第2話 彼の日常
誰かに肩を揺らされた。彼の周りからは、「アハハハ」と言う笑い声が聞こえて来る。声の種類は、様々だった。「マジ、ウケる」とうるさい者もいれば、「クスクス」と静かな人もいた。
義郎は間抜けな顔で、それらの声に「ハッ」とした。視線の先には一人、担任の男性教師が立っていた。「まったく。俺の授業じゃなかったら、ぶっ飛ばされているぞ?」
男性教師は「やれやれ」と嘆息しつつ、黒板の方に向き直った。その光景に苦笑する義郎……なわけがなく、周りの声が鎮まらぬ中、自分の周りをそっと見渡した。二年〇組の教室。教室の窓にはカーテンが掛けられているが、今は窓の両側に束ねられているので、窓側の列でなくても、外の様子を眺める事ができた。今日の天気は、晴れだった。町にはその日差しが降り注いでおり、それが建物の屋根を明るく照らしていた。
「す、すいません」と、もう一度謝る。そして謝った後は、先生に注意されないよう、真面目な顔で大学ノートに黒板の文字をしっかりと書き写して行った。
教室のスピーカーからチャイムが流れた時だ。クラス委員の男子が、義郎達に向かって「起立」を促した。義郎達はその指示に従い、男子が教師に「ありがとうございます」と言った時も、それに倣って「ありがとうございます」と言った。
教師は右手に生徒の出席簿を持って、教室の中から出て行った。その姿が見えなくなると、日直が黒板消しで黒板の文字を消しはじめた。
義郎は机の中に教科書類を仕舞い、椅子の背もたれにゆっくりと寄り掛かった。
「おい、義郎」と、周りの男子達。
「なに?」
「お前、ぼうっとするならもっと上手くやれよ? 目玉に眼力を込めたりしてさ」
「う、ううん」
男子達は、義郎の反応を笑った。
「それにしても」
「ああ、義郎がぼうっとするなんて珍しいよな? 普段は、ぜんぜんぼうっとなんかしないのに」
「疲れていたのか?」
「い、いや」と、応える義郎。「疲れては、いないよ。社会の授業は、気づいたらぼうっとしていて。先生に怒られた時は、かなり驚いたけど」
「うーん」と、男子の一人が唸る。「これは、一種のミステリーですね。普段はぼうっとなんかしない奴がどうして、今日はぼうっとしてしまったのか?」
彼の考えた遊びは、男子達の好奇心をくすぐった。彼らはその答えを考えたが、結局分からず、最後は「ギブアップ」と諦めた。
それから数時間後。学校は所謂、放課後になった。
義郎はクラスの男子達と別れ、学校の職員室に行って、先生からいつもの鍵を借りて、学校の図書室(彼は、クラスの図書委員だった)に行った。図書室の中は、静かだった。利用者は部活の関係でほとんどいなかったが、義郎が図書室の受付に向かって足を進めると、何人かの生徒が彼に対して視線を向けてきた。
義郎は、受付の席に座った。受付の席は、パイプ椅子だった。表面には細かい傷が付いていて、義郎が本の貸し出しカードを確かめたり、自分の体勢を変えたりすると、それに合わせて「ギギギ」と言う音が鳴った。
義郎は、図書室の窓に目をやった。何時間くらい経ったのか? 窓の空が夕焼けに染まりはじめた頃、利用者達が近くの書架に本を返して、図書室の中から出て行った。一人、また一人と。
その姿を見送った義郎は、パイプ椅子の上から立ち上がって、書架の本を正しく並べたり、窓の戸締まりを確認したり、部屋の電気を消したりして、それらが終わると、図書室の鍵を閉めて、学校の職員室に行き、顧問の先生に鍵を返した。鍵を返した後は、学校の昇降口に行き、そこで靴を履き替えて、友達が来るのを待った。
「オッス、お待たせ」
「いやぁ、マジ疲れたよ」
全員が揃ったので、今の場所からゆっくりと歩き出した。彼らは仲良く談笑しながら歩き、町の本屋まで行くと、お互いに「じゃあな」と言い合って、それぞれの家に帰った。
