第207話 一言も言ってないわ
「ミュルサリーナさん、ありがとうございますっ! もう……大丈夫そうです! ほらほらっ」
蹲っていたハルナは立ち上がり、元通りになった右腕をぐるぐると振り回す。
「エリオ……お姉さんはちゃんと助かったよ! 腕ももう元通りにくっついたよ!」
「そっか……よかった」
目の見えないエリオにそう告げたミーシャは、着ていた灰色のローブの大半がハルナの血で赤黒く染まってしまっている。
当のエリオはその様子を知る由もなく、只々ミーシャの説明を聞いて嬉しそうな表情を浮かべる。
「あらぁ、傷の割に案外早く治ったのねぇ。坊やの能力が強かったのと、ハルナちゃんの治癒力が高かったおかげかしらねぇ。……それじゃ、呪いは解くわよぉ? 坊やはちゃんと自分の罪の重さを──」
「あぁ、分かってるよ。もう大丈夫だぜ。一生この目を背負って生きていく」
「そう……」
ミュルサリーナは静かに目を閉じると、胸の前で両手を勢いよく合わせる。
乾いた音が周囲に響き渡り、ミュルサリーナの手から伸びていた蛇が姿を消す。
エリオは、傍らのミーシャを見て、それからミュルサリーナへと視線を向け、焦ったような表情を浮かべる。
「見える……俺の目が見えるぞ! どういうことだよ? 一生見えないんじゃなかったのか!?」
「私は一生そのまま見えないなんて一言も言ってないわよぉ? 持続性の呪いをかけている間だけに決まっているじゃなぁい。そもそもあなたの視力はずば抜けているでしょう? 坊やを一生盲目にする呪いを掛けようとするのなら、私の全魔力を費やしても足りないぐらい莫大な魔力が必要になるでしょうねぇ。……でも、仮に盲目が一時的だったとしても、その間にあなたは得難い体験をしたはずよぉ?」
ミュルサリーナの問いかけに、静かに頷くエリオ。
「あぁ、それについてはその通りだ。だけどよぉ!」
エリオは下唇を噛み締める。
「目が見えなくなったおかげで王女さまを殺す役目から解放されるって思ったのに、元に戻っちまったら……」
「なぁ、一ついいか?」
グレインがエリオに声を掛ける。
「まず、俺達は治療院の様子が心配なんでな。エリオとミーシャ、二人に危害は加えないと約束するから、一旦治療院まで一緒に来てもらえないか? これまでと今後の詳しい話はそこでしよう」
「あぁ……分かったよ」
そして一同は、治療院へと向かう事にした。
********************
船を下りた瞬間、エリオは治療院の方を見て青い顔をする。
「エリオ、どうした?」
そんなエリオの様子に気づいたグレインが声を掛ける。
「治療院の様子が……」
ぽつりとそう漏らすエリオに、グレインは戦慄する。
「まさかお前、この距離から治療院が見えるのか!? 俺達には建物の形すら見えないんだぞ!?」
「エリオの目は……特別なんです。『神の眼』……って呼ばれてましたから。遠くが見えるだけじゃないんですよ? 魔法で偽装したものも見破ったりできて……。きっと、エリオの目に映る世界は、私達とは違う世界なんですよ」
ミーシャが誇らしげに言う。
グレインは突然エリオの頭を撫でる。
「そうか……。お前、大変な人生だったんだな」
「……ぇ?」
不意を突かれたエリオは驚きの声を漏らす。
「何事も見えないより見えた方がいいってことでもないんだ。世の中には、見えない方がいい事だって沢山あるからな。そういうとこまで全部見えちゃうってのも、それはそれで可哀想だ」
エリオは小さく頷き、悔しそうに呟く。
「……何で……何で今日初めて会ったばかりのおっさんなのに、そこまで分かるんだよ。村の長老だって俺の目のことはただ褒めるだけで、そんな心配一度もしてくれた事なかったのに……」
「長老は、もしかすると話が違うかも知れないけどな」
グレインの言葉にエリオは首を傾げる。
「つまり、坊やを暗殺者に仕立て上げたかったから言わなかった、って事かしらぁ」
ミュルサリーナが笑顔で言う。
「村長って……ホントいつでもクズよねぇ」
笑顔でそう言い切ったミュルサリーナから、無言のプレッシャーを感じる一同。
「と、とりあえずエリオ、治療院の中の様子は分かるか?」
エリオは俯き、首を左右に小さく振る。
「いや、狙った病室の窓が全部割れてる事ぐらいしか分からねぇ。……でも、窓が割れてるってことは、俺の矢が到達したのは間違いねぇ」
「そうか……。じゃあ、これから歩いていく道すがら、何か新しいことが分かればすぐに教えてくれ」
「新しいこととは、例えば壁が血まみれになってるとか、床に肉片が飛び散ってるとか、脳味噌が……とかそういう事ですわよ」
全くいらない補足をするセシルに引き気味のエリオ。
「エリオ、大丈夫だ。俺もお前と同じ気持ちだから……。な」
そんなエリオと顔を見合わせて頷くグレインなのであった。
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