第3話 閉じ込められてちゃつまらない。


【美津 視点】

 昨日の事が夢の様でまだ信じられない。

 ベッドの上で美津は横になりながら窓の星を眺めていた。

 服のポケットの中から落ちた緑色の粉が昨日の事が夢ではないと語っていた。

 お父さんに言っても信じてもらえないし、しかも今日は部屋に閉じ込められちゃった。

 部屋の入り口である鍵の付いたドアを見つめた。


 ここは昨日訪れた、山から少し離れたふもとの町で正夫の遠い親戚の家だった。

 結構な地主さんらしく、美津自身の部屋も気軽に貸してくれた。

 黒と白の色彩でお洒落なインテリアの素敵な部屋だったが、美津には面白みの無いこの部屋がとても嫌だった。

 いつのまにか傍に居たカブトムシも居なくなってしまった。

 自分の小さな掌を見つめる。


 確かにあの時、あの硬い様な柔らかい様なグニグニとした不思議な感触があった。

 今でもあの感覚は鮮明に思い出せる。


 しかもこの目でしっかり見てしまった。

 笑っちゃう様な不思議な目の玉とそれに沿ってあった皺。

 うつぶせになり身体の横にあったノートパソコンを開き、恐竜を検索する。


 パソコンの画像と頭の中の記憶を比べる。

 少し違うかもしれない、こんな恐そうじゃなかった。

 その画面の下の方に有った「竜」と言う文字が目に入った。

 クリックするとイラストだったが、なんだかあの目の玉にとても近い気がした。


 伝説上の生物か……。

 パソコンに書いてある文章は6歳の美津には半分くらい読めなかったが、そう書いてあるのは分かった。


 私をここに送ってくれた人、あの人も私と違ったわ。だってお空を飛んでいたもの。


 考えれば考えるほど美津の頭は混乱していった。


 あそこに行けば、またあの竜に逢えるかしら。

 だけど……。

 思い出すとまた身体が震えだす。

 竜の事が恐いのではない。


 あの暗闇、恐ろしいほどの風、あの一人の時に体験してしまった事の恐怖、記憶がまだ美津を苦しめていた。


 目を瞑り、心を落ち着かせる。

 美津の脳裏に浮かんでくるのは優しい竜(ライ)の目。


 また逢いたい。

 あんな恐い思いをしたのに。

 だけど、あのコの掌は暖かかった。

 あのコの目は優しかった。


 窓を開けると、小さく風が吹いていたが、そう荒れておらず穏やかだった。

 風に合わせて小さく木の葉が揺れる。

 美津の貸して貰った部屋は建物の二階の奥。

 美津はベッドから起き上がり窓の傍まで歩き外を眺める。目の前には既製品だがとても綺麗な大木が植えられていた。綺麗なのだけどなんだか温かみを感じない。

 葉は窓のすぐ傍まで届いていた。

 少し背伸びをし、身を乗り出して、一枚千切る。

 この、青々とした葉がなんだか少し不気味だった。

 裏と表を見る。穴も一つも空いていないとても綺麗な葉。虫の気配も欠片もなかった。


 あの山とそんなに遠くない筈なのに、どうしてあの山の緑とこんなに違うのだろう。

 葉を机の上にポイっと投げ、再びベッドに横になった。

 自分の前髪が少し目にかかる。

 指で摘み上に掻き上げる。


 うっとうしいな、明日にでも自分で切っちゃおうかな?だけどこの部屋、ハサミ無いからなー……。


 寝転がったまま部屋を見渡す。家具も何となく丸っこく危なそうな物が、何一つない。

 美津は軽く背を伸ばし、自分の横にあるリモコンを押し電気を消した。

 窓から薄く入る月の光を見て、こっちの光の方が好きだなー。そう思い、軽く目を閉じる。

 浮かんでくるのは、あのヘンテコな竜の目の玉と下瞼の皺。


 あんなに皺がくっきりあるんだもの、おじいちゃんなのかしら?だけど触ったことがないようなグニグニした皮膚だったけどハリがあった気がする。ああ見えて若いのかしら。

 目が吸い込まれるような綺麗な青だった。

 なんだろう。


 美津は思い出していると、だんだん鼓動が大きくなった気がした。

 今まで感じたことのない身体の変化に、少々戸惑いながら美津は眠りに落ちて行った。



 窓から射す日の光で目が覚めた。

 なんだか今日は下が騒がしい。

 バタバタする音が止めどなく聞こえる。

 その時、ちょっと慌て気味なノックの音がした。

