第13話 七色の髪 〜忘れたものと変わらないもの なおみさんの話~

タイトル『七色の髪』

キーワード『ふたり』『夢と虹』『真珠』

主人公『なおみ』


幼い頃の夢を見た。


本当に、こんなにきれいな景色だったのかどうかは、実はあまり自信がない。それほど、幻想的で夢のように美しかった。

幼い私は、島から島にかかった大きな美しい虹を見つけて砂浜へと駆け出した。

夕暮れ前の太陽を背に受けながら、砂浜から神様の国を眺めていた。少なくとも、そう感じていた。

海に浮かんでいるはずの島々は、海面を覆い尽くして漂う、雨上がりのもやに見え隠れしている。風はほとんど感じない。


気がつけば、隣にいる男の子が、大きな瞳をキラキラ輝かせて、虹を指さして大はしゃぎしている。まつ毛が長い。男の子ってうらやましい。自分の感情に素直で、表現することに躊躇がない。虹を見つけて、仔犬みたいに大はしゃぎできるのだから。


「なあ、すげえな! あれ、虹って言うんだぜ! 知ってるか?」


いくら小学校に上がったばかりだからって、虹を知らない子供がいるはずがない。


「ここ、天国かな? 神様いるかな?」


その男の子は、私と同じように、この美しく荘厳な景色に神を感じているらしい。私は嬉しくなった。


「おれ、このきれいな海をもっときれいにするんだ。そして、父ちゃんの船が、もっとたくさん魚を捕ってこれるようにするんだぜ!」


言い終わると、海を見ていた男の子が、突然、隣にいた私の方を向いた。ドキっと心臓が一回だけ高く鳴った。顔が近くて恥ずかしい。


「すげえだろ?」


「うん、すげえ」


少したじろぎながら答えた。そう言う以外に選択肢はなかった。少しずるいと思ったが、本当にすごいと思ったので、しょうがない。


ふたりで、美しい景色にしばらく見入っていた。波の音も聞こえない静寂が、しばらく続いた。


「じゃあ、なおみは?」


「え?」


この男の子、私の名前を知っている。


「なおみの夢はなんなんだい? 何になりたい?」


「私の夢は……」


――ピポピポパーッポ ピポピポパ


目覚まし時計が、懐かしい景色をかき消した。


「夢か……」


一度言ってみたかった。目を覚ますと同時に、夢か、と呟く。残念ながら、枕を涙で濡らすほどの夢ではなかった。

そう、あの男の子の名前は、木城きじろ阿古弥あこや。実在の人物で、私の幼馴染だ。小学校までは一緒に過ごした。でも、中学に上がった後には学校にいなかった。おそらく、親の都合か何かで引っ越していったのだろう。

『きれいな海をもっときれいにする』という発想が、大人になった私には斬新に感じられた。汚くなったものはきれいにしなきゃと思うが、きれいなものを、よりきれいに何て考えは浮かばない。


(じゃあ、なおみは?)


「え?」


夢の中のセリフがフラッシュバックした。

私は……あの時、何と答えただろう。何か答えたのは覚えているけれど、何と答えたのかは覚えていない。11月の朝の布団の中で、うんうんと、しばらくうなって考えたが、思い出せなかった。あの時の虹と一緒に、儚く消えてしまったのかもしれない。


午後になって雨が降り出した。

午前中は立て込んでいたが、午後からは予約が入っていない。


数年前に独立して、少しは美容室の経営者らしくなってきたな、と思うのはこんな時だ。独立したての頃は、客足が途絶えると不安で不安でいてもたってもいられなかった。実際に、運営資金が足りなくて、綱渡りの日々だったせいでもあるけれど、今では、少し余裕が出てきた。というより、開き直って来た。


『どうにかなる』というよりも『なるようにしかならない』と思う事の方が多くなった。毎日、忙しく忙殺される日々の中で、予約が入らない時間はプレゼントだと思うようにした。そうは言っても、いつも自分の髪を使ってカラーリングの腕を磨く時間に使ってしまうのだけれど、今日はちょっと都合が違う。

