第8話 花火

タイトル『花火』


キーワード『残り花火』『ルサンチマン』『結婚詐欺』

主人公『マメ』



ルサンチマン――復讐

強いものに虐げられた弱者の怨恨のエネルギーは、静かに日々の根底に蓄積され、じわじわと増殖し、やがて噴き出す。



「おい、マメ! 早く去年のやつ全部持って来いよ」


「もう、いい加減マメって呼ぶのやめてくれない?」


「いいじゃないか、マメはマメだろ?」


11歳年下の彼、翔太は年齢の差を埋めるように私に強く当たる。私と違って生活力もあまりなくて、それなのに、独立しちゃって、いつもお金がない。良くないと思いつつ、事業資金を結構貸している。


梅雨が明けて、7月も中盤に入ったが、夜も更けると、まだ、肌寒い日もある。

彼が強い男のようにふるまって、ちょっと傲慢な態度を取るのは、きっと自信の無さの現れだ。とても素直でいい子なんだけれど、私の友人が遊びに来た時には特にその傾向が強い。まぁ、そこも可愛いと思っているから、文句はないんだけれど。


「あ、花火だ! いいね花火!」


「そうなの、いつもたくさん買って残っちゃってね、去年の花火だから湿気しっけてるかもしれないけど……ユキも花火やる?」


「でも、うらやましいなぁ、お庭でバーベキューや花火ができる戸建てを買っちゃうなんて、ホントにマメは頑張ったよね!」


「もう、どうして雪までマメって呼ぶのよ!」


「いいじゃん、かわいいじゃんマメ。年下の彼も可愛いよね……」


雪は高校からの同級生で、私と似た様な人生を歩んできた。同じように広告代理店に就職し、コピーライティングでしのぎを削り、生活を削って二人で賞を取り合った。ただ、違ったのは、私はずっと独身のままキャリアウーマンってやつを続けているけれど、雪は寿退社で結婚し、そして、昨年離婚した。


「で、雪、今日はどうしてうちに来たの? 泊りで来るなんて珍しいじゃん」


雪は落ち込んだ時に私を頼る。一緒に働いていた頃は、よく、彼氏の愚痴を夜中まで聞いたものだ。どうせ離婚するなら、まじめに相談にのるんじゃなかったと、ちょっと意地悪くいじっても、彼女はガハハと笑い飛ばす。


昔は二人で、会社の近くのバーで飲み明かした。今日は、私の自宅のリビングで、お気に入りの白いテーブルに、空になったワインボトルをたくさん並べて、さんざん昔語むかしがたりをした。


テーブルとそろいの白い椅子に、座ったまま見渡せる、白いバルコニーのその先の、小さな庭の真ん中で、相変わらず翔太は忙しくバーべキューの後片付けをしている。どうせ炭の残り火の処分をしなくてはならないので、折角だから去年の残り花火を持ってこいと言っているのだ。


私と雪は翔太の呼びかけにあいまいに答えたまま、リビングを出ようとはしなかった。


私が翔太と一緒に暮らし始めてからは、雪から連絡が来ることも少なくなっていた。きっと、今日は特別に、何か話したい事があるのだろう。翔太が張り切ってバーベキューの準備をしてくれたが、、いい年の私たちは、ほとんど肉には手を付けず、もっぱらバーニャカウダと赤ワインだ。


「それがさ、結婚しようかと思って……」


「え! 懲りもせず?」


私が大げさに驚いて見せると、雪はまたガハハと笑い、私の肩を少し強めに叩いた。


「懲りてますよ、そりゃ懲りてます。でも、のど元過ぎればって言うじゃない? 今度の彼氏は、ちょっと変わっていてね、実は翔太君と同じ11歳も年下なんだけど、お殿様の子孫でお金持ちなのよ。それでいて、とてもお話が上手で『ニーチェがね……』なんて普通に語るのよ、精神科のお医者さんなんだって! 私、理知的な人に弱いのよね~」


「ニーチェ!?」


「そうニーチェ。『ルサマンチンが僕の原動力だ』なんてことを言っていたよ」


「ルサマンチン?」


「そう、ルサマンチン」


「なんだそれ? 怪しくない?」


素直に怪しいと思ったのでそう言った。別に、すごくいい男が友人の前に現れたから嫉妬しているわけじゃない。雪には早く彼氏ができたらいいな、とは思っていたが、まさか、いきなり結婚だなんて、気が気じゃない。


「そのお殿様とはどこで出会ったわけ?」


「お殿様じゃないよ、お殿様の子孫! 知り合いに誘われたパーティーでね、声をかけられたの」


怪しい事この上ない。

雪はしっかりした人だけど、何故か恋愛に関してはガードが甘い。情熱におぼれて突っ走るようなところがあるので、これまでも何度か、前向き過ぎる恋愛を踏みとどまらせた経験があった。


「ねえ、それって本当に怪しいよ、もう一度、改めて考えた方がいいんじゃない?」


私は『結婚詐欺師』とスマホで検索した。近頃は、なんでもすぐに検索する癖がついた。検索サイトには『結婚詐欺師の手口』『婚活サイトに潜む甘い罠』『こんな男には気を付けろ』という文字が躍っている。


「ほら、これ見てよ!」


私はまるで、水戸黄門の印籠のように、雪の顔にスマホの画面を突き付けた。


「ちょっと、近過ぎて見えないよ」


「ほら見て! 『パーティーで出会った男には気を付けろ!』って! 『パーティーで出会った男のプロフィールを信じてはダメ』『お金持ちは噓? 必ず裏を取れ』だって! その人本当にお殿様なの?」


