第4話

 食事を終え、皆が各々おのおの割り当てられた部屋へ戻る。イズールとミレイは風呂へ行く。イズールは湯に浸かり、一日馬車に揺られった筋肉をほぐす。

 長い入浴を終え部屋へ戻る。ミレイはまだ風呂から帰っていない。先に寝ても良かったが、時間もまだ早いのでいつもの習慣で持ってきていた本に手を伸ばす。馴染みの古書店で購入した格安均一かくやすきんいつの本だ。高等教育を履修りしゅうした学生向けでイズールには易しい内容だった。


「まーた小難しいもん読んじゃって」

 イズールが声の方に目を向けると風呂から帰ってきたミレイが入り口に立っていた。どこで入手してきたのか、酒瓶さかびん猪口ちょこを二つ乗せたぼんを右手に持っている。

「どうした、それ。かすめてきたんじゃないだろうな?」

「そんなに手癖悪てくせわるくないわよ。宿の人に駄目元でいたら用意してくれたのよ」しかめっつらにらみつけてくる。「あんたも飲むでしょう」

 イズールは閉じた本を鞄の上に放り投げ、丸い卓袱台ちゃぶだいを挟んでミレイの向かいの座布団の上で胡座あぐらをかく。ミレイが猪口を一つこちらに押しやり、白くにごった液体をなみなみと注ぐ。鼻に近づけてみると、脳にまで届きそうなツンと抜ける匂いがする。ミレイと無言で視線を交わし猪口を軽くかかげた後に一気に飲みす。はっきりいってイズールには酒の良し悪しはわからなかったが、ミレイは美味そうに飲んでいる。まあ、恐らくは良い酒なのだろう。


「エッダの剣どうだった?」話の切り口としては雑なものだったがミレイは気にした様子なく目を向ける。

「影律兵器ね。私は専門じゃないから能力まではわからないけど、ハッタリってわけじゃないでしょう」


 国にもよるが影律兵器は、制限はあるものの個人で所持することは禁止されていない。協会に登録された冒険者であり、かつ国に申請登録しんせいとうろくした影律兵器であれば、高い税金を納めることにはなるが携帯使用が認められている。

 ただし、出土した影律兵器のほとんどが破損し機能しないものか、あまりにも強力過ぎるので、規制され国に没収されるかのどちらかだ。

 当然イズールもミレイも影律兵器を所持している。ある程度の経験を積んだ冒険者なら誰でも自身の影律兵器を持つために努力するものだ。なぜならそれが冒険者の信用となるだけでなく、生きて帰るための確率を飛躍的ひやくてきに向上させてくれるからである。ただ、非常に入手が難しいことに加え、維持費いじひがかかるので、冒険者やならず者の中にはハッタリのために破損した影律兵器を携行している者もいる。


「ちょっと得体の知れない女だったね。警戒はしておいたほうがいいかもよ」

「まさか…お前ちょっとうたぐり深いよな」イズールは自分とミレイの猪口に酒を注ぐ。

「私、あんたは女運がないんだと思っていたんだけど、単に女に甘いだけなんだね」ミレイはわざとらしく首を左右に振り、酒をあおり飲む。


 ミレイはイズールの女友達や昔の恋人のことを当てこすっているのだろう。そういうところがミレイが男に避けられる原因の一つだと言ってやりたかったが、いくら酒に弱いイズールといえどもそこまで判断力は鈍っていなかった。

「その中に自分が入っているって気付いてるか?」仕方がないのでイズールは第二候補の嫌味をぶつける。

「あらっ、スカばっかり引き続けたあなたの人生の中で、私は数少ない当たりよね」イズールは不毛に思えてきたのでこの話題を打ち切ろうと息を吸い込んだ。

 それを見計らったように、扉を叩く音が室内に響く。イズールとミレイは顔を見合わせる。「どなた?」ミレイが声を張り上げる。イズールは隣人から苦情が来ないかときもを冷やした。


「ロウ=サーです」

「ああ、どうぞ開いてます」ミレイがイズールに確認もせず返事する。まあいいかという心地で猪口を空けた。

 ロウ=サーもイズールたちと同様に風呂上がりのようで、宿の用意した浴衣を着ている。

 イズールはロウ=サーに座布団を用意し、座る様に促した。ミレイは酒瓶と猪口を持って窓際に移る。どうやら酒は自分一人で楽しむことに決めたようだ。客人に対する礼を失した態度にイズールは少し呆れたが、二人でゆっくり話せるように気をかせたとも取れる。


