第156話 禁断の領域

「皆様、ローム公国首都バナンザに到着致しました。降車の際はお気を付け下さい」


 車列の先頭を走る馬車を駆っていた御者が、運転台から後ろを振り返りグレイン達に声を掛ける。

 馬車が止まりきらないうちに、グレイン達は次々と客車の外へと飛び出す。


「やっと着きましたねっ!」


「ポップもお疲れさまですわ!」


「ふさふさ……あったかい……」


 馬車から降りて背伸びをするハルナの傍らで、セシルとリリーは馬車と並走していたポップに擦り寄っている。

 グレインとアウロラはその様子を遠巻きに眺めていたが、突如遠くから声が響く。


「ダーーーリーン!」


 後続の馬車が停車し、ティア達が降りようとしているときに、更に後方から声の主、サブリナがグレインに向かって突進してくる。


「ダーリン! 会いたかったのじゃー! 長いこと離れ離れで寂しかったのじゃ」


 そう言ってサブリナはグレインにタックルするように抱きつく。


「いててっ! ……離れ離れって……馬車に乗ってる間だけだろ?」


「それがな……。妾の乗った馬車は最悪の雰囲気だったのじゃ……。途中で第一夫人とミゴールがしょうもないことで口喧嘩をしてな……。トーラスとレンが仲裁に入ったのじゃが──」