「だから、お殿様じゃないよ、お殿様の子孫なの」


そういうことを言っているんじゃない、と怒鳴りたくなったが、いよいよ心配になって来た。


スマホで調べはしてみたが、まさか、こんなにたくさんの被害事例が載っているとは思わなかった。もっと、こう、知らない世界の出来事だと、勝手に思い込んでいた。結婚詐欺は2時間ドラマの中だけの出来事かと思っていたが、オレオレ詐欺同様に、すぐそこまで迫っている脅威なのだ。


「だったらこれは? 『口のうまい男には気を付けろ!』『巧みな言葉で知性派を演出!』だって、ピッタリじゃない?」


「うーん、確かにそれは……」


「でしょ!? ほら、極めつけはこれ!『絶対にお金を渡すな!』『事業に失敗した、事故にあった、詐欺にあった、など、様々な理由で少額でもお金を要求する男は絶対にNG!』だってよ!」


お金が絡んでいれば、確実に詐欺だ。まさか、そんなに簡単にお金を貸す女じゃないとは思っているけれど、一応確認しておかなければ……。


「それはないよ……ほら、見て! これ、この前一緒に食事に行った時の写真なの、彼、かっこいいでしょう?」


なぜ、二人で撮った写真を見せるのだろう。

少しでも確からしい情報を見せて信用する足しにしたいのか、それとも、受け入れがたい真実から逃れるために、過去の楽しかった思い出にすがろうとしているのだろうか。

この年で離婚して、主婦という肩書を失って、これから先が不安な気持ちもわかるし、久しぶりの恋に心が騒ぎ立てる気持ちもわかる。


写真の中で微笑む雪が幸せそう過ぎて、この、結婚詐欺話が、私の杞憂で終わればいいと、心から期待した。


――ライン!


「あ、彼からだ……あっと、これは……」


「どうしたの?」


<実家のお城が老朽化しているから、お金が必要だ>


雪の携帯を覗くと、お殿様からお金の無心のラインが入っていた。ご丁寧に、ご実家らしきお屋敷の、白壁がげた写真付きだ。


雪と私は顔を見合わせて、同時にため息をついた。


「はぁ」


雪の顔はみるみる曇っていった。携帯を凝視したまま、右手でテーブルを探り、空になったワイングラスを口元へ運んで、グイっと持ち上げた。もちろん、グラスは空なので、ワインは口の中へは流れない。雪は、その時やっと気が付いたようだ、グラスはもう空なんだと。


「でもね、とっても優しい人なのよ」


「そう……」


私は、何も言えず、うなづくだけだった。


外から涼しい風が流れて来て、ふっと肌を触った。翔太が部屋に入って来ていた。


「なぁ、はっきりさせた方がいいんじゃないか? そもそも、ルサではなくて、ルサだろ? 精神科のお医者さんが間違う事かな?」


「ううん、もういいの」


「いいのって、いいわけが……」


「翔太、大丈夫よ」


私は翔太の口を遮った。翔太は不満げな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。


すると雪が独り言のようにつぶやいた。


「彼はね、本当にお殿様の子孫なんだと思うのよ、でも、それに見合った現在を手に入れられていないんだと思うの。関係無いのにね、誰の子供だとか、誰の子孫だとか……。彼は、ずっと、本当は存在しない何かを恨んで生活しているのよ、きっと。そう、彼にとっては、私も恨みの対象なんだわ。これまで、さして不自由なく、働いて、結婚して、離婚して、そしてまた、恋人を見つけて……なんて、立場の違う人から見たら、恨めしく思えるのかもしれないわね。そんなにいいものじゃないけれど……」


「雪……」


雪はそれだけ言うと、鞄に携帯を押し込んで出て行った。もう終電はとっくに出ている。きっと、一人になりたいんだろう。


私は雪を見送ると、リビングを片付け始めた。若い頃を思い出して、ちょっと飲み過ぎた。赤ワインのストックを全部吐き出してしまった。


「なあ、本当に大丈夫なのか?」


翔太がバーベキューのゴミをまとめながら不満げに私をちらりと見た。


「大丈夫かと言われれば、大丈夫ではないだろうね、でも……ところで、翔太、ルサマンチンではなくって、ルサンチマンが正解だなんて、よく知ってたわね?」


私はこみあげてくる不安を隠しながら翔太に質問した。


『ルサンチマン』なんて難しい言葉を、11歳も年下の男の子が知っているなんて、思いもしなかった。私は翔太のどれほどを知っているんだろう。まだ私の知らない翔太が潜んでいるのかもしれない。


「ああ、精神科の事は分からないけど、哲学はちょっとかじったことがあるんでね」


夏がまた始まる。

涼しい風は、きっとすぐに姿を消して、また、暑い夏の日々が続くのだろう。そうして夏が過ぎ、秋が過ぎて、また夏が巡ってくる。


来年もまた、花火を余らせることがあるのだろうか。


「ところで、早く花火を持って来いよ。去年の残り花火、全部使ってしまおうぜ」


私は、去年残った花火を持って庭に出た。なぜかいつも残るのは、線香花火ばかりだ。私は花火に火をつけながら、もうひとつだけ翔太に質問してみた。


「ねえ翔太のご実家って、実はすごい良家だったりしないわよね?」



おしまい


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