第11話 転生Ⅳ
「翌日の天気は、雨だった。朝の時は晴れていた空もだんだん怪しくなって、朝と昼の境目に来た時にはもう、その雲から冷たい雨を落としていた。憂鬱な顔でその雨を眺めたが、雨は翌日の朝に止んだ。橋の近くを流れる川はもちろん、町の通りからも雨音がまったく聞こえて来ない。私は橋の下に座って、その日の朝食を食べた。それを食べ終えたら、後ろの地面に寝そべった。地面の感触は、やはり堅い。身体の体勢を変えると、その堅さがよりハッキリと伝わった。『はぁ』と、溜め息を一つ。そして、『このままではダメだ』と思い直した。麻布の中に入っているパンも、無限ではない。今は大丈夫でも、いつかは無くなってしまう。
私は右手に麻布を持って、地面の上から立ち上がり、町の中に向かって歩き出した。私が町の中を歩いている間、何人かの人々が私の横を通り過ぎて行った。彼等は各々に馬を走らせたり、あるいは自分の周りに召使い達を従えたりして、町の中を歩いていた。私は、彼等の視線を無視した。彼等の視線は意地悪く、私の姿を楽しげに眺めていたからね。不快に思わない方が無理だ。暗い気持ちで、町の通りを歩きつづける。町の中心部まで行くと、真剣な顔で町の人々を見渡した。アイツらのような人間は御免だが、中には心優しい人もいるだろう。人の痛みを理解し、その傷を癒してくれるような。
私は、そう言う人間を捜しつづけた。だが……優しい人間は、なかなか見つけられなかった。道行く人々は私の顔をチラリと見てくるが、最初から私の事を助ける気はないらしく、私の姿を嘲笑っては、私の前を素通りして行った。私は、彼等の態度を睨んだ。彼等の態度には、『優しさ』と言うモノが感じられない。相手に対する思いやりも。彼等の心は、渇き切っていた。他人の痛みを『痛み』とも思わず、相手事をただ見下すばかりで。私は、その現実に苛立ったが……。彼等と出会ったのは、そんな思いに心が支配された時だった。彼等は、私に手を差し伸べた。今にも爆発しそうだった私に。彼等は私に食事と衣服を与え、自分の封土に帰る道すがら……ほとんど突貫工事だったが、生きるのに必要な知識を授けてくれた」
ダリアは彼の話に呆然としましたが、その質問だけはハッキリと聞く事ができました。
「△△嬢はどうして、アンタに惚れたんだ?」
領主は、その質問に微笑みました。
「困っている人を放って置けない。彼女は慈悲の心で、私の事を救おうとした。たとえ、身分の違いこそあっても。彼女には、私が天の使いのように感じられたようだ。私の瞳を見て。『この人は、どうしても救わなければ』と思ったらしい。彼女の隣にいた両親も。彼等は町の貴族達とは違って、深い愛情に満ちていた。私はその心に救われ」
「まんまと花婿になったわけだ」
「恥ずかしい話だがね。私は花婿として様々な事を学びつつ、何れはここの領主になる決意を固めた。でも……」
「そんな時に悲劇は起った?」
「ああ、悲劇よりも悲惨な悲劇だ。私は、ようやく出来た自分の家族を喪ってしまった」
ダリアはその言葉に胸を痛めましたが、顔には決して見せませんでした。
「悲しいな」
「ああ、本当に悲しい」
二人は互いの顔を見、そしてまた、周りのライ麦畑に視線を戻しました。
「ダリア」
「んん?」
「人生には……どんなに辛い事があっても、生きなければならない時がある。先に死んでいった人の分まで。人は……生きる意味では、みんな同じなんだよ」
ダリアはまた、領主の顔に視線を戻しました。
「俺とアンタが、同じ?」
「ああ」
「違うね。その境遇がどうであろうと。アンタはやっぱり、ここの領主だ。ウォルタールの領土を支配する。俺は一生、アンタに支配されるんだよ。アンタの封土を維持するために。他の奴らは、アンタの事を気に入っているけどな。前の領主と同じくらいに。俺が尊敬するのは、先代の領主だけだ。先代の領主は……あの人だけは、違う」
「どう言った所が?」
を聞いて、ダリアの目が鋭くなりました。
「あの人は、俺の事を応援してくれた。俺よりもずっと偉いのに。あの人は、俺の事を認めてくれたんだよ。『最大の親孝行は、お前の笑顔を絶やさない事だ』って」
