第12話 龍と男の子 ~マミコのお話~

タイトル『龍と男の子』


主人公『マミコ』

キーワード『カレー』『図書館』『森』


「マミコさん、今日のお昼ご飯はカレーにしようと思うんだ」


「いいね」


「だからこのまま森へ出かけよう」


「うん? 森にカレー屋さんがあるの?」


「そう、昨日図書館で、森に美味しいカレー屋さんがあるって聞いたんだ」


「そうなんだ、でも、森の中のカレー屋さんに、お客さんが行くのかしら?」


「いや、どうやら口コミだけで広がっている謎のカレー屋さんらしいんだよ」


「それは面白いわね是非行ってみましょう」


僕はマミコさんを連れて、森へ向かった。この町へ引っ越してきたばかりだったので、町へ散策に出かけて、いろいろと情報収集してきたんだ。


「この町の歴史は古くって、何千年も前から続いているって神話があるんだってさ、名物は特産品のオニノコゴロシを使ったお饅頭、この町にはいろんな珍しいものや、謎が隠されているって話も聞いたんだ」


「そうなんだ、それは興味深いねぇ」


「図書館でね、たまたま手に取った『龍と男の子』っていう絵本の最後に『実話を元にしたお話です』って書いてあってね。その実話ってどんな話なんだろうって興味が湧いてね」


「気になったら調べないと気が済まないタイプだよね」


「それで、元になったお話の本かもしれないという本を見つけたんだけど、読んでいる途中で閉館時間が来てね」


「それは続きが気になるわね。さきに図書館へ行く?」


「ありがとう、でもね、そのカレー屋さんはとっても早く閉まってしまうらしいんだ、だからやっぱり図書館は後回しにしよう」


「いいの? じゃあ、早くカレー屋さんへ行って、それから図書館へ行きましょう」


「そうしよう、やあ、今日はいい天気だね。木々の緑がきれいだよ、やっぱりこの町に引っ越してきてよかったよ」


「ほんとうね、よし、今日は町の方ではなく、森に向かって散策しましょう。カレー屋さんまで、どれぐらい歩くのかしら?」


「全くわからない。湖に浮かぶ島にカレー屋があるらしいんだけどね」


「全く? 本当にたどり着くのかしら?」


湖のおおよその場所は地図を見て知っていたんだけれど、もし見つからなくてマミコさんをがっかりさせてはいけないと思い、僕はカレー屋の場所をやんわりとオブラートに包んだ。


「面白いのはさ、その湖には満ち引きがあって、島の真ん中に渡る橋が水没して渡れなくなってしまうらしいんだよ」


「湖なのに満ち引きがあるの? それってどういうこと?」


「分からないんだけど、もしかしたら海に繋がっているのかもしれないね」


「そうなんだ、それはとっても気になるね。だから早く閉まるのかしら」


「そういえば、さっき話した『龍と男の子』という絵本なんだけれど、実はこの町には伝説の龍が住んでいてね、湖に祀られているらしいんだ」


「へえ、ステキね。やっと森に入ったね、道も細くなって、心細いな」


「そうだね、森の木々が茂っているから、太陽の光が遮られて、なんだかひんやりしてきたね」


「ちょっと速足で歩いてきたから、心地いいよ」


今日は良い天気で清々しかったが、森の中はなんだか薄気味悪い。僕は、少しだけ嫌な予感がして、この道を引き返した方がいいかもしれないと、不安がよぎった。


「お腹すいたね」


マミコさんは何も感じていないらしい。ちょっと不安というだけで引き返そうというのははばかられた。女の子はお腹がすくと機嫌が悪くなると相場が決まっている。それに、意気地のない男だと思われるのも嫌だった。


「ところで、その龍は、ある日のある時間になると現れて、人々の願いを叶えてまた消えるらしいんだ。それが年に一度のことなんだけど、その日が実は今日なんだよ」


「へえ、それは偶然ね、なんだか、カレーが食べられる気がしてきたね」


「一年に一度現れて、その日願った一番の願い事を、一人だけに叶えてくれるんだ。でもね、その願いは何でもいいんじゃなくて、その人がだけが叶えられるらしい」


「心から望んでいる事ね。龍は人の心が読めるのね」


「元になったお話は、500年ほど前に書かれた風土記に書かれているおとぎ話なんだけど、それは実話だと書かれているんだよ」


「500年前に、心からの願い事を叶えた人がいたってわけね。どんな願い事だったのかしら?」


「その頃、村の人達は、二つの集落に分かれていてね、その片方の勢力を根絶やしにしてほしいという物騒な願い事を叶えようとするんだけど……」


「おとぎ話って怖い話も多いよね」


「実は、願い事を叶える条件があって、それを満たした人は、ある一人の男の子しかいなくってね、その男の子に、その物騒な願い事を叶えさせようと、片方の村人達に連れられて湖に行くんだ」


