第2話 交差点の神
窓から交差点を見下ろす。太陽がアスファルトを焦がし、ゆらゆらとした陽炎を生んでいる。その小さな交差点には、鳥の会話と蝉の叫び声だけが響いている。
窓から交差点を見下ろすとき、俺は傍観者になる。たとえそこで事故が起ころうと、喧嘩が始まろうと、恋が生まれようと、俺は干渉しない。
傍観、それは神の行為に等しい。当事者たちは見られていることには気付かない。だけどもそれらを俯瞰する存在がいれば、それは神足り得る。
いや、真の神は傍観ではなく観測なのかもしれない。しかしそれはたいした問題ではない。干渉しないこと、それが神の共通ルール。
そう考えると、どんな場所であれ、どんな物であれ、それを見るものは必ず存在する。
八百万の神とはよく言ったものだ。今、この瞬間、間違いなく俺は八百万分の一になる。
都会とも田舎とも言えない中途半端な町に俺の自宅はあった。築三十年ほどの小さな家の二階、八畳ほどの広さに俺の全てが詰まっている。
同じような服がぎっしり入ったクローゼット、思い出というガラクタが眠る段ボール箱、本棚には壁紙の模様と化した背表紙の文字が躍る。万年床はどす黒く湿気と感情が蓄積し、それでも居心地の良い胎のうである。
フローリングの染みや傷を隠すように散らばった、記憶の断片たちを避けるように、時には踏みつけながら、俺はこの小さな空間を闊歩し、そして広大な精神を彷徨う。
そうやって幾許かの季節に流されてきた俺は、もう二十代の後半に差し掛かっていた。
俺、
その行為には意味も目的も存在しない。そこから見えるものが、たまたまその交差点だっただけだ。
その小さな交差点は、周囲に生息する人間たちの生活道路であり、人通りも車通りもまばらであった。交差点の向こうには、さして特徴もない住宅が並び、電線で区切られた青空が覗く。
交差点の信号が点滅し、気怠そうに色を変える。黄色い軽自動車が、陽炎をかき分けながら鈍重に進み出す。
今日も世界は正常だった。神様はきっと毎日ヒマでヒマで、昼寝ばかりしているに違いない。その昼寝中の夢こそが、この世界なのではないだろうか。
となれば、交差点の神である俺が見た夢はどんな世界を創っているのだろう。
その住人たちが幸せに夢を見られる世界であるように、そんな考えがぼんやりと、機械的な冷風に霧消し、俺はまどろみに身を委ねた。
ぼんやりとした頭で、外界を閉ざそうとする瞼をかろうじて開きながら、再び交差点を見下ろす。
辺りはすっかり暗くなっていた。どんよりとした空は薄く膜を張り、星たちを隠している。住宅から漏れる光と、ぽつぽつと点在する街灯が、頼りなく交差点を照らす。信号の色が変わる。青と赤の光はどちらも目に刺さる。
誰にも見られていない、無の時間でさえ、この信号機は律儀に仕事をしているのだろう。
室内に目を向ける。昼でも夜でも薄暗いこの部屋は心地が良い。それぞれの、おぼろげな輪郭を確かめながら、目の前のそれに触れる。
少し力を込めると機械的な音を一瞬放ち、続けて小さな光が不規則に点滅する。闇を映していた平面が、電脳空間を形成し始める。
俺が存在できる、もうひとつの世界。この空間には情報の海が広がり、少し泳ぎ方を覚えれば、どこまでも潜ることができる。時間の流れに逆らうことも出来るし、時間という概念を消すことも出来る。
この小さな箱の中で、俺は再構築され、新たな意味が内包される。目を細めその海にそっと足をつける。膝、腰、肩、頭、ゆっくりと浸かっていく。そして寄る辺なく、ただ漂う。疲れ果てるまで、ただ漂う。そんな繰り返しを生きてきた。今までも、そしてこれからも。
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