「そうか」
領主は、自分の足下に目を落としました。彼の足下では、働き蟻が餌を運んでします。前の蟻が作った道標を見失わないように。領主がそれらの蟻から視線を逸らした時も、変わらず顎で掴んだ餌を運びつづけていました。
「ダリア」
「んん?」
「君の過去に何があったのか。それを聞いても、私にはどうする事もできないだろう。今の私が、過去の私を取り戻せないように。私達は、今の時間を生きるしかないんだ。今の時間を生きて、未来の自分に希望を託すしかない。その道がどんなに険しい物であろうと。私達には、明日を生きる責務がある」
「その責務が自分を苦しめるのだとしても?」
「ああ」と、領主の口元が笑いました。「苦しみこそが、『生』の証だからな。苦しみのない人生は……最早、人生とは言えない。苦しみを越えた先に『生』への希望がある」
「アンタは、文字通りの哲学者なんだな」
二人の視線が重なりました。
「私は、哲学者ではない。それに」
「それに?」
「人は、誰でも哲学者になれる。その人間が、生きる事を諦めなければ。君も、生きる事を諦めたくないだろう?」
「当然」と答えたかったダリアですが、「う、ううう」と口籠もってしまいました。「ま、まあ、死ぬよりはマシかな? 特にやりたい事はないけど」
「やりたい事があれば、生きる事に希望を持てるのか?」
「そりゃあね」が、ダリアの答えでした。「ただぼっと生きるよりは。何かしらの目標があった方が良い。俺も、くっ。だが」
「ん?」
「俺には、その自由が無い」
ダリアは、悔しげに俯きました。
「アンタには、自由があるんだろうけど」
「……いや、私も君と同じ。領主だって、不自由な生き物なんだ。農奴の君が思う以上にね」
「なら」
「ん?」
「どうして、領主なんかやっているんだ?」
「それが私の選んだ自由だからだ」
「アンタの選んだ自由?」
「ああ、私の選んだ自由。私は私の意思で、ここの領主を続けている。まだまだ至らない所はあるがね。私は、自分の意思を十二分に生かしているんだ」
「自分の意思を十二分に生かしている、か」
ダリアは真面目な顔で、足下の土を蹴りました。
「もしも」
「ん?」
「もしも、俺に自由があったら。アンタは、『それ』を許してくれるのか?」
領主は彼の質問に驚きましたが、やがて「もちろん」とうなずきました。
「君が『それ』を望むなら。私は全力で、『それ』を応援しよう」
ダリアは、その言葉に揺さぶられました。
「全力で?」
「全力で」
「なら」
「ん?」
「なら! この賦役から逃げだしても良いのか?」
ダリアは、領主の目を見つめました。領主も、彼の目を見つめ返しました。二人は無言で、互いの目をしばらく見つめ合いました。
「ああ。但し」
「なんだ、よ?」
「その責任を持てるなら。『自由を得る』とはつまり、その行動に責任を持つ事だ。君は今……言い方は悪いが、私に守られている。私の封土を維持する代わりに、その命を守られているんだ。他の農奴達と同じようにね。自由を得れば、その加護を失う事にある。君に『それ』を失う覚悟はあるか?」
「ある」とは、すぐに答えられませんでした。「自由を得る」と言う、ある意味で夢のような言葉に。ダリアには、「それ」を得る覚悟が無かったのです。
ダリアは世の若者達と同じく、目の前の自由に恐怖を感じました。
領主は、その姿に目を細めました。
「私のいた町、『自由都市』と言うんだがね。封土から逃げだした人間がそこで一年間過ごすと、都市の住民になる事ができる。身分の方は、農奴とあまり変わりないが。ここの生活よりは、ずっとマシになるはずだ。君には、そこに行く権利が与えられている。後は、君の覚悟次第だ。君がもし、そこに行く覚悟を決めたらなら。喜んで、君の自由を応援しよう」と言って、自分の馬にまた乗る領主。彼は馬の手綱を引いて、その馬を走らせました。
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