「かわいそうに」


「そして、その男の子は村人たちに脅されて、しょうがなく、もう片方の集落に住む人たちを根絶やしにして欲しいっていう願い事をするんだけど、男の子が心から望んでいたのは、みんなを仲良くして欲しいということだったんだ」


「ステキなお話ね」


「それがそうじゃないんだ。願い事が叶って、みんなが仲良くなったんだけれど、命令に背いたその男の子は、村人から追放されてどこかへ消え去ってしまうんだ、それを知った龍は悲しんで、2度と出てきませんでしたっていうお話なんだ」


「そうなんだ、ステキだと思ったのに、悲しいお話だったのね」


僕はこのお話に続きがあることを知っていた。しかし、マミコさんには教えなかった。わざわざ残酷な話をして怖がらせることもないと思ったのだ。でも、僕も最後までは読み終えていない。図書館の閉館時間があと5分遅ければ、この話を読み終えただろうに、僕は、あと1ページを残して諦めたのが、今になって余計に悔やまれた。


「あれ? あれは湖じゃないかな?」


「本当ね、湖の真ん中に島があるね、あそこにカレー屋さんがあるのかしら?」


「あった、島に一件だけぽつりとお店があるぞ、きっとあれはカレー屋さんの看板だ」


「でも、どうやって島へ渡るの?」


「本当だ、島へ渡る橋がない。もしかしたら、湖に沈んでしまっているのかもしれない」


「これじゃ、カレーを食べられないわね」


「食べられないとわかったら、急におなかがすいてきたよ。心の底からカレーが食べたい!」


「心の底から? だったら、折角来たのでお願い事をしてみようよ」


「そうだね、今日は一年に一度の願い事の叶う日だったね、おとぎ話では、だけど」


僕たちは湖に手を合わせてお願い事をすることにした。

湖とは呼び難く、大きな池というほどの小さなその湖は、森の奥でひっそりと静まり返り、誰も寄せ付けないような雰囲気があった。

僕達は二人で手を合わせて『カレーが食べたいです』と願った。おいしそうなカレーを頭に思い浮かべる。そういえば、昨日も……。


「あれ? いったい何事だ?」


なんと、急に湖面がざわめき立ち、どんどんと水位が下がっていった。

もしかすると、この湖は農業用水の溜池なのかもしれないと思った。きっと、畑に水を入れるために、誰かがせきを開いて湖の水が流れ出し、水位が下がったのではないだろうか。

水がどんどん引いていくと、たちまち、島へ渡るためにかけられた橋が現れた。

その橋は、龍の彫刻が施された、いかにも古そうだけれど、美しいものだった。


「橋が現れた、いや、龍が現れたね。願い事を叶えてくれるのかな」


「この龍がおとぎ話の正体だったのかもね」


僕たちは龍の橋を渡ってカレー屋さんに急いだ。

カレー屋さんは、もう閉店しているようだったけれど、中に人影が見えたので、おもいきってドアを開けてみた。


「すいませんね、もうおしまいなんですけど」


「僕達ね、龍にお願いしたんです。カレーが食べたいなって。だから願い事が叶うかなと思って一応聞いてみました」


「そうか、だから入ってこれたんだね、よしわかった。もう、火を落としてしまうところだったけど、カレーを2杯だけ出してあげよう。うちはテイクアウト専門だから、本当に、特別中の特別だよ」


僕たちは顔を見合わせて喜んだ。優しそうに微笑む店主に心が落ち着いた。


「僕はね、ずっとここに住んでいるんだ。ずっと、ずっと昔からね。実は500年前からここに住んでいるんだよ。ずっと閉じこもりっきりでね、だから、町の様子を知りたいんだ。話してくれないかな?」


