第168話 おすすめはしないけど

「『不可視化インビジブル解除』……。ふぅ……。とりあえず誰にも見つからなかったかなー?」


 そんなことを呟きながら、彼女は目の前に並ぶ背表紙を眺めている。

 トーラスが、最後に生き残った騎士に襲撃の理由を尋ねている頃、アウロラもまた、人知れず単身幽霊船に忍び込み、別の船室にいたのであった。

 彼女がいたのは、およそ船室とは思えないほど天井の高い異質な部屋であったが、この部屋の特異性はそれだけではない。

 ぎっしりと無数の本が収められている書架が、その高い天井ぎりぎりまで聳え立っていたのだ。


「(なんで……船にこんなに書物が……? まるで書庫みたいだけど……こんなの船が沈没したら一巻の終わりだよ? ……それにこの書物……いや、今はそれよりも!)」


 アウロラは何かを探るように、迷路のように並んだ書架の間を静かに歩いていく。

 そしてついに、書架と書架の隙間の壁面に作られた小さなドアに辿り着く。


「(……感じる……。このドアの奥……)」


 アウロラはドアに耳を寄せて中の様子を諜う。

 数人の話し声が聴こえるが、何を言っているのかまでは聴き取れない。


「(すぐ近くに誰かがいたら盗聴魔法なんて気付かれるし……鍵穴もすき間も無さそうだし……うーん……ん?)」


 ドアの向こうの物音を聴こうとしたり、隙間から覗き見できないかと考えていたアウロラにとって、役に立ったのは意外にも嗅覚であった。


「(この臭い……血の臭いだねー。……行ってみようか)『不可視化インビジブル』」


 彼女は、小さくそう呟くと、船の揺れに合わせて静かにドアを開けていく。

 それはまるで立て付けの悪いドアが、船の揺れで勝手に開いたように。

 魔法で透明化したアウロラは、慎重にドアを開けていき、身体がぎりぎり通れるようになったところでするりとドアを通り抜けると、心臓が止まりそうなほど驚く事になる。

 目の前には、仄かな光を放つ少女が階段に腰掛けているのであった。

 更に、アウロラは魔法で姿を隠しているため、他の人には見えないはずなのだが、少女はずっとアウロラの方を見て微笑みながら、静かに手招きをしている。


「(えっ……見えてる……の?)」


 アウロラは、静かに階段の少女に近付いてみる事にした。


********************


「さてさて、そろそろ言ってもらわないと時間切れになるよ? 君も他の奴らと同じように、自分の剣で串刺しにされたいのかな?」


 トーラスは全身に纏っていた黒霧を右手だけに集約し、騎士が持つ大剣にその右手を添えている。


「さあ、言うんだ! 『小さい女の子が好きだ!』と! 魂の限り叫ぶん──」


「「目的変わってるじゃねぇか!」」


 グレインとナタリアの拳がトーラスの後頭部に炸裂する。


「あたたたたぁ……誰かヒールを……」


「兄様……じゃあ……殺すね」


「あ、リリー…………だ、大丈夫! も、もう治ったよ!」


「トーラス様……頭部が少し爆散してもよろしいのなら、是非ともわたくしのヒールで癒やして差し上げますわ」


「セシルちゃんまで! ……大丈夫だから! ね!」


 彼はこの時初めて、ここにまともなヒーラーが一人もいない事に気が付く。

 トーラスが元気だと叫びながらセシルとリリーの横で勢い良く立ち上がると同時に、ベッドの下からも悲鳴が上がる。


「ひゃあっ!」


 それは、ベッド下の隠し階段に座っていたリズに近付いたアウロラが、足元の白骨に驚いた声であった。


「あははっ、やっぱりおねえちゃんもびっくりしたね。そのホネ、みんなおどろくんだよ」


 アウロラはリズに見つかってはいるものの、グレイン達の前に姿を見せるつもりはなかったため、慌てて両手で口を塞ぐが、時既に遅しであった。


「(び、びっくりしたー。こんなところに骸骨……。あの子、ウチを驚かすために!?)」


 口を塞ぎながら頬を膨らませるアウロラ。


「今、ベッドの下から聞こえた声……あれはアーちゃんの声ね」


 一瞬で親友に悲鳴の正体を見抜かれてしまったため、そのまま階段を上がり、ベッドの下から這い出す。


「は、はろー。……来ちゃった」


 一同がそんなドタバタ劇を繰り広げている間、生き残りの騎士はこの場を離れようと必死でもがいていたが、両手足に絡みついている黒霧がその固定された空間から動くことは無かった。

 もがくことで発生する金属音に気が付いたトーラスが、再び騎士の方へ注意を向ける。


「さて、諦めはついたかな? じゃあ、楽にしてあげよう」


 トーラスが右手の黒霧を大剣の切っ先に近付けたその時、初めて騎士が口を開く。


「す、済まなかった! 俺は……俺はまだ死にたくない! ただ、人間になりたかったんだ!」


 グレイン達は、その発言の意味を理解できず、首を傾げる。


「何言ってんだ……お前は人間だろ? それとも、その鎧の中身はスライムとか幽霊でしたってオチか?」


「……俺はまだ……人間じゃないんだ。この任務が成功したら、正真正銘の人間にしてくれると言われたんだ」


「……ねぇ、それは誰に言われたの?」


 突如、アウロラが騎士に問い質す。

 グレインはいつになく真剣なアウロラの表情や口調にただならぬ雰囲気を感じ、静かに成り行きを見守る。


「……闇ギルド総裁……ギリアム様だ。……お願いだ! もう何でも喋る! だから殺さないでくれ!」


「……っ!」


 一同はアウロラを見るが、彼女は目を閉じて頭を左右に振る。

 それは、かつての総裁の預かり知らぬところで闇ギルドが動いているという事にほかならなかった。


「はぁ……。やっぱりギルドは完全に乗っ取られたんだー……。だとすると、その鎧の中身も予想通り、ウチの禁呪を悪用したものなんだろうなー」


 アウロラは吐き捨てるように呟く。


「予想? 悪用? どういう事なんだ?」


 話についていけないグレインがアウロラに疑問を投げ掛ける。


「この船から……まぁこの騎士たちから、覚えのある禁呪の魔力を感じたの。だからウチは正体を見極めるためにここに来たんだけど……どうやら正解だったみたい」


「その禁呪って何なんだ?」


「……人体強化とジョブの進化。グレイン、キミが一番心当たりあると思うけどねー。 ……『彼ら』は禁呪が産み出したもの。おすすめはしないけど、気になるならその兜を取ってみたらいいよ。……おすすめはしないけど」


 アウロラは俯きながら、最後の言葉を繰り返す。


「どういう……──まさか!」


 ある事に思い当たったグレインは、生き残りの騎士へと駆け寄り、力任せに兜を脱がせる。


「なんてこった……」


 そこには、かつてのパーティリーダーであり、グレインを瀕死に追いやったあの男、『緑風の漣』のリーナスがいた。


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