異なる世界の環連集
読み方は自由
万年筆
第1話 人生は、つまらない?
人生ってヤツは、意外とつまらないモノらしい。
ある日の午後……少年は、一人の男と出会った。男は、ある大企業の社長だった。若いことから有能で、会社の仕事をそつなく熟し、四十代の初めには独立、立ち上げた会社で大きな成功を治めたと言う。
男の人生は、完璧だった。目立った失敗もなく、美しい女性を捕まえて……まあ、奥さん以外の女性とも付き合っていたらしいが。
子どもは五人、男が二人と女が三人。男連中は大手の企業に就職し、長女は彼と同じように独立、四番目の次女はまだ独身だが、末っ子は大企業の御曹司と婚約を結んでいる。正に絵に描いたような家族だ。妻は三年前に他界しているので、今は多くの女性と自由に付き合っていると言う。
男が少年に「それ」を話し終えた時、少年の中で不思議な、言葉では言い表せない感情が生まれた。男に対する嫉妬……いや、怒りかも知れない。男が男として許せない倫理観、それを激しく否まれたような怒りだ。
少年はその怒りを抱いたまま、男の横顔から視線を逸らし、自分の周りにまた視線を戻した。彼の周りには、彼と同じくらいの子ども達や、その保護者と思われる大人達がいて、彼らは公園の砂場で楽しそうに遊んだり、その様子を穏やかに眺めたりしていた。
彼は隣の男に視線を戻し、鋭い眼でその横顔を睨んだ。
「貴方の話は、つま」
と言った所で、その言葉を酷く後悔した。相手の気持ちはどうであれ、その話を「つまらない」と表するのは、「相手に対して失礼だ」と思ったからだ。
慌てて、隣の男に謝る。
「ご、ごめんなさい。今の言葉は、その」
を無視するように、男は少年の頭を撫でた。
「謝る事はないよ。君の感覚は、正しい。誰だって、今の話は」
男の口元が笑った。
「つまらない。人の自慢話ほど、聞いていて嫌なモノはないからな。自分の成功談は、いくらでも聞いて貰いたいくせに」
少年はその言葉に押し黙ったが、男は構わず喋りつづけた。
「私は、君に自分の成功談を聞かせたかったんじゃない。人生の虚しさを聞かせたかったんだ」
「人生の虚しさ?」
「そう、人生の虚しさ。私の人生は、フッ。端から見れば、『成功』の人生だろう。否定の余地がないほどにね。だが、私にとっては地獄だった。毎日、毎日、金の為に働いて。私は、金が嫌いだった。子どもの頃からずっと。あんな紙切れ一枚の為に、大切なモノを失って」
男の身体が震える。
「私が仕事を頑張ったのは、『世の中は金がすべてじゃない』と証明したかったからだ。自分の会社を興したのは、仕事に浪漫を求めたからだ。多くの女性と付き合ったのは、彼女達に男の寂しさを知って欲しかったからだ。女性達は、私に優しかった。だがそれは作り物の優しさで、本当は誰も私の事を愛していなかった。私は、その現実に絶望した。現実の先に待っていたのは、本当につまらない欲望ばかりだった。人の心を腐らせるような……。君は、いくつだい?」
「十四歳です」
「十四歳。それじゃ、二年生かい?」
「はい」
「そうか。未来があって、羨ましいな」
男は静かに笑ったが、その目はちっとも笑っていなかった。眉間に寄った皺が、とても悲しげに見える。
少年は、その皺に苛立った。
「そんな事、ないよ。僕は」
の続きが途切れた。その表情から言って、どうやら言葉を続けられなくなったらしい。口元の震えを見れば分かる。瞳の方も潤んで、その目にも涙が浮かんでいた。
少年は両目の涙を拭う事無く、暗い顔で俯きつづけた。
男は、少年の頭に手を乗せた。
「いいや、未来は必ずあるよ。君のような少年にはね。大事なのは、『それ』を忘れない事だ」
彼は「ニコッ」と笑うと、鞄の中から万年筆を取りだした。
「中々に格好いいだろう? 『一人旅』って言うのは、誘惑とのデートなんだ。普通なら素通りしそうな店でも、何故かその中に入ってしまう。店の中は何処も、似たようなモノなのにさ。私はある地方の文具屋で、コイツと出会った。所謂、『一目惚れ』ってヤツでね。コイツとの旅は、実に面白かったが」
と言って、少年に「それ」を渡す男。「別れは、新しい出会いをもたらしてくれる。そいつは、君にあげよう。私のくだらない話を聞いてくれたお礼だ」
男はベンチの上から立ち上がり、公園の出入り口に向かって歩き出した。それに合わせて、少年が彼の背中に「ねぇ、おじさん! おじさんはどうして、僕にそんな話をしたんです?」と問い掛けた。