「500年前?」


「そう、500年前から」


僕は、そんな馬鹿なと思いつつ、店主の服装が急に気になった。確かに、500年前の人は、こんな格好をしていたのかもしれない。そういえば、店には時計もなく、椅子も年季が入った重厚な作りで、店中にアンティークが溢れている。500年前から住んでいるという冗談を、真に受けてしまいそうになる。

僕は調子を合わせて、店主に尋ねた。


「もしかして、500年前に村人達から追い出されてしまったのですか?」


「え? まあ、そうだよ、君はゴシップに詳しいねぇ」


「ゴシップじゃなくて図書館の本で読んだんですよ『村人達は行方不明になった子供を誰も探せなかった』って……ご主人も、その本を読んだんでしょう?」


「本? まあ、いいや。そうだね、確かに村人達には探せなかった」


「村人達はなぜ、あなたを見つけられなかったんですか? あなたは500年前からずっとここにいる。そして、森の奥とは言え、村人達はあなたをここに連れてきたんだから、龍がいる神聖な場所だと知っていたんですよね? だったら……」


「あら? 『村人達は行方不明になった子供を誰も探せなかった』なんて話聞いていないわよ?」


「ゴメン、言ってなかったね」


僕は、こんな事ならマミコさんに知っていることを全部話せばよかったと後悔した。信用を落としてしまっただろうか。僕は不安になってマミコさんの顔を覗き込んだ。すると、僕のことなど意に介さず、マミコさんは店主を凝視している。その表情は明らかに恐怖を感じていた。

僕は、店主の顔を見た。さっきまでの優しい笑顔は消え失せてしまって、その目は冷たく光っているように見えた。


「探せないさ『村人達は行方不明になった子供は誰にも探せなかった』と書いてあるんだろう? 君、ちゃんと読んだのかい? 行方不明になったのは村人達だ。。男の子は村人達を全員を毒殺してしまったのさ。そう、二つに分かれた勢力の両方の、全ての人をね」


「それでそのまま、こんな湖の真ん中でカレー屋をやっているわけですか?」


「そう、食べるかい? 最高のスパイスが効いているんだよ」


僕はもちろん食べるつもりはなかったが、龍に願い事をしてしまっていたのを思い出した。僕はお腹がすいていたので、心から願ったと思う。


『カレーが食べたいです』


スプーンですくった琥珀色のカレーが徐々に口元に近づいてくる。

僕は龍の神秘にあらがうことができない。僕の右手は、既に龍に支配されていた。


「だめよ、スプーンを置いて」


「マミコさん……ぼくは、もう……」


「ねえ、カレー屋さん、本当のことを話さないといけないわ」


「本当の事?」


「そう、真実をね。あなた、村人全員を殺してしまったなんて嘘なんでしょ?」


「いや、そんなことはない。確かに僕は、村人全員に、この赤い毒入りスープをふるまったんだ」


そう言うと、店主は赤い粉の入った大きなガラス瓶を、カウンターにゴトリと置いた。


「全員が食べて、全員が苦しんでのたうち回るのを、ちゃんとこの目で見たんだ。僕は、村人全員を殺したんだよ!」


声を荒げる店主に対し、マミコさんはいたって冷静だ。マミコさんは時々、こうやって一人だけ別世界の住人のように冷静に物事を外から見ているようなことがある。


「だったら、図書館の風土記に書かれたおとぎ話は一体だれが書いたの? 村に住む全員が死んでしまっていたら、この話を知っている人は誰もいなくなってしまう」


「500年も昔の話なんか知らないさ。誰か一人ぐらい生き延びていたんだろ?」


「それに、この湖にカレー屋があると町で聞いたそうよ。誰がこの店の宣伝をしているの? まさか、500年前からカレー屋が有名だったなんて言わないわよね?」


「そ、それは……そんな事より、龍に願い事をしたんだろう? 願いは絶対だ。どんなに叶えて欲しいと願った事でも、心の奥底で何を欲しているかは変えられない。カレーを食べたいと思ったのなら、その毒入りカレーを食べる運命からは逃れられないのさ」


毒入りカレー……。

最高のスパイスっていうのは毒の事だったのか、しかし、今さらそれを知ってもどうにもならない。僕の右手は、僕の意思とは関係なくおいしそうな毒入りカレーを僕の口へ運んでくる。

マミコさんが僕を悲しそうに見ている。もう、諦めてしまったのだろうか。僕は生きる気力を失くし、龍の神秘に屈してしまいそうだ。

そして、ついに、スプーンが口の中へ入って来た。どれだけ抗ってもダメだった。カレーが口の中全体に広がり、のどを激しく焼いた。心臓が脈打つたびに、唇が充血していくのがわかる。

だめだ、僕はもう駄目だ。辛すぎる!