「はーい」

 美津は慌ててベッドから降り、ドアまで小走りに近づいた。

 鍵を開ける音がする。

 ドアの向こうには使用人。このお家で、食事を持ってきてくれる美津専用世話係。

 優しそうなちょっと地味目のお姉さんが、食事のトレイを持ってこちらを見ていた。

 美津はなんだかこのお姉さんがこの家の中では好きだった。

 そそっかしいのだけど、なんだか人情味があるこの人がなんだか自分と同じ種類の人間の様な気がしたのだ。

「おっ美津ちゃん。朝から元気ね」

 にこにこ顔のお姉さんに美津の顔も綻ぶ。

 美津はこの時間が好きだった。

 お姉さんのスカートの裾を軽くひっぱり中に招き入れる。

「今日はなんだか忙しそうね。どうしたの?」


 トレイを机に置きながら額の汗を拭い、

「んー。なんだろうね。良く知らないんだけど、昼にはこのお屋敷の人、私と美津ちゃん以外は皆、どこかに行っちゃうらしいわよ。だから私も今日は昼までは仕事が多いんだ」

 そう言うお姉さんは、ちょっと不満そうだ。

 名前は好子(よしこ)と言う。

 そばかす交じりの今時の若者には珍しく化粧が薄目の優しそうなお姉さん。

「じゃあさ、昼にはこの部屋に遊びに来てよ。お姉さんも暇でしょう?」

 小さくウインクする美津はとても6歳には見えない大人っぽい表情だ。

 少しびっくりする好子だったが、この可愛らしい少女のオシャマな笑顔に頬が緩んだ。

「そうね、ちょっとくらい分かんないかな」

とウインクし返した。


 今日は好子がお昼に遊びに来る。

 そう思うと、なんとなくこの部屋で過ごす事も苦で無くなる気がした。

 上手く好子を丸め込んで外に出ちゃおう。

 そんな悪巧みをしてしまっている美津だった。


 私はこの家の事を全然知らないし、まずは味方を増やす事が先決よね。


 窓の傍まで歩き、外を見降ろす。

 太い幹が窓にかかり上手くいけば下に降りられそうだ。

 だけど私はできれば確実な方が良いのよね。

 綺麗すぎるその木の幹が、どうも自分とは相性が悪い気がして信用ができない美津だった。



 午後1時。

 コンコン、ノックの音と同時に鍵を開ける音。

「美津ちゃん。来たよ」

 ドアを開け覗き込んでいたのは好子。

 美津はどれぐらい考え込んでいたのだろう。

 開いていたパソコンも、ちっとも進んでいなかった様だが、いつの間にか昼過ぎになったようだ。


「お邪魔します」

 好子はちゃっかり中に入り、ソファーに座って寛いでいる。

 クスクス笑いながら呆れた顔で見る美津。

「いいの?一応仕事中でしょ?」

 好子はいたずらっ子の様な笑みを浮かべ。

「美津ちゃんは告げ口したりしないでしょ?ここの家、硬くてさ。割が良いから始めた仕事だったんだけど、肩凝っちゃって。たまには息抜きさせてよ。ちゃんと仕事は終わらせて来たから。部屋の掃除もしっかり終了」

 いえーい、とノリノリのお姉さん。

 見かけとかなり性格が違うらしい。

 美津はこういう所が気に入っていた。

「まあ言ったりしないけどさ。お姉さんも結構、苦労してるのね」

 美津も好子の机を挟んで正面に置いてあるクッションの上に座る。


「そりゃそうよ、……まずね、朝一には……」

 そこから好子の仕事奮闘話が延々と続いた。



 好子のそそっかしさや、この家の暴露話はかなり楽しめたけど、このままでは外にも出られないまま日が暮れてしまう。

 しかし話を聞いた事によって好子は随分気分を良くしたようだ。心もかなり開いてくれている気がする。

 ここまできたらこっちのもんね。


「お姉さん。お願いがあるの」

 ウルウルと涙を溜めて好子を見つめた。

「えっどうしたの?お腹痛い?」

 好子はかなり情に脆く素直すぎると言う事が話を聞いていて分かった。

 つまり騙されやすいと言う事だ。


「違うの。私のお父さんね、今回の仕事、色々あって困っているみたいなの」

 涙を浮かべ辛そうに話す美津は、どこからどうみても可愛い親思いの少女だ。

「私、実はお父さんのお仕事、ちょっとお手伝いしていたりするんだけど、車の中にデーターを置いてきてしまって。忙しいお父さんをちょっとでも手伝いたいの。びっくりさせて喜ばせたいの」

 ちょっと胡散臭すぎたかな?

