第6話

 前方向二七〇度からの視線に耐えられる化粧を施し、口元には微笑みを浮かべて今日も目の前のモニターを見つめていた。隣に座る亜子とは、朝の挨拶以外一言も口を聞いていない。こんな日はよくある。


 ――本日、隣は嵐の模様。


 頭の中で唱えて、前方向への微笑みに変えた。

 大方、週末のデート相手にドタキャンでもされたのだろう。こういう時は放っておくに限る。緊張感の漂う空気の中で、朝買ってきてすっかり冷めてしまったカフェ・ラテを口に含んだ。


 今日は人の往来が多く、アポ取りの電話もたくさんきた。お隣との私語を望めない日は忙しいと時間が過ぎるのが早くて助かる。亜子の方も気分に振り回されることなく仕事はきっちりこなしてくれるので、特に気を配る必要もない。このまま時間が過ぎるのを見ていよう。そう思った矢先だった。


「お疲れ様、亜子ちゃん」

「角沼さん」

 亜子がの本名を口にした。


 亜子がの相手をしている間にアポを確認し入館証を用意する。すると隣から驚きの会話が聞こえてきた。


「角沼さん、今日食事いかない?」

「いいね。でも今日は忙しいんだ。ごめんね」

「ふーん。残念」

「残念って。亜子ちゃん、僕に興味ないくせに」

「えっ……」

「じゃあね!」


 ――ちょっと! 隣は今日嵐だってのになんてことを言ってくれるのよ!


「あー、もうムカつく!」

「……どうしたの? 亜子」

 ああ、こんなこと聞きたくなかったのに。


「なんかさ、ついてないんだよね。先週のデートもドタキャンされるし」

「そうなんだ、そんな時もあるよ」

「今だって、にまで断られるしさー」

 断られたっていうか、振られたんだと思うけど……。


「しかも私見ちゃったんだよね。が他の女とデートしてるの。私と他の女を天秤にかけてたんだよ? 信じられない」

 自分のことは棚に上げて……。というか、そんな男に媚びうるような真似をしたのか、この女は。


 亜子の塩対応にもめげず、デートの回数を重ねていただったが、やはり亜子の見た目以外の魅力のなさに気がついてしまったようだ。彼の良さに気がつければ亜子も人並みの幸せを手にすることができていたかもしれないのに。


 返す言葉を無くした私が下を向くと私用の携帯電話が光っていた。亜子との会話を切り上げるきっかけに、メールを装って確認すると、例年より一ヶ月遅れての梅雨明けがようやく発表されていた。



 おわり

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真夏の攻防戦 しゅりぐるま @syuriguruma

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