「甘いわね」


「なんだと? うちのカレーはとびきり辛いぞ?」


「願いが叶うのは一人だけでしょ? カレーが食べたいと願った、彼の願い事が叶ったんだと思い込んでいるんじゃない? その考えがすっかり甘口カレーなのよ!」


「ど、どういうことだ?」


「願いが聞き届けられたのは、彼じゃなく、私の願い事なのよ。私が願ったのは『そのが叶いますように』ってことよ。可哀そうな男の子が叶えたかった願いを、もう一度叶えてあげて欲しい。あのおとぎ話の真相を聞いたときに、心の底からそう願ったのよ。今、あなたが願った通り、彼はカレーを食べようとしているわ。でも、あなた、本当にそんな願い事でいいの? 500年もここにいて、そんな願いを叶えてしまうの?」


マミコさんの瞳は本当に悲しそうだ、そして優しい。

珍しく、熱弁をふるって店主を説得してくれようとしている。

しかし、どちらにしても、もう、僕はカレーを食べてしまった。どうせ説得するなら、もう少し早くしてほしかった。


「僕の願い事が叶うように、君が願った? ふっ、面白いな。そうか、そういう事ならば、僕の願い事はただ一つだけ……僕はやっと解放されるんだな」


店主がそう言い終わると、突然、店の外でとてつもなく大きな音が轟いた。窓がガタガタと騒ぎ出し、やがて、店中の物が大きな音をたてて揺れだした。

地震だと思ったが、窓の外を見ると、原因がわかりやすく暴れていた。

湖の水が竜巻のように巻き上がり、とんでもない量の水を、この店に向かって叩きつけている。そのたびに、ドゴンドゴンと大きな音とともに、店が揺れている。

ついに、その水柱が、入り口のドアを直撃した。ドアを粉砕して店内へ押し入ってきた水柱は、僕らもろとも飲み込んでしまうのかと思ったら、あっという間に店主だけを飲み込むと、反対側の窓から店主ごと飛び出していった。

急いで店の外へ水柱と店主を追いかけていくと、ざんざんと叩きつける水の塊をまき散らし、ぐるぐると店の周りをとぐろを巻くように回りながら、上空へ登っていく。


「これって、龍なの? 初めて見たわ」


ずぶ濡れになりながら、マミコさんがそう呟いて、僕も初めて気が付いた。

水柱の正体は龍なのだ。龍は、上空をぐるぐると舞い踊り、店主をその体内に含んだまま、轟音ともに段々と上空へ遠ざかっていった。

小さくなっていく龍が、やがて見えなくなってしまっても、僕ら二人は、しばらく呆然として、湖面が元のように静まり返るのを、ただ見守った。


「これって一体どういう事?」


「あのカレー屋さんは、ずっと後悔していたんだと思うよ。自分の犯した罪にさいなまれながら、500年間もね、勘違いなんだけど」


「勘違い?」


「そうよ、あなた、死んでないでしょう? 毒入りカレー何て、真っ赤な嘘、ううん、真っ青になるぐらいの勘違いなのよ。あのガラスの便に詰められていたのは、オニノコゴロシという超激辛の香辛料よ。500年前は大量に食べれば死ぬと言われていたかもしれないけれどね、今じゃ、この町の特産品なんでしょ?」


「ええっ? じゃ、じゃあ、勘違いをしたまま、500年もここに留まってしまっていたの? 可哀そうに……。それにしても、よく本当のことが分かったね、マミコさん」

「私の名前はマミコ。真実の子と書いて真実子マミコっていうのよ。なんぴとたりとも、私の目はごまかせない!」


「そうだった、そうだたね、真実子さん」


「ところで、あなたの願い事は叶わなかったのね、カレーを食べたいってすごく望んでいたんでしょ?」


「ああ、それね? 実はさ、昨日の晩御飯もカレーだったんだよね」


僕は、願い事を唱えながら、そういえば昨日もカレーだったなと思いだして、少し萎えた。しばらく、カレーはいらないかな。


「うそでしょ? なにそれ? 本当は、にではなく、に負けてカレーを食べたんじゃないの?」



おしまい


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