 下を向き、舌をペロっと出した。

 好子は気づいてないようだ。


 だけどさすがに駄目だよね。

 いくらなんでも嘘ってばれちゃうよね。

 何処の親が6歳の子に仕事を任せるって言うの。流石にこの作戦は失敗か。


 そう思い美津はうつむいていた顔を正面に向けると目の前には眼頭に涙を溜め、目を赤くした好子が居た。

「なんて良い子なの。自分勝手な子供が増えている中で、こんな親思いな子、見たこと無い。私の妹にも聞かせたい。いいわ。分かった。だけど一応部屋から出しちゃいけないって仰せつかっているんだけど。困ったわね……。私が行って来ようか?」

 良かったわ、思ったとおり単純みたい。

 美津は再び目を潤ませ。

「ううん。私が行く。お姉さんじゃ多分分からないと思うの。私をこの部屋から出してくれるだけで良いの。すぐ戻ってくるから」

もうちょっと押せばこっちのもんね。

 鼓動も早くなり、上手くいきすぎていると思いながらも頬が緩みそうになるのを必死にこらえた。

「いいえ、私も責任があるし。分かった。車まで一緒に行く。あっそうだ、鍵とかあるの?」

 ちょっと楽しそうに好子の顔が綻んでいるのは気のせいだろう。

 カクンと美津の腕の力が抜けた。上手くいったと思ったのに。まあ、いっか、とりあえず部屋を出られる事が先決ね。

「鍵は一つお父さんから預かっているの。こういう事もあるかもしれないからって」

 本当は、お父さんの部屋に有ったのを随分前に一つ拝借したんだけどね。

「信用されているのね、分かったわ。皆が帰ってくる前に行きましょう」

 善は急げと立ち上がった好子の後ろを着いて行く。

 なんだか楽しそうな好子に眉を潜める美津だった。


 この家は本当に広いようだ。祠堂に送ってもらった美津は途中、恐さで気を失ってしまい。

 気がついたらあの部屋で眠っていた。

 もちろん父の正夫がすぐに部屋に顔を出してくれたのでそんなに恐い思いはしていないが。

 ここは正夫の親戚の家と言っても美津が訪れたのは初めてだった。

 こんな山奥だ。そうそう来る事は無い。

 正夫は現在、この山の不思議な気象現象について上に報告しないといけないと、 今朝から親戚(正夫の従兄弟らしい)と外国に向かった。空港までは親戚の車で行ったらしい。

 よって、今日は絶好のチャンスだった。



 それにしても、無駄に広い家ね。

 まあ、こんな山奥だし土地も安いのかもね。

 この大木。結構いい物使っているわね。


 廊下の柱を撫でながら子供らしかぬ事を考えている美津だった。


「美津ちゃん?何しているの?他の人が帰ってきたら面倒な事になるのよ。急いで」

 好子に急かされ本来の目的を思い出し、足を早めた。


 屋敷の裏手の車庫にはちゃんと正夫の車が眠っていた。

 なんだか乗ってきた時より所々綺麗になった気がするけど気の所為かしら?


 実は祠堂が細かいところまで整備し直してくれていた。


 まあいいわ。ええと鍵、鍵。

 ポケットを探る美津だったが好子の怪しげな動きに目を見張った。

 好子は「すげー、すげーな」と酷い言葉づかいを無意識にしながら車の周辺を回ったり下を覗き込んだり、はたまた中を覗き込んだりして珍しそうに眺めていた。

 そう実は好子は大の車好き。

 この車庫に来るのも実は初めてではなかった。

 そんな好子を呆れ顔で見る美津。


 ちょっと、ちょっと。なんなの私の涙はなんだったの?私の苦労は?この事知っていたら涙なんか見せなくても、もっと簡単にここまで来れたのに。なんか私、馬鹿みたい。


「ほら美津ちゃん、何しているの?早く鍵開けないと」

 好子の眼はギンギンだ。


 こ、恐い。

 美津はタジタジになりながらも勢いに押され車の鍵を開けた。


 まあ、どうでもいいわ。ここまで来たらこっちのもんよ。

 美津は運転席に乗り込み。

 真ん中のボックスに鍵を置き、ハンドルの所のオートチェンジャースイッチを見た。

 親指大の赤いスイッチ。

 まだカバーは外れたままだ。

 美津はこの前の恐ろしい体験を思い出していた。

 恐い。もちろん今でも思い出すと身体が震えあがる。だけど何故、私はあそこに行きたいと思うんだろう。あのコに、あの竜の様なものに逢いたいと思うんだろう。

 この時、美津は無意識に引かれていたのだろう。ライの魂に。


 美津は迷いながらも赤いスイッチに手を伸ばしていた。

 勢い良くエンジンがかかる。

 車庫の砂が巻きあがる。

 芝生の草も少し抜け、巻きあがる。

 この時、スイッチを押すことに頭がいっぱいだった美津は、すっかり好子の存在を忘れていた。


 猛スピードで発進した車とともに、後部座席にひっくり返った、好子の「何なのいったい」

の声が社内にこだました。


 しまった。という美津の心の声と共に。


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