第8話

全身に衝撃しょうげきおそう。重力にあらがえなくなりひざを折る。それすら困難になり、遂には体ごと投げ出されたが、そんなことには構わずイズールは霊威形象れいいけいしょうの制御に意識を集中させ続けた。

 意識が薄れ、一瞬気を失っていたようだ。放たれた摩天楼涯廓まてんろうがいかくがその役目を終え、分解を始めているのが視界に入る。


しのいだ…?」朦朧もうろうとする意識にかつを入れ、戦況を確認する。

 粉塵ふんじんが舞い、視界は劣悪れつあくだった。それでも近くにエッダとスホイの姿を確認することができた。二人とも地に伏しているが、生きてはいるようだ。

 外傷はないが全身を打ち付けたようで、体も意識も立ち上がることを拒絶するように言うことを聞かない。


(ふざけんなよ…!みんなは…姉さんは無事か?)ゆっくりと体のいたんだ箇所を確認しながら、立ち上がるよう自身を奮起ふんきさせる。

 体はまだ大丈夫そうだ。だが霊威形象にたくわえていた影律使用残量を確認すると三割を下回っている。さっきの攻撃はもう防げない。

 ならば攻めに転じるしかない。敵もあれだけの高威力の術をなんども連発はできないだろう――そう願うしかない。


 霊威形象を近接戦闘用に展開する。上空にまもり化身かみの姿は無い。地上に降りたか?まさか役割を終えて帰投したわけではあるまい。

 舞い散った塵芥じんかいが地に降り積もり視界が開けてくる。元いた場所から二、三メートルほど吹き飛ばされていたことに気付く。しかし、そこが爆心地ばくしんちではないようだ。大きくれた、地と壁をまたいで巨大な穴が穿うがたれている。


(狙いが逸れたのか…?)

 何らかの理由で直撃を逃れたのだ――決まっている、ミレイだ。

 イズールはゾッとした。狙いが逸れたから摩天楼涯廓で防ぎきれたのだ。直撃ならどうしようもなく死んでいた。


『予期しない事態です』

 音声の方向に意識を向ける。突然の攻撃に対応できるように重心を移動する。

損傷軽微そんしょうけいび。影律残量二割八分七厘、嬉戯霄壌きぎしょうじょう法衣ほうえ再展開まで約六分五十六秒。残存勢力ざんぞんせいりょく殲滅せんめつを再開します』


(この調子じゃ、やっぱり連発はできない。なら再充填までにケリを着けないと)イズールは意を決して飛び込む。

 敵はこちらの動きに気付き迎撃体制げいげきたいせいをとる。それに対してイズールは速さを優先した短縮構文たんしゅくこうぶんによる虚影律を仕掛ける。先史文明期の影律兵器に対して現代影律はほとんど無力に近い。だからイズールは右膝関節と足場を狙い小規模の爆発を引き起こした――敵の態勢をくずし攻撃を防ぐためだ。

 こちらの思惑通おもわくどおり敵は態勢を崩しはした、が気にした様子もなく右手刀を繰り出す。イズールは左手甲の仕込み刀でそれを受け流す。速さはミレイの方が数段上だが、威力は段違いの重さを伴う。刀身を伝って左腕にしびれが走ったが、それには構わず手甲に覆われた右拳を首元の深い刺し傷にえぐり込む。

「はぁっ!」息を吐き拳にさらに体重を乗せる。

 メキメキとにぶいい音を立ててはいるが意にかいしておらず、敵は左拳をイズールの横面めがけて振りかぶる。

 イズールは敵の体をり、その勢いで後方に跳び退き受け身を取る。すぐさま敵の追撃がイズールを襲う。霊威形象の装甲でなら敵の攻撃を防げるだろうが、先ほど受け流した時の威力を思い出したイズールは、それをとても試す気にはなれず右に跳ぶ。

 しかしその動きは読まれていたようで、イズールの着地を狙うように敵も前方斜ななめめ横に跳び出し左拳を突き出す。

 イズールは両前腕で顔を守るために覆い、少しでも威力を殺すために着地と同時に後方に尻餅しりもちを着く。

 だが敵の攻撃はイズールに届くことはなかった。ブルが横から体当たりを食らわせ、敵の態勢を崩したのだ。


「無事か!?」ブルは敵から視線を逸らさずに訊いてくる。

「ああ。礼を言う、助かった」イズールは跳び起きる。「他の人は?」

「生きている。だがミレイだけが見当たらない」

「そうか」正直なところ姉に関しては全く心配していなかった。人間離れした姉がこの程度で死ぬなど考えられない。そんな人間みたいなことを、わざわざこの局面きょくめん披露ひろうされても困る。

「こいつは俺がきつける。その間に、あんたは他の奴の介抱かいほうと逃げる手段を探してくれ」

「…わかった」

 何か言いたそうな様子ではあったが、一先ひとまずは行ってくれた。


『影律残量五割まで充填完了。偽譚書庫第二門ぎたんしょこだいにもんまでの引用再開』宣告せんこくするが早いか、世界が虚影律により書き換えられていく。

 その複雑な影律構文にイズールは絶望的な気持ちで対抗構文を組み上げる。


(クソッ、駄目だ間に合わない)


 その時、上空から途轍とてつもない速さで護り化身にせまる影に気付く。敵も接近を感知かんちし、すぐさま標的をその影に定める。

 召喚された光線が影を飲み込むかに思えた。だが、そうはならずに影は光を引き裂き、二つに裂かれた光線が壁を薙ぐ。

 こんな芸当ができるのはこの場に一人しかいない。

 壁が崩れ、その瓦礫がれきに潰されては堪らないとイズールは逃げに徹しながらも状況を見極める。


 護り化身はかざした両腕を虚しく見詰めている。影が――ミレイが護り化身と擦れ違う瞬間に空中で器用に身をよじり左右の腕を切り落とす。そのまま地に激突するかと思ったが、またたきをはさみ次に目を開いた時には、なぜかミレイは敵の背後数メートル離れた壁に着地しており、そのまま壁を蹴り敵の方へ跳び掛かろうとしていた。あまりの早さに動きを捉えられず、気付いた時にはミレイは敵の正面へ身を低く着地しており、最後に地を蹴り上げ独楽こまのように舞い、何事もなかったように短剣を腰に収めた。

 それが合図であるかのように、護り化身は粉々に四散しさんした。

 きっとここにいる誰もミレイが何をしたのか理解できなかったはずだ。イズールもそれは同じではあったが、危機は去ったのだということだけは理解できた。

 そして理解した瞬間にその場に崩れ落ちた。


「あんた大丈夫?」ミレイが軽い足取りでこちらにやってくる。

「駄目だ、腰が抜けて立てねぇ…帰りは負ぶってくれ」

「なっさけな」心底呆しんそこあきれたという表情でこちらを見下ろしてくる。むしろお前はなんで平気なんだ?

「俺たちが死にかけてたってのに、今までどこで何してたんだ?」

「最初の爆風ばくふうで随分と飛ばされてね、不覚ふかくにも上の木に引っ掛かって気絶してたみたい」

 それで空から降ってきたわけかと、イズールは納得なっとくする。これでミレイに命を救われるのは何度目だろうか…?

「まあなんでも良いじゃない。全員生きてるんでしょ?」あっけらかんとした笑顔で立ち去る。

「はぁ、まったく…」そのあとは言葉にならなかった。




「いったい何があったのか…」ロウ=サーが捻(ひね)った足に添え木してもらいながらこぼす。

「敵を退けた…それだけよ」ミレイは面倒臭そうに答える。

「いえ、そうではなくて…虚影律の熱波を切り裂いていたように見えたのですが…」ロウ=サーの疑問はもっともだった。


 ミレイが成し遂げたことは影律士にとって常識を根底から覆すことだ。虚影律に対抗できるのは虚影律か影律兵器くらいだ。

 ミレイの愛用している双剣「無常輪廻むじょうりんね」も影律兵器ではあるが、一般的な物とは違う特殊な調整が施されている。

 そもそも影律兵器は一般的に、影律士でなくとも、それを使うことで影律兵器に込められた虚影律を使用することができ、さらに発動までの時間が短いことが利点だと理解されている。

 だが無常輪廻は他の者が使っても影律兵器としての恩恵を受けることはない。なぜならこの武器に施された虚影律は、というものだからだ。


「普通、影律兵器は簡単に壊れる代物しろものではないですが…」ロウ=サーは話の主旨しゅしが理解できないという顔だ。

「そうです。影律兵器自体にも強力な防護の虚影律が施されています。だからミレイには、シキ家の血族には普通の影律兵器は扱えないのです」

 イズールの説明に、その場にいるほとんどの者の顔に疑問符が浮かぶ。これが正しい反応だよなと思いながら話を続ける。

「シキ家の血族には〈禊術けいじゅつ〉という特殊な能力が継承されています。」


 禊術――先史時代にシキ王家に新たな王としてむかえられた〈剣帝けんてい〉によりもたらされた異能力。それは虚影律を分解しはらうことができるというものだ。その原理は解明されておらず、イズールはそのことを若干じゃっかん危険視している。

 だが禊術のおかげで幾度となく危難を乗り越えてきたことも確かではある。この能力があるからこそミレイは護り化身の虚影律を裂き、防護装甲を破壊することができたのだ。

 もちろん欠点もある。それは、影律兵器のほとんどを扱えないということだ。禊術を媒介ばいかいする影律兵器はそれに耐えられず分解する。だがシキ家に伝わる武器の一つである無常輪廻は専用の調整がされている。分解された瞬間から再生していくという調整が…。


「普通の武器では駄目なのか?」

「普通の武器じゃあ私の扱いに耐えれないのよ」ブルの疑問にミレイが右手をひらひらさせながら告げる。あまりの返答にブルは開いた口がふさがらないようだ。

「ではシキ博士は、禊術と相反あいはんする虚影律の両方を使えるのですか?」に落ちない様子のロウ=サーにイズールはしれっと答える。

「ああ、私は養子ですからシキ家の血は一滴も混じっていません」

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