第017話 お婿に行けない

「ふふ……偉いですわ。ハルナさんの治療に耐えきるなんて」


 セシルは、仔ペガサスの前足を縛っていたロープを解きながら笑顔で褒めている。


「さすが聖獣ですね」


「こっちはもう少しで死ぬとこだったぞ、まったく……」


 グレインは仔ペガサスと睨み合いながら呟く。


「馬には後ろから近付いてはいけませんわよ。そんなの常識ですのに……。この子も怪我した足でグレインさんをあんなに吹き飛ばすなんて、よく頑張りましたわ」


 仔ペガサスの後ろ足に蹴飛ばされ、吹き飛ばされたグレインは、草原の上に大の字で横たわり、泡を吹きながら全身を痙攣させていたが、その薄れゆく意識の中、自らの特殊能力で必死にハルナを強化した。

 グレインの間抜けな行動が招いた危機的状況をハルナはいち早く察知し、グレインのもとへ駆けつけて下腹部にレイピアをザクザクと突き刺した。


「あのまま俺が気を失ってたら、ハルナを強化できないからな。そうすると魔法剣のないハルナは今のレイピアでは治療ができない。つまり……股間を潰された俺は死ぬしかなくなるところだったんだぞ」


「グレインさま、私……レイピアを刺したときのグニュっとした気持ち悪い感触が忘れられないのですが」


 ハルナが顔を真っ赤にしてグレインに文句を言う。


「言うな……頼むから忘れて……。あんな所に剣を刺されたら、もうお婿に行けないぃぃ」


「あ、ナタリアさんにはちゃんと詳細を報告しておきますので大丈夫ですよ」


「ハルナ、ちょっと待て。なんでそこでナタリアの名前が出てくるんだよ!?」


「服の上からとはいえ、グレインさまの大事なところに三度、レイピアを突き刺し、グレインさまはその度に『あおぉぉ?』とか『うーんぅぁ』とか変な声を出しておられた、と報告を」


「いや、マジでやめて? ねぇハルナちゃん? マジで……?」


 ハルナはニコリと笑って口を噤んだ。



********************


「この子、どうやら親と逸れてしまったようで、追い掛けたいみたいですわ」


 実際に通じているのかは分からないが、仔ペガサスと話していたセシルが、会話の内容をまとめてグレイン達に伝える。


「聖獣を保護してギルドに持っていっても、たぶん飼育だとか研究だとか騒ぎ立てられて、一生飼い殺しにされて親には会えなくなるだろうな……。その子の事を考えるなら、ここで放してやった方が幸せだと思うぞ?」


「そう……ですわね。サランに連れて帰っても親に会えるわけがないですものね」


 セシルは、グレインの珍しくまともな提案を受け入れる。


「それでは、ここでお別れですわ。元気に……過ごすのですよ……ぐすっ」


 セシルは大粒の涙を流し、仔ペガサスとの別れを惜しむ。


「ププル……プルプルプル!」


「そう……ですわね。またそのうち逢えますわね!」


 グレイン達にも、確かに仔ペガサスは、泣きじゃくるセシルを励ましているように見えていた。


「そうだ、名前を考えよう」


 別れ際の空気をぶち壊すように、グレインが提案した。


「名前……ですの?」


「あぁ、もしかしたら今後同じような聖獣に会った時に、コイツだって分からないかも知れないだろ? だから、俺達だけがコイツを呼ぶときの名前を考えよう」


「なるほど! グレインさまにしては名案ですねっ!」


「ハルナ、最近俺に対する風当たりがキツくなってないか? ……いえ何でもないです」


 グレインはにこやかなハルナを見ながらそう言うが、ハルナがレイピアの柄に手をかけたところで引き下がる。


「待てよ、俺が強化しなければ治癒剣術は発動できないんだな。そしたら別にハルナにビビる必要はないんじゃないか?」


「そうですね。ただの殺人事件になるだけですっ」


「いや怖いよハルナさん」


「冗談ですよぉ」


「「冗談に聞こえない」」


 先ほどハルナが、グレインの足にレイピアを突き刺していた場面を目撃したセシルもこれには同意する。


「ププゥー」


「「「そういえば名前」」」


「ユニコーンだかペガサスだか分からないから、『ペガコーン』とかでいいだろもう」


「グレインさん、いい加減すぎますわ!」


「はいはい! 一文字ずつ交互に読むのはどうですかっ? 『ユペニガコサースン』」


「そんなの舌噛みますわ! ハルナさんもちゃんと考えてくださいませ!」


「じゃあセシルの案も聞かせてくれないか? 今のところセシルに一番懐いてるからな」


「……プ」


「ん? なんだ? ボソボソ言ってないで大きな声でハイ、どうぞ!」


「ポップ……。ポップですわ!」


「可もなく不可もなく、って感じだな」


「セシルさんが決めたならいいんじゃないでしょうか? ねぇポップちゃん?」


「ププゥールルー……プップ」


 仔ペガサス──ポップはセシルにもらった名前を喜んでいるようだった。


「それでは、ポップちゃん、そろそろ日も暮れてきますし、気を付けてお母さんのところへ帰るのですよ」


「プップゥ〜ププル」


 ポップは背中の大きな翼で羽ばたき、グレイン達の頭上へと舞い上がる。

 それを見て、セシルは再び涙を流す。


「元気でな!」


「ププー」


 グレインが手を振ると、短く鳴き声が返ってくる。

 グレインも最初はポップに警戒されていたが、『セシルの仲間』という認識になったのか、とりあえずポップにとって敵ではなくなったようだ。


「ポップちゃん……いい名前ですねっ!」


 ハルナが笑顔で、泣き顔のセシルに話しかける。


「ありがとう……ございます……ぐずん」


「セシル、いつまで泣いてるんだ。日が暮れる前に、そこらに落ちてる羽根を拾って帰るぞ」


 そう言ってグレインは、未だ上空で帰るべき方角を探っているポップの下に舞い落ちている羽根を拾っている。


「あぁ、聖獣に遭遇した証拠品にするんですね。私も拾いますっ!」


 続いてグレインのもとに駆け出すハルナ。


「ポップ……お元気で!! また会いましょう!」


「ププルゥー!」


 上空からポップの鳴き声が一同に向けられる。

 どうやら自分が帰るべき方角を見つけたようで、ポップは羽ばたきを強めて飛び去ろうとした──その瞬間に、後ろから飛来した矢がポップの翼を貫いた。


 ポップは痛みを堪えて懸命に翼を動かすが、いくら羽ばたいても、大穴が空いた翼は風を捉えることができない。

 ポップはそのまま錐揉みになりながら、近くの茂みに落下していった。


「キャアアアアアアアーッ!」


 セシルの叫び声が、草原に響き渡った。

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