 サブリナの話を遮るように、グレイン達の目の前に停車した最後尾の馬車から激しい口論が漏れ聞こえてくる。

 どうやらサブリナの言う通り、ナタリアとミゴールのようであったが、客車の幌が完全に下ろされているため、中の様子を窺い知ることができない。


「だから、何であんたはそんなに偉そうなのよ!」


「儂はこの場の誰よりも年長者なんじゃ! 年の功と言うものがあろう!」


「何なのよ、それじゃあくたばり損ないのじじいなら何言ったって許される訳!?」


「誰がくたばり損ないじゃ!」


「えー? 誰かしら……。この場の誰よりも無駄に歳食って寿命が近付いてる死刑囚のじじいは。ほーんと、誰かしらね?」


「こ、この……小娘が生意気に!」


「ナタリアさん、言い過ぎだぞ! ……爺さんも意地張ってないで謝れって」


 おろおろした様子のレンの声が聞こえる。

 既にティア達も全員降車して、最後尾の客車を取り囲み、幌の中で起こっている口論の成り行きがどうなるのか、固唾をのんで聞いていた。


「儂にくたばり損ないと言うた小娘に謝る筋合いなどないわ! かくなる上は……見ておれ!」


 客車の中で急激に魔力が高まるのを感じ、周囲の者たちに緊張が走る。


「ナタリア!」


 グレインとサブリナは客車に向かって走り出す。


「ミゴールさん、そこまでだ。これ以上は……禁断の領域さ」


 よく通るトーラスの声が響き、幌の中で凝縮されていた魔力は一瞬で消え失せる。


「くっ……。若造が……! 儂の魔法を!」


「ミゴールさんもナタリアさんも、そんなつまらないことで喧嘩してないで、まずは落ち着きましょう。はい、深呼吸、深呼吸」


 トーラスがそう言っているところへ、グレインが飛び込み、すかさずナタリアを抱きかかえ、そのまま客車の外へと飛び出す。


「きゃっ! どど、どうしたのよ、グレイン!」


「大丈夫か!? 怪我はないか?」


「えっ……。あ、ありが……とう」


 グレインに抱きかかえられた状態のナタリアは次第に顔を赤く染めてゆく。


「よし、分かった。他の者たちにも訊いてみようではないか! 儂の言っていることに間違いはない事を証明してくれるわ!」


 ミゴールがそう叫んで客車から降りてくる。

 次の瞬間、ミゴールは魔力を凝縮し、空中に一枚の板を浮かべる。


「全員、注目じゃ! 今日の夕飯は海の幸と山の幸、どちらが相応しいかこの映像を見た後に答えてみよ!」


 そう言うと、空中の板にバナンザで穫れる海の幸と山の幸の紹介映像が流れる。


「「「「……は? ……はぁぁぁぁぁ!?」」」」


 グレインも慌ててナタリアを落としそうになる。


「もしかしてお前ら、晩飯のおかずで喧嘩してたってのか?」


 グレインがそう言ったところで、ちょうどミゴールの映し出す映像に、果物の山が映し出される。


「駄目だよ! そんな山盛りフルーツを見てしまったら、海派の僕まで山の幸が食べたくなるじゃないか! それは禁断の領域だよ!」


 そう言ってトーラスは黒霧を生み出し、ミゴールの浮かべる映像板を消し去る。


「この若造が! 一度ならず二度までも儂の魔法を打ち消しおって!」


 それを見て、グレインは馬車の中で起こっていた事態を把握する。


「……よし、分かった。お前たち全員そこに並べ」


 そしてナタリアとミゴール、トーラスにグレインのげんこつが落ちる。


「ったぁ……。この馬鹿力! こちとらか弱い女性なのよ!? 少しくらい手加減しなさいよ!」


「みんなどれだけ心配したと思ってんだ! ……とりあえず、まだ今日の宿も決まってないんだ。食事は宿を決めてから、そこの得意な料理にすりゃいいだろ?」


 グレインは頭を抑えて痛みを堪える三人にそう告げる。


「いっつつつ……その宿がねぇ……。山の幸が名物の宿と、海の幸が名物の宿があるらしくってさ」


 トーラスが涙目で説明するが、グレインは溜息しか出ない。


「はぁ……。もう面倒臭いからみんなバラバラに好きな所に泊まれよ」


「簡単に言ってくれるけど、そういう訳にもいかないのよ。罪人が三人いるでしょ?」


「「「「そういえば……」」」」


「あまりに自然に居るから忘れてたけど、こいつら死刑確実な罪人だったな」


 グレインは、アウロラ達闇ギルドの幹部を見回して言う。


「だから野放しにしておく訳にもいかないのよ。ここまではトーラスさんとあたしで監視してたけど……」


「ハイランドさん、ここにも牢屋とかあるだ──」


「そ、そんな! せっかく数十年振りにバナンザを訪れたというのに! 牢屋で過ごせというのか!」


 グレインに掴みかからんばかりに抗議するミゴール。


「死刑囚の分際で何を言ってんだ……」


「まぁまぁ、ダーリン。ここは妾に任せよ」


 そう言って、サブリナがミゴールの前に立つ。


「自らが罪人であることを忘れずに、バナンザの街にいる間は他人に危害を加えず、また街の外へ逃亡しない事を誓えば、自由を約束しよう。ただし約束を破った場合は、そなたは命を失う。……これは『契約』じゃ」


「わ、分かった。契約する!」


 微かにサブリナの口元が光る。


「よし、これで良かろ。……他の者達も後で妾と契約してもらうからの」


 サブリナがそう言ってミゴールに背を向けた瞬間、彼は地面に跪き頭を垂れる。


「おぉぉ……有り難や……。死ぬ前にどうしても、もう一度食べてみたいキノコがあってのう……。かのエルフの里でしか手に入らないと言われている幻のキノコ『珍妙ダケ』が、バナンザでも極僅かに手に入るのじゃよ」


「そのキノコの名前、どっかで聞いたよな……」


「あーっ、王都に行ったときですよっ! セシルちゃんが珍妙ダケと間違えて奇妙ダケって毒キノコを食べて、グレインさまと一緒にお風呂に入った時のキノコですっ!」


 グレインは顎に手を当て、記憶の糸を手繰る。

 そんなグレインの横で、ハルナがドヤ顔で説明する。


「あっ……」


 グレインは背筋に寒気を覚え、恐る恐る振り返る。

 そこには笑顔のナタリアが立っていた。


「一緒に……お風呂に……?」


 グレインは無言のまま、真っ青な顔を力なく左右に振るだけであった。



 兎にも角にも、こうしてグレイン達はティアを連れ、無事にローム公国の首都バナンザに到着したのであった。

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