298枚目 「瑠璃の器」


 一方、その頃。

 イシクブール西地区。


 ラエルたちが苦渋味に悶え苦しんでいたのと同時刻。とある酒場にて、昼勤あがりの赤魔術士がひとり酒を嗜んでいた。


 青いが血の如く艶やかで、さっぱりとしたグラデーションが気持ちいい瑠璃の器だ。細長い器に沈み込んだ果実酒を、弾ける魔法水と共に流し込む。

 仄かな酸味と甘ったるい匂いが鼻を抜けていく。のど越しは麦酒ビーラに似たようでいて、より爽やかだった。


 夜も深く、そろそろ日が変わる。


 窓辺のカウンター席に彼女以外の姿は無い。時折思いついたようにやって来るナンパ男をばっさりざっくり切り捨て続けること、既に六杯目の酒である。


 彼女の名はストリング・レイシー、愛称はストレン。

 魔導王国から派遣された白魔術隊に所属する赤魔術士である。


 医療従事者にしては珍しく三日続けての休暇をもらったので、それならば休みの初日に飲んでしまえと息巻いた結果が、これであった。


 遂に誰からもアプローチされなくなった彼女は人を寄せ付けない空気を維持したまま席を陣取っている。トラブルを引き起こすわけでもなく、空いた器にひたすら新しい酒を頼むので、店主も文句はないらしい。


(他の白魔術使いも、訓練ついでにお酒くらい飲めばいいのに)


 ストレンは無言のまま、独白を壁に打った。

 首元の装身具がカンテラの鈍い光を反射