第054話 再会

 ハルナ達がリリーに付き添って出て行った後、応接室には伝令使者の遺体と、グレイン、横たわるナタリアが残されていた。

 グレインはそっとナタリアに寄り添い、その背に腕を回す。

 そして、彼は静かに、心の中で歓喜した。

 ナタリアの背中から、先ほど失われたはずの体温を感じたのである。


 彼女は生きている。正確には、一度死んで蘇生したのだが、グレインにとってそんな些細な事はどうでも良かった。

 グレインは、もはや応接室の血腥い空気など不快にすら思えないほど感情が昂ぶり、堪え切れないものが、次々と瞳から溢れてくる。


「ナタリア……うぅっ……ナタリアぁぁ……」


 気が付けばグレインは、ナタリアを抱き起こすような形でそのまま抱き締めて泣き続けていた。



 一頻り泣いて落ち着くと、彼はナタリアの上半身を抱き起こしたまま、隣に座って話し掛ける。


「ちゃんと目覚めてくれるのかな……。ナタリア、聴こえてるか?」


 ナタリアから返答はなく、依然として死んだように目を閉じたままであったが、よく見るとちゃんと呼吸もしている。


「じゃあ起きないなら、こないだの話をするか。……あれは……もう五年前か。俺が冒険者になろうとして、サランのギルドに初めて入った日。何をどうすればいいか全く分からなくてさ。緊張して入り口のとこで突っ立ってたっけ。そしたら酒場で飲んでた冒険者のおっちゃんが教えてくれたんだよ。『ボウズ、ここは初めてか? カウンターの右端に立ってる嬢ちゃんも新人だってよ。手続きで面倒な事になるのが嫌だったら、避けた方がいいぜ』ってな。よく見たら、カウンターには行列が出来てるのに、お前のカウンターだけ誰一人並んでなくてな」


 グレインは、右手でナタリアを支えながら、左手で彼女の頬に触れる。


「だから俺は、敢えてお前のカウンターに向かったんだ。……大失敗だったけど。まさか冒険者登録手続きで一日使う事になるとは思わなかったよ。後で知ったんだけど、ベテランなら五分で終わる手続きなんだってな。……でも、俺はあの時の事を後悔はしてないぞ? あのおっちゃんが教えてくれたおかげで、ナタリアの初仕事が俺の冒険者登録になったんだからな。だから……何て言うか、冒険者としてのグレインは、お前とセットじゃないと成り立たない気がしててさ。……もしこのままお前が目覚めなくても、目覚めるまで隣にいるからな。それでもずっと目が覚めなかったら……俺は冒険者を辞める」


 グレインは、天井を向いて大きく洟をすすり、そのまま話を続ける。

 その時、ナタリアの手がぴくりと動いていたことに、彼はまだ気付かない。


「俺さ、ナタリアが受付やってくれてるから、いつでもギルドで待っていてくれるから、今日まで冒険者やって来れたんだと思う。ギルドに行けば、いつも元気いっぱいの笑顔で、たまに怒った顔とか呆れた顔で、俺を出迎えてくれるお前がいる。いつの間にか、お前は俺の生き甲斐みたいになってた。どんなに酷い怪我して動けなくなっても、ここで死んだら二度とナタリアに会えない、そう思うと不思議とギルドまで足が動くんだ。他の人じゃダメなんだよな。ナタリアじゃないと、お前がギルドで待っていてくれないと嫌なんだ」


 そう言ってグレインは、天井を見上げたまま再び涙を流す。


「……今頃……こんな事になってから気が付いたって遅いよな……。失ってから気付くものなんだな。五年前、冒険者になった日、一日中カウンターで四苦八苦してるお前をぼーっと見ていたあの時から、……俺は……ナタリアの事が──」


 グレインは再びナタリアに視線を落とす。


「ーーっ!」


 そこには、頬どころか耳朶や首筋まで、全身を真っ赤に染めながら、大きな黒い瞳でグレインの顔を見上げているナタリアが居た。


「ナタリアっ!! ナタリア! あああ……」


 グレインは何度も彼女の名前を呼びながら、腕の中のナタリアを強く抱き締める。


「いたたた……痛いわよっ! 少しは加減しなさいよね!」


 ナタリアは両手でグレインの背を叩く。


「あぁ……済まない。でも! でも生き返ったんだ!」


 叩かれても全く気にしていない様子のグレインだったが、ナタリアに両手で押し退けられ、ようやくその力を緩める。


「生き返った……確かにそうみたいね……。酷い怪我したし。……ただいま」


 ナタリアは軽く溜息を吐き、そして笑顔でそう告げた。


「おかえり。 ……今日は珍しく俺が出迎える側だな」


「……また……会えたわね」


「あぁ……また、会えたな」


 二人はそう言って、お互いに涙を流しながら再び抱き合うのであった。



********************


 一方その頃、会議室では、トーラスがアウロラの身体から塊のような影を抜き取り、その影だけを闇の靄で締め付けていた。

 アウロラの身体は、人形のようにぱたりと床に倒れ込むが、ラミアもダラスも、ミゴールによって召喚された骸骨剣士の相手をしていて助ける余裕がない。

 ラミア達は三体の骸骨剣士に取り囲まれ、互いに隙を伺い睨み合っており、少しでもアウロラに気を向けると切り崩されてしまうほど、極度の緊張が強いられる膠着状態であった。

 そんな中、床に倒れたアウロラを見て、ミゴールに話し掛けていたトーラスの声に力が入る。


「貴様……アウロラさんに迷惑を掛けた罪は重いぞ……。覚悟しろ」


 そういうとトーラスは影の塊──ミゴールに向かって手を突き出し、握りこぶしを作る。


「おぉぉぉぁぁぁ! ぐっ……苦しい!」


 闇の靄がミゴールを締め付ける力が跳ね上がったようで、ミゴールは一気に態度を変え、苦しみの呻き声をあげながらも、トーラスには目の前の影がどことなく笑みを浮かべているように見えた。


「くっ、ふふっ、ぐがぁ! あ、あの少女もいないことだし……今回は……ここまでだ。いずれまた会うこともあろう」


 影はそう一言だけ言うと、闇の靄に対する抵抗をやめ、一瞬でその力に圧し潰され消滅する。

 同時に、ラミア達を取り囲んでいた骸骨剣士も、風化するように細かい粒子となって空間に溶ける。


「……ミゴールめ……。あれはただの分身だな……」



「弟様! お怪我はありませんか?」


 そう言いながらトーラスに駆け寄ってくるラミアは、片足を引き摺り、身体のあちこちから血を流しているにもかかわらず、トーラスの事しか心配していないようであった。

 最早そこには、以前の横柄な姉の姿は微塵も感じられない。


「姉さんの方こそ、全身傷だらけじゃないか。大丈夫かい?」


「そうだな。ラミア、お前が一番酷い怪我だぞ? 魔法使いの癖に前線に出て遊撃なんかするから……。あとでハルナ殿に治療して貰うよう頼んでおくぞ」


 ダラスはラミアの怪我を心配そうに見ている。


「私の身体など、どうなってもいいのです。弟様を守って死ねたら、寧ろ本望です。弟様、この出来損ないの姉の身体など気にせず、いくらでも盾としてお使いください」


「「あなた一体誰ですか」」


 少しだけ戒めが過ぎたかも、と若干反省するトーラス達であった。


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