「ただいま」
を聞いて、母の声が返ってきた。どうやら、家の台所で夕食を作っているようだ。
義郎は自分の靴を脱ぎ、鞄の中から弁当箱を出すと、家の台所に行き、母に弁当箱を渡して、自分の部屋に行き、学校の制服を脱いで、いつの服(ジャージだ)に着替えた。
父が帰ってきたのはいつも通り、時計の針が午後六時半を差した時だった。
義郎はベッドの上から起き上がり、家のダイニングに向かった。ダイニングの中では、スーツ姿の父が「ただいま」と言いつつ、妻に「今日の夕飯は何?」と聞いていた。今日の夕食は、ラーメンだった。ラーメンの味は醤油で、スープの上にはメンマやチャーシューなどが乗っていた。
義郎は自分の席に座り、隣の父と合わせて「頂きます」と言った。義郎がラーメンのスープを啜ると、父や母もラーメンのスープを啜った。
今夜のラーメンは、美味かった。母の話では「安売りの奴を買ってきただけ」らしいが、スープのコクと言い、麵の食感と言い、その味は本当に素晴らしかった。満足げな顔で、自分のラーメンを平らげる義郎。
義郎は「ごちそうさま」と言い、流し台の所に器を持って行って、それに水を浸すと、穏やかな顔でダイニングの中から出て行った。
それから一時間後、父が彼の部屋に行き、その扉をドンドンと叩いた。
「義郎、風呂空いたぞ」
「はーい」とベッドの上から起き上がって、家の浴室に向かう。浴室の中には洗濯機が置かれており、その近くには脱衣所用の籠が置かれていた。その中に服を投げ入れて、それから浴室の中に入る。浴室の中は、曇っていた。窓が開いていないので、その水蒸気が浴室の中にふわふわと漂っているからだ。
義郎は浴室の中からお湯をすくい、自分の身体にそれを掛けて、浴槽の中に入った。浴槽の中は、気持ち良かった。お湯を新たに加える必要もなく、湯船の内側に寄り掛かる事ができた。
「う、ううう」と、手足を伸ばす。加えて、「う、くううっ」と背伸びもして。彼が風呂から上がったのは、浴槽の中に入ってから二十分ほど経った時だった。寝間着用のジャージに着替えて、脱衣場の中から出て行く。そして自分の部屋に戻ると、穏やかな顔でベッドの上に寝そべった。
義郎は、部屋の天井を見上げた。部屋の中にゲーム機は置いてあったが、今はやる気がなかったので、部屋の天井をじっと見上げつづけた。車の走行音が聞こえる。台数は一台、それとも二台か。一台目の車は、何だかうるさかった。英語混じりのラップが聞こえて……たぶん、運転席の窓を開けているのだろう。
運転手は若い男か、あるいはイケイケの姉ちゃんかも知れない。姉ちゃんの隣には、彼女と同い年くらいの友達が乗っている。その友達もイケイケだ。二人は「マジで? アイツ、超おかしいでしょう?」と笑いながら夜の町を突き進んで行く。
義郎はその様子を思い浮かべたが、車の走行音が聞こえなくなったので、下手の天井にまた視線を戻し、ベッドの左側に寝返った。ベッドの左側には、彼のスマートフォンが置かれている。彼が小学校から中学校に上がった時、親から買って貰ったモノだ。八万円前後の値段で。スマートフォンの上部には、充電器の線が刺さっている。
義郎は無言で、スマートフォンの画面を点けた。スマートフォンの画面は、明るかった。端末のロックを外すセキュリティーシステムもしっかり表示されて、その表示を外した後も、スマートフォンの待ち受けやアイコンが画面に美しく表示された。
義郎はスマートフォンのLINEを開いて、クラスの友達と楽しく話しはじめた。
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