 イズールとロウ=サーは自分の研究に関する近況を話し、意見交換する。それから共通の知り合いの研究者や大学の教授についての話で一通り盛り上がった後、再びイズールの研究に関しての話に戻る。

「シキ博士は賢者ヴィトの再生術が現代でも可能だと考えているんですね」影律士でもあるロウ=サーは、この手の話にも興味があるようだ。

「そうです」

「しかし、現代の影律士は先史時代の影律士の足元にも及びません。その中でもヴィトは規格外だったと考えられている。なにせたった一人で世界再生影律を成し遂げたのですから」


世界再生影律せかいさいせいえいりつ?」唐突にミレイが話に割り込んでくる。イズールたち研究者や専門家の間では常識でも、〈世界再生影律〉通称再生術の詳細はまだまだ一般には普及していない事案といえた。良い機会なのでミレイに話しておくことにした。

「先史時代末期、外世界から来訪した〈七人の客人〉との戦禍せんかにより世界は致命的な損害をこうむった。世界を蘇生そせいするために直ちに大規模な治癒影律ちゆえいりつが必要だったが、戦争により疲弊ひへいしたたみにその余力はなかった。そんな状況の中で〈七人の客人〉との戦いの最大の功労者である賢者ヴィトは、たった一人で世界を治癒するための影律を断行だんこうしたと伝えられている」


 先史時代のことについては、未だに多くのことが謎であった。〈七人の客人〉との戦いで歴史書の類は喪失そうしつし、戦後も復興に注力したからなのか、それとも他の理由のためかはわからないが当時の記録はあまり残っていない。現代に伝えられていることは、数少ない公的記録と各地の民間伝承みんかんでんしょう、あとは口伝くでんからのものに過ぎない。


 シキ家も多くの資料を相続していたが、何代か前の当主が貧窮ひんきゅうあえぎ家宝とともにいくらか売却してしまったらしい。腹立たしいのは、その時に得た金も全く活かせず今もシキ家は貧乏だということだった。


「ああ、そういえば聞いたことがある話だねぇ」ミレイはぼんやりとした表情を浮かべている。

「当たり前だ。再生影律はともかく、七人の客人に関しては義務教育の範囲だぞ」酒によって破壊されたミレイの脳細胞に、これからする話がどれだけ染み渡るか、イズールは少し不安に思いながら話を続ける。

「そしてここからは先史研究と影律研究の専門的な話だ。実はヴィトが実行した世界再生影律は不完全なものだった。実際は世界の死を先送りするだけの延命措置えんめいそちでしかなかった。悲観的な研究者は世界の寿命を百年以内と予言している」

「はぁ?何よそれ!」ミレイの酔いがめたのを確認しイズールはほくそ笑んだ。

「まあこんなもんは、根拠が示せないなら明日事故で死ぬかもしれないってくらいの意味しかない話だ。大切なのはだ、遅かれ早かれ世界が滅ぶなら、俺たち研究者はそれを防ぐための手立てを考えなければならないってことだ」イズール自身も悲観的な立場の研究者だが、そこで足を止める性格ではない。つまりは諦めが悪いのだ。

「シキ博士はその解決策を模索もさくする過程で、妖が世界再生影律の副作用であることを証明しました」ロウ=サーが国際会議でのイズールがした発表に話を持っていく。

「証明はしていません。まだ過程の段階です。私はいくつかの根拠は示しましたが、その正否はこれからの皆さんの研究にかかっています」苦笑い混じりで訂正する。自身が語ったこと以上のことが自身の功績のように拡散されるのは本意ではない。

「あのさぁ、今さらっととんでもないこと言わなかった?妖が副作用って…その再生術って大失敗じゃん」ミレイの言いたいことは理解できた。妖の被害はどの国でも深刻である。リリステス王国では昨年の防衛関係費ぼうえいかんけいひの四割が妖対策に使われていた。

「最悪を回避するための最善策だった。成功とか失敗とかそういう価値観の話じゃない」

 賢者ヴィトの英断がなければ世界すら存続していなかったのだろうから…。

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