男は少年の方を振り返り、その質問に答えた。
「君が一人で、公園のベンチに座っていたからさ。町の空は、こんなに晴れているのに。今日は、日曜日だろう?」
を聞いた少年は悔しげな、でも何処か悲しげな顔で、男の笑顔を見返した。
男の死が世間に報じられたのは、それから一週間ほど経った時だった。彼の死因は、全身打撲と脳挫傷。彼は、ある廃墟の屋上から飛び降りた。町の明かりが美しく見える時間帯、屋上のフェンスによじ登って。第一発見者であるサラリーマンの話に寄れば、会社から徒歩で自宅に帰る途中、廃墟の敷地から「ドスン」と言う音が聞こえてきたので、その方向に恐る恐る行ってみると、男が地面に倒れているのを発見し、「これは大変だ」と思って男の近くに駈け寄ったが、彼の行動も虚しく、男は既に事切れていたと言う。
警察は、男の死を『自殺だ』と断定した。廃墟の屋上に遺書と思われる便箋が残されていたからだ。遺書には自殺の動機と、その経緯が書き残されていたらしい。液晶テレビの画面に「それ」が移された瞬間、少年の顔が暗くなった。
母親はその表情に驚き、父親は不安げな顔で少年に話し掛けたが、少年は「何でも無いよ」と誤魔化すばかりで、その質問には答えなかった。
「そ、そうか。なら」を聞かず、テレビの画面を見続ける少年。テレビの画面からは変わらず、男の死を伝えるニュースが流れつづけた。
「父は、立派な人でした」と、息子のインタビューに変わる。「企業のトップとしても、そして、我々の父親としても。父は、私の誇りです。それはこれからも、決して変わりません。父の死は、衝撃でした。警察から電話が掛かってきた時、アレは文字通りの地獄でしたね。頭の中が真っ白になりましたよ。父は自殺する半年ほど前、急に『一年ほど旅行に行ってくる。会社の方は副社長に任せてあるから』と言って家から出て行ったんですが。まさか、こんな事になってしまうとは。本当に残念です。兄弟達も全員、それを嘆いていますよ。『どうして、止められなかったんだろう?』とね。私も、その一人です。私は」
を言い切る前に、母親がテレビのチャンネルを変えた。
彼女はこう言う、『人の不幸を報じるニュース』が嫌いだった。
「あ! まだ、観ていたのに」と、少年が文句を言う。
「人の不幸を喜んじゃいけません!」
少年はその言葉に苛立ったが、父親が「そうだぞ、義郎」と睨んできたので、テレビの画面から仕方なく視線を逸らした。
その後は今日の夕ご飯を黙々と食べたが、やはり悔しい気持ちが残っていたようで、チャンネルこそは変えられなかったものの、夕ご飯の焼き魚を食べながら、テレビの画面にそっと目をやった。
テレビの画面は、地域のニュースを映している。地域のニュースはみな、明るかった。何某の牧場で仔馬が生まれたとか、無農薬で育てられた野菜が好評だとか。暗いニュースは、ひとつも観られなかった。
少年もとへ……義郎は、茶碗の上に箸を置いた。夕食のおかずはまだ残っていたが、何故か食欲が無くなってしまったので、母親が「もういいの?」と聞いてきた時に「うん、もう要らない。ごちそうさま」と返し、自分の椅子からゆっくりと立ち上がって、ダイニングの中から出て行き、自分の部屋まで戻って、そこの明かりを点け、部屋の机まで足を進めた。机の上には教科書やノードなどが乗せられており、ノートの近くには英語の辞書が置かれていた。
義郎は辞書の表題から視線を逸らし、一番上の引き出しから例の万年筆を取り出して、万年筆の表面をじっと眺めはじめた。万年筆の表面には、いくつかの傷が付いていた。傷はどれも新しい……いや、「古くない」と言った方が正しいか?
彼はその傷をしばらく眺めていたが、さっきのニュースを思い出してからすぐ、ベッドの上に寝そべって、自分の横に万年筆を置いた。
「あの人は、どうして?」
の答えはもう、分かっていた。あの人は、自分の人生に絶望したのだ。人間の夢をすべて叶えて、いや。本当は、何も叶えていなかったのかも知れない。彼が求めていたのは、人間としての浪漫。つまりは、愛そのモノだった。
義郎は、その愛に苛立つ。理由は良く分からなかったが、彼の求める愛に対して「甘えているんじゃねぇ」と叱りたくなかったからだ。
彼は悔しげな顔で、両目の瞼を瞑った。
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