第043話 三文芝居

「はぁ……美味しいですわ」


 ソルダム邸の応接室で、セシルが一人優雅に紅茶を嗜んでいる。

 セシルがこの部屋を訪れるのは、もう三日連続である。


「おはよう、ロングネーマーさん!」


 昨日と同じように、トーラスとリリーが応接室に入ってくる。

 セシルはいつも通り、立ち上がり会釈をする。


「お、おはようございます」


「昨夜はお楽しみだっ──」


「兄様……サイテー……」


 セシルの目からも、リリーの視線は前日よりもさらに冷たさを増しているようにさえ感じられた。


「それで、ロングネーマーは一人なのかい? どうしてここに?」


「その前に、『あれ』をお願いしますわ」


 あぁ、と短く返事をしたトーラスは、防音結界を部屋全体に張る。


「……昨日の会議の事、覚えてらっしゃいますか?」


 紅茶を一口啜ってから、セシルがトーラスに問い掛けた。


「あぁ、覚えているとも。まさか彼があそこまでラミアの事を恨んでいるとは思わなかったよ。あれはただの復讐者だ。僕達を助けようという感じではなかったね」


「えぇ、わたくしも昨夜、宿に戻ってからイングレさんに『命だけは助けて欲しい』と懇願したのですが……彼がラミアさんを暗殺しに行くのは止められませんでしたわ。それに……、わたくしはこのように……暴力を振るわれ、……ううっ……パーティを追い出されてしまいましたの」


 セシルは涙声で途切れ途切れになりながら、穿いていたロングスカートの裾を少しだけ持ち上げる。

 持ち上げられた裾の下から、細く白い足がちらりと覗くが、脛のあたりに大きな青痣が見える。


「外側から見えないところに、このような痣がたくさんありますわ……ぐずっ……」


「これは酷い……。どうしたら女性に対してこんな真似ができるんだ……」


「兄様……こんなことをする人は……」


「あぁ、とてもじゃないが、イングレはラミア姉さんの命を助けてくれそうにはないな。相手が女性だろうと、笑顔を浮かべて殺しそうだ。……ああああ! 姉さん! 僕が、僕が助けに行ければいいのに!」


 傍らのリリーは、両手で口元を覆い、咽び泣く……のではなく、吹き出しそうになるのを必死で堪えている。


「とふっ、トーラスさま、わたくしも、そのお仲間に加えていただけませんでしょうか? イングレがラミアさんを恨んでいるように、わたくしもイングレの事を殺したいぐらい憎んでいますわ!」


 リリーにつられて危うく吹き出しそうになったセシルは、滅多に見せない怒りの形相を浮かべて笑いを噛み殺した後、いつもの表情に戻り、静かに紅茶を啜る。


「あぁ、勿論だ。みんなであの狂人を止めなければ!」


「セ……ロングネーマーさん……いつ暗殺するつもりなのか……分かる?」


 リリーが声には出さないが、失敗した……と舌を出して悔しがっている。


「いえ、それを聞き出す前に追い出されてしまいましたので……。ただ、『明日の昼過ぎには追いつけるはずだ』と言っていましたわね」


「あぁ、姉さん……どうにかしてこの事を知らせて、逃げてもらわないと! 冒険者ギルドの最終兵器、イングレは到底姉さんの敵う相手じゃない。どうにか助けに行く方法はないだろうか」