息子が小学校に傘を持って行っていないことに気が付いたのだ。


「ちょっと抜け出して、ついでに教室を覗いてやれ!」


どうせ、予約も無しに来店するのは近所のママ友ぐらいしかいない『すぐ戻ります』と書置きを残して、そのまま傘をさして通りへ出た。


しとしとと降る雨が、街路樹の葉にあたり、小さな音をたてる。時折、枝葉に溜まった雨水の塊が、傘に落ちてきてバババっと今度は大きな音をたてた。雨と街路樹が奏でる音楽が楽しくて、少し遠回りして、学校まで続く静かな緑道を歩くことにした。


石畳には、イチョウの葉が舞い落ちて、気を付けなければかかとの高いサンダルを滑らせる。足元を気にして、リズミカルに歩くのが楽しい。

自分が鼻歌を歌っている事に気が付いたのは、向かいから歩いてきた男性と、すれ違いざまに目が合った時だった。恥ずかしくなって目を伏せると、足元に太陽の光が差し込んでいるのに気が付いた。


「あれ? 雨あがった?」


私は傘を高くあげ、手を横に差し出して雨を探った。雨はまだ降っている。けれども、このまま止んでしまいそうだ。


「なおみ」


ふいに後ろから声をかけられて、雨が降っているか確かめようとした姿勢のまま振り向くことになった。傘を高くあげて、両手を伸ばして、そのままくるりと半回転すると、そこには、さっきすれ違った男性が立っていた。その頭の上には太陽が雲間から顔を出して、後光のように彼を照らしている。


「なんだそれ、ミュージカル? まるでメリー・ポピンズだな?」


彼が――木城きじろ阿古弥あこやが、そう言って笑う。長いまつ毛は健在だ。心臓が一回だけドキンと高く鳴った。私は慌てて両手を下ろした。まだ、雨は降っているのに、つい、傘もたたんでしまった。


「阿古弥君か、元気にしてた? 夢は叶えたの?」


小学校卒業以来なのに、昨日別れた友達のように話しかけた。今朝見た夢が、私の時間を巻き戻したのかもしれない。


「夢はまだ叶わない。なかなか難しいもんだな。真珠貝を使って海を浄化するプラントを全国に広げようとしているんだけど……自然相手の仕事だからな……」


むずかしい話をする阿古弥君は、すっかり大人びて見えた。でも、長いまつ毛の奥に光る、目の輝きはあの頃のままだ。


それから、今でも、本当に夢を叶えようとしているんだという事がショックだった。

私は自分が、あの時、阿古弥君に何と答えたかも覚えていない。それなのに、阿古弥君は、今でも夢に向かって格闘している。私はなぜ忘れてしまったのだろう。日々の仕事に忙殺される中、いつしか忘れてしまった。いつしかって、いつなの? 

息子の担任の先生は『夢なんか無理に持たなくていい』と言っていた。そうだと思う。夢なんか、持てる人だけが持てばいい……でも……。


「夢と虹は似ているね」


阿古弥君は、遠い目をしている。彼の目には、まだ、あの時の虹が映っているのかもしれない。


「どうして? どちらも儚く消えてしまうから?」


「違うよ」


阿古弥君は、私を真っすぐに見つめた。今更ながら、少し恥ずかしくなってきた。小学校卒業以来なんて、初対面と変わらないのに。


「虹っていつも変わらない。そりゃ、半分しか見えないこともあるよ、かすんで見え辛い時もある。でもね、よく見れば、ちゃんと七色あるんだよ。な? 似ていると思わないかい? 変わらないんだよ、いつまで経っても、虹も、夢もね」


虹も夢も、いつまで経っても変わらない……。


「ほら、後ろ。振り返って見てみなよ」


阿古弥君に促されて、私は、そおっと後ろを向いた。

振り返ると虹が出ていた。建物にさえぎられて、半分しか見えないけれど、色濃く、美しい虹がそこにはあった。


虹を見たのはいつぶりだろう。いや、それより、空すらろくに見上げていなかった気がする。


この町にも虹は出る。私が下を向いていても、後ろを向いていても、いつの間にか忘れてしまっていても、条件が揃えば、変わらず虹はそこに出る。


「なあ、あの時の事、覚えてるか? 今日みたいに、大きな虹が出て、ふたりで夢の話をしたよな。俺はまだまだ夢半ばだけど、なおみは叶えたんだな」


「え?」


「見ればわかるよ、その、七色の髪。なったんだろ? あの時言ったように、たくさんの人を喜ばせたいって……きれいな人を、もっとキレイにする美容師さんになるってさ」


おしまい

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