渡りの回廊2〈サラディンからの使者〉

第10話

 イズールは自分の迂闊うかつさを呪いながら、ブーツの底で枯れ枝や落ち葉を踏み抜き森を進んでいた。

 場所は王都ヨミステリにほど近い、大陸有数の樹海の一つだ。樹海といっても人の手がある程度入っており、冒険者はもちろん行商人や旅行者も利用する、今や交通輸送になくてはならないものとして認知されている。

 というのは表向きの触れ込みで、実際のところは草木による遮蔽物しゃへいぶつが多く野盗などの襲撃しゅうげきうことも多々あるので、腕に自身のある者や退きならない事情がある者以外の利用はそこまで多くはないのだが…。

 イズールや姉のミレイは、関所せきしょも少なく出費が抑えられるので頻繁ひんぱんにこの裏道を利用していた。

 今日も冒険者協会ウォーカーソサエティから委託された仕事を終え、帰路に着いたイズールとミレイは、久々に実家に帰ろうという話になり、自然と近道である樹海を経由することになったのだ。

 旅路は順調だった。姉の戯言ざれごとに耳を貸すまでは…。




「…近道?」

 このペースならあと三時間も歩けば家に着くな。ミレイの提案は、そう考えていた矢先のことであった。

「そう。このまま道なりに行けば家に着くのは夕方くらいになるでしょ?でも森をつっきて直進すれば一時間は短縮できるわよ」ミレイが、どうだこの妙案みょうあんは、と言わんばかりに胸を張る。

「いいよ俺は…ごめんな、俺がのろいばっかりに迷惑かけて」イズール本当に申し訳ないという表情を作りながらも、内心ではまた始まったぞと嘆息した。


 大体、この手の姉の思いつきに付き合って、今まで損をしなかったことは皆無かいむだ。イズールとしては何としてもこの提案を受け入れるわけにはいかない。だからといって無下むげにすれば、暴力による報復が待っていることは、今までの経験から容易に想像がつく。

 そこで今回は、思い遣りを持って相手を突き放す作戦でいこうと考えたのだ。こうやって姉にも少しずつ、人間の優しさや気遣いを学んでいってもらおう。あわよくば動物並みの母性でも芽生めばえてくれればいいのだが…。


「あ、あんたそうやってけむに巻こうとしてるでしょ?」

「ちっ!」勘の良さだけは動物並みのミレイが鋭く指摘する。

「大丈夫だって!もう何度もそうやって帰ってるんだから。お姉ちゃんを信じなさい」

「………」

 ミレイがこうやってお姉ちゃん風をびゅうびゅう吹かすときは特に要注意なのだが。

 イズールの懐疑的かいぎてきな視線をミレイはなんとも思っていないように笑い飛ばしていた。




「おかしいわね」

「え?」

 森に入り三十分ほど歩いた頃、ミレイから不穏ふおんな一言が発せられたのをイズールは聞き逃さなかった。

「もしかして迷ったのか?もう?まだ三十分くらいしか歩いてないんだぞ!」

「ちょっ、違うわよぉ…人聞きの悪いこと言わないでくれる?」珍しく反論が弱気だ。

 どうやらこれは、いよいよ遭難そうなんを覚悟するべきなのかもしれない。イズールは背負っているリュックの中に何が入っているか思い出す。

 イズールとミレイの着替え、読みかけの本、雨具、簡易テント、携帯食二食分が二人前…次々と思い出したものを頭に書き出す。ミレイの持ち物は、たすき掛けした小さな鞄だけで、他は全てイズールの大きなリュックに押し込まれていた。

 いま生命線を握っているのはイズールということになる。絶対に死守しなければ。リュックの肩掛けを握る拳に自然と力が入る。


 姉に渡してはろくなことにならない。


 それを見咎みとがめてか、ミレイの目に剣呑けんのんな光が宿る。

「自分が何をしようとしてるのかわかってる?」

「な、何がだ?言いがかりをつけるより、早く道案内してくれよ!」背中に冷や汗を流しながらイズールはきっぱりと言い切った。こういう時は決して動揺を見せてはいけない。

「ひっ、卑怯ひきょうよ!そうやって迷子になった責任を私一人に押し付けようとして…!」

「やっぱり迷ったんじゃないか!」イズールはたまらず声をあげ、ミレイの両肩をがっしりとつかんだ。

 ミレイは気まずそうに視線を明後日の方向に向け、何が何でもこちらと合わそうとしなかった。

 イズールがさらに追撃しようと息を吸い込んだその時――


「ふぎゃあああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁあっぁぁぁぁぁぁ」

 突然の咆哮ほうこうに思わず二人して息を飲んだ。

「…熊?」声の方角に首をやりミレイが呟く。

「いや、あんな鳴きかたするか、熊って…多分人間だと思うけど…」イズールも自信なく発する。

 それを聞いたミレイが顔を輝かせ、駆け出した。

「そりゃ大変だ!人助けも冒険者のつとめ!行くよイズ」

 一瞬でトップスピードに達したミレイは、数秒後にはイズールの視界から消えていた。


「嘘だろ、おい」

 必死になって追いかけるも差が縮まる様子はない。それどころか自分がどの方角に走っているかもわからず、遂には荒れる呼吸をしずめるためにのろのろと歩く。

 この時ばかりは、大嫌いな有酸素運動ゆうさんそうんどうをサボってばかりいた自分を反省した。

(これで正真正銘しょうしんしょうめいの遭難者だな)

 日が暮れようとしている。予定では今頃は風呂で汗を流し、たたみの上でゴロゴロしているはずだったのに…。

イズールはそんな妄想の中の怠惰たいだな自分の姿がむなしくなり、すぐさま頭の中からき消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る