第169話 禁呪

 死んだ筈の男が目の前で怯え、蹲っている──その状況に思考がついていけず、只々震える緑髪を呆けるように見つめるグレインであったが、トーラスの言葉によって意識を引き戻される。


「グレイン、こっちもだよ……」


 グレインがトーラスの方を振り返ると、彼の足元には先ほど命を奪った騎士から脱がせた兜が三つ転がっており、その傍らにやはり三人のリーナスが横たわっている。

 さすがのトーラスも開いた口が塞がらないといった状態である。


「はぁ……。だからあまり見ない方がいいって言ったんだけどなー」


 二人の様子を見て、アウロラが溜息交じりに呟く。


「アウロラ、これはどういう事なんだ? リーナスは全部で何人いるんだ?」


「本当のリーナスは、あの時ウチが殺した一人だけ。あとはみんな禁呪で作り出された分身だと思う。誰が具現化したのかは分からないけど……」


 そう言ってアウロラは、怯え切った表情で話を聞いている『生き残り』のリーナスに目を向ける。


「さっきも言ったけど、ウチがリーナスに施したのは『覚醒』とか『闇進化』って呼んでる、人体強化とジョブ強化の禁呪。……その過程で、強化対象から不要な感情を抜き取って水晶に封じるの。必要なのは感情を持たず、命令に忠実な『人形』だけだから」


「……無駄に力を手に入れた分、反逆とか余計な事を考えられると面倒だから、って事か? ……しかし、あいつはとてもじゃないが人形と思えないほど、感情を表に出して好き勝手に暴れてたぞ?」


 アウロラは静かに頷く。


「……トーラスさんの屋敷で暴れるところまではちゃんと命令通りだったんだけどね……。たぶん僅かに残っていた感情が、ラミアとグレインを見て一気に増幅されたんだと思う。彼が二人に対して抱いていた感情が、ウチの想像以上に大きかった……のかな。だから……あの覚醒は失敗。だからその責任を取って、ちゃんとウチの手で処分したでしょ? 流石にあの状態の彼を、野放しにしておく訳にはいかないからね」


「あれでも一応人間だぞ? 失敗したから処分とか……お前の倫理観はどうなってんだ!?」


 アウロラの用いた表現にグレインは不快感を顕にするが、彼女は構わず続ける。


「あれで終わりだと思ったけど……終わってなかったね。……この状況を見る限り、ウチがリーナスから抜き取って水晶に封じた感情を、誰かが取り出して具現化したって事で間違いなさそう」


「感情の具現化……そんな事ができるのか?」


 自分の言葉が無視されたことよりも、降って湧いた疑問への好奇心が勝ったグレイン。


「水晶から抜き出した感情に魔力を注ぎ込んで、存在しない身体を補うのが一般的かなー。姿形や魔力、ジョブはリーナスのものと同じになるけど、知識や記憶は魔力を注ぎ込んだ人のままなの。だから、リーナス達は術者の情報を持っている筈だよ」


「お、おい、じゃあ……トーラスから変態成分の感情だけを抜き取って、今のトーラスを真人間にすることも出来るのか?」


「やろうと思えば出来るかなー」


 トーラスを見ながら微笑むアウロラ。


「それなら是非アーちゃんにお願いしたいわね」


「兄様……とうとう真人間に……嬉しい……」


 期待に満ちた眼差しをアウロラに向けるナタリアとリリー。


「ちょっとグレイン、変な事言わないでくれないか! 皆も反対してよ! そんな事したら……僕が僕じゃなくなっちゃうじゃないか!」


 激しく抗議するトーラス。


「ふふっ。……ウチもそう思うなー。トーラスさんは変態だからトーラスさんなんだよね? 小娘好きのトーラスさん」


 アウロラはそう言いながらトーラスに近付き、頭を撫でる。


「アウロラさん……てへへ」


 かつての憧れであったアウロラに頭を撫でられ、トーラスはたちまち顔が赤くなり、蕩けるように表情が崩れていく。


「こっ……小娘とは何ですの! 何故か無性にイライラしますわ!」


 セシルは右手にヒールの光球を浮かべて憤る。


「あ……、完全に忘れてたー。生き残ったリーナス君、キミの処遇をどうするかだけど……。まずキミを作り出したのは誰かなー? さっきも言ったけど、キミには創造主の記憶があるはずだよね?」


 トーラスを撫でていたアウロラはくるりと身体の向きを変え、生き残りのリーナスに対して問い掛けながら氷の槍を生成し始める。


「お、お、おね、お願い、こ、殺さないでぇぇくださぁぁぁぁ!」


 生き残りのリーナスは涙を流しながら喚き散らす。


「アウロラさん、これじゃ話ができないから、一旦魔法を解いてください!」


「この存在に対する責任はウチにあるから、ウチが処分するのが筋だと思うんだけどなー……」


 トーラスに窘められたアウロラはぶつぶつと文句を言いながら氷の槍を消し去る。


「……君、もう怯えることはないよ。全て話してくれたら、僕がこの生き地獄から解放してあげるからね。痛みすら感じないで、一瞬で楽にしてあげるよ」


 冷たい笑顔でリーナスにそう話し掛けるトーラス。


「や、やっぱり殺すんだァァァァ!」


「トーラス、それじゃアウロラと何も変わらないぞ? ……まったく……。アウロラ、こいつを元に戻すことはできるのか?」


 アウロラは無言で首を左右に振る。

 それを見て、グレインは溜息をつきながらリーナスに向き直る。


「……なぁ、今のお前はヘルディム王国のクーデターで大暴れして、多くの人を殺した大罪人の姿なんだ。今後、無実の罪で衛兵とか騎士団に追われる可能性だってある。……それでも生きていたいか? 生きていたいなら、アウロラの質問に答えろ」


 リーナスは何度も首を縦に振る。


「じゃあ、まずその姿になった経緯から教えてもらおうか」


「……そ、そもそも俺は、闇ギルドアジトの掃除屋だったんです。ただアジトの掃除をするだけの簡単なお仕事……。でもある日、そのアジトのボスが大事にしてた花瓶を割っちゃって、あっという間に俺は殺されました。殺された……筈だったんですけど、目が覚めたらこの姿で──」


 そこまで聞いて、アウロラが口を開く。


「あ……キミは魔力製の身体じゃなくて、死体に憑依させられたパターンなんだね……。じゃあ残ってるのは身体の記憶だけ。術者の情報は残ってないやー」


 アウロラの言葉に、大きな溜息を吐く一同であった。

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