「祈るしか……ないですわね……」


「とりあえず、話は終わりだね。いつまでも防音結界を張っていたら屋敷の者にも怪しまれてしまう。ロングネーマー、君はただの客人なのだから」


 トーラスは防音魔法を解除する。


「ふぅ……。ようやく、一息つけますわ。トーラスさまも少し落ち着かれてはいかがですの?」


「ラミア姉さんの命が危ないのに、落ち着いてなんかいられないよ」


 その時、応接室のドアがノックされる。


「なんだい?」


「トーラス様にお会いしたいという方がいらっしゃいました」


「すまないが、今は別のお客様がいらっしゃっているんだ。少し待っていてもらえるかな?」


「それが……火急の要件と仰っていまして……」


 応接室の中の三人は目を見合わせて頷く。


「……いらっしゃったのはどなたです?」


 トーラスは、少しだけ弾んだ声で、ドアの向こうでトーラスの返答を待っている使用人に問い掛ける。


「……あの……お客様の前ですが、申し上げてもよろしいでしょうか?」


「構いませんよ。彼女は私達と志を共にする者ですから」


「かしこまりました。……『緑風の漣』のダラス様です」


 三人は思わず口元を緩めてしまう。


『『『掛かった!』』』



「よろしい、こちらにお通ししてください」


「かしこまりました」


 ドアの向こうから声がして、パタパタと足音が遠ざかる。


「(物凄く反応が早いですわね)」


 セシルはまだ盗聴されている恐れがあるため、小声でトーラスに話し掛ける。


「二人とも、少しだけ僕の後ろに下がっていてね」


 トーラスがリリーとセシルにそう告げると同時に、ドアがノックされる。

 セシルは緊張しながら、アウロラから渡された映像記録水晶を取り出し、魔力を込める。


「どうぞ」


 応接室のドアが開き、『緑風の漣』の暗殺者、ダラスが入ってくるが、彼は粉々に砕けたボロボロの装備を身に付け、全身のあちこちから血を流しており、まさに満身創痍そのものであった。


「あなたが……トーラス様ですか……。……ゴフッ、『緑風の漣』の暗殺者、ダラスと申します」


 てっきり『イングレからラミアを守ってくれ』とラミアの場所へ案内してくれる事を期待していた三人は、全身血塗れの男がやって来るという想定外の事態に、頭の回転が追い付かない。


「初めまして、ダラスさん。今日はどうされましたか?」


 まるで医師が患者に掛けるような言葉である。


「誰がどう見ても……一目見れば異常事態……兄様、それは無い」


「まずは、ダラスさんの怪我を治療しませんと……とはいえ、わたくしのヒールは強すぎますし……」


 少し混乱気味のトーラスに対し、冷静な女性陣である。


「兄様……ロングネーマーのヒールを……半減して」


「あ、あぁ、分かったよ」


 リリーの言葉で冷静さを取り戻した様子のトーラスは、静かに深呼吸する。


「……!? そんなことができるんですの?」


 任せて、とトーラスは掌から黒い靄を生み出し、靄はそのままダラスの全身、頭頂部から爪先まで纏わりつく。


「流体魔力障壁さ。とりあえず七割を吸収して、三割だけ通過するようにしてみたよ。ロングネーマー、お願いできるかな」


 セシルはトーラスの言葉に頷くと、ダラスに掌を向ける。


「ヒールっ!」


 セシルの手のひらから放たれた光弾は、ダラスの周囲の靄に吸い込まれていく。


「へぇ……これは面白いヒールだねぇ。いいものを見せてもらったよ」


 トーラスは爽やかな笑みを浮かべて指を鳴らすと、ダラスの周りの靄が一気に晴れていき、不思議そうな表情を浮かべたダラスが現れる。


「この靄は回復魔法でしたか……ありがとうございます」


 トーラスに対して静かに頭を下げるダラスは、未だ呼吸に合わせて激しく肩を上下させており、明らかに回復量は足りていないが、命の危険が無いところまでは回復しているようだ。

 それよりもセシルは、ダラスの頭まで魔力障壁で覆ってくれたトーラスの心遣いに感心した。

 ダラスの顔は魔力障壁の靄で覆われていたため、セシルがヒールを撃った事には全く気付いていなかったのである。

 その目眩ましがわざとであることをセシルが察してトーラスを見るも、彼は何も言わずにただウインクを返すだけであった。


「ダラスさん、では用件を伺いましょうか」


「はい。トーラス様、あなたのお姉様のラミアが今……刺客に襲われています。聞けばあなたは、闇魔術の相当な使い手との事。どうかラミアを助けていただけないでしょうか」


 概ね計画通りの言葉がダラスから出てはきたのだが、一同は戸惑っている。

 グレインとハルナはラミアの居場所を知らないため例の洞窟で待機しており、トーラスがラミアの元へ案内された後に、転移魔法でグレイン達を呼び込む手筈なのであった。


「「「刺客って何者?」」」


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