飛び、意識がまされる。野生動物か妖か野盗やとうか…。

 イズールはゆっくり立ち上がり、音のした方向に耳をすませる。今は何も聞こえず、人の気配けはいもないように思えた。この時点でイズールは妖を候補から外す。妖にはこちらの動向どうこううかがうような知性はないからだ。小型動物であるならさほど気にする必要はない。大型動物は多少厄介たしょうやっかいだが、このあたりで出没しゅつぼつしたという噂は最近聞かないし、人間を襲うこともあまりない。仮に襲われても、不意を突かれない限りは遅れを取りはしないだろう。

 では野盗ならどうか?これが一番ありえそうな気はする。どうしたものかと思案しあんする。


「おい、いい加減出てきたらどうなんだ。俺は影律士だ。その気になればここら一帯を吹き飛ばすこともできるんだがな」

 もちろんそんな無謀むぼうな手段に出る気はない。多額の賠償金ばいしょうきん懲役刑ちょうえきけい…考えただけでうんざりする。

「あまり上等なおど文句もんくとは言えないんじゃないかしら?」すぐ背後から女の笑いをふくんだ声が答える。

 気を抜いていたとはいえ、予想以上に接近を許していることにイズールはあせりを禁じえなかった。

 距離を取ろうと、地をり前にび出す。相手の正体を見極みきわめようと背後に目をやった時、イズールの横面に衝撃しょうげきが走る。脳がさぶられ、その場にす。


(何が起こった…)

 天地の区別も判断できないほどに混乱した頭で、現状を理解しようとつとめる。

 背後の敵から逃れるために前に跳び出したイズールを、敵は前方から殴打おうだしたのだ。ということは、敵は少なくとも二人いる。

危害きがいを加えるつもりはなかったんだけどね、物騒ぶっそうな世の中だから無力化させてもらったわ」女が土を踏みしめ近づいてくる。

 イズールは意識の集中をこころみるが、上手くいかない。無防備な状態からの一撃は思ったより深刻しんこくなようだった。


「安心して、これ以上攻撃する気はない。武装解除ぶそうかいじょはさせてもらうけどね」

 女は無駄のない手順で、イズールが両前腕りょうぜんわんに装備している大型手甲状おおがたてっこうじょうの影律兵器〈霊威形象れいいけいしょう〉を解除していく。

 うつぶせに倒れているイズールの体と地面の間に棒状の物を差し込んだ。女はそれを梃子代てこがわりにし、さらにイズールの体を乱暴に足蹴あしげにし転がす。

 仰向あおむけになったイズールを女が上から見下ろす。き火の淡い光に照らされ、そこで初めてその女と対面する。

 なめらかな白い肌に金色の美しい髪が鮮烈に脳裏に焼きつく。端的たんてきに言うと美人だった。それも恐ろしいほどに整った容貌ようぼうをしている。おそらくこの地域の出身ではないだろうと見当をつけた。

 お互いの視線がまじわった瞬間に、その切れ長の翠眼すいがんが見開かれ、女は息を飲む。

 それまで油断なく立ち回っていた女に隙が生じる。


 イズールはその一瞬にける気持ちで、散り散りの意識を必死でき集めた。

 体幹たいかんに力を入れ下半身を持ち上げる。そして両脚で相手の首をめ上げ、脚を振り下ろし投げ飛ばした。

 その勢いに任せ体を起こしたイズールは、女を俯せの状態で地面に押し付けた。イズールは体重をかけ、右腕をひねり上げ、左肩関節をめる。

「危害を加えるつもりはなかったんだけどな、物騒な世の中だから腕の一本ぐらいもらっておくぞ」イズールはさっきの女の台詞せりふを引用し告げる。

 ハッタリのつもりだがじわじわと力を強める。いざとなれば本気で折るつもりで…。

 先程さきほどのダメージをまだ引きずっており気分は最悪であったが、その間ももちろん周囲の警戒けいかいおこたらない。


「降参よ」女は観念かんねんした様子を示す。

「仲間がいるな?そいつの姿を拝むまでは、『はいそうですか』と離してやるつもりはない」その仲間にも聞かせるつもりで声量を上げる。

「いないわ、私一人よ」

「信じられないな。俺の背後から声を掛けた次の瞬間には前に回り込んで奇襲きしゅうする…人間業にんげんわざじゃない」超人的な姉のミレイでも多分無理だと、心の中でひそかに付け足す。

「人並みに頭を使えばわかりそうなものだけど?」妙に刺々とげとげしい物言いにイズールは少したじろぐ。

「虚影律か」

「正解」相手の声が、遥か森の暗がりからイズールの耳に届く。

 こんな使い方があるのかと感心した。いつもミレイを脳筋と馬鹿にしているイズールだが、自分も少し頭が固かったと反省する。


「で、なんで俺を襲った」

「勘違いしているようだけど、先に挑発ちょうはつしたのはそっちよ。私はやり過ごすつもりだったのに…」

「なら、ちょっかい出さずにとっとと逃げればよかっただろうが」

「ここら一帯を吹き飛ばすとか言われたら安心して逃げられないでしょ。あなたが度しがたいほどの大馬鹿者で、それを実行に移す可能性は否定できないしね」

 痛いところを突かれてイズールは口籠くちごもる。俺がこんな野蛮やばんになったのは絶対にミレイの悪影響だ。

「納得したなら退いてもらえる?」

「あ、ああ…」

 イズールは急に情けなくなり、ぐに開放し手を貸す。

「すまない、俺が早とちりしたみたいだ。普段からこうじゃないんだが…」しどろもどろに言い訳じみたことを口にする。

 女はかなり長身で、百七十五センチメートルくらいはありそうだ。イズールが今まで出会った女性の中で一、二を争う。

「いえ、謝らなくてもいいわ」

 女はそう言い、どんな男でもとりこにしてしまいそうな笑顔を向ける。


 ――と、その細腕からは信じられない威力の拳が、イズールの鳩尾みぞおちつらぬく。

「これで痛み分けね」

 不意の一撃にひざから崩れ落ちたイズールは、さっきとは打って変わった女の冷ややかな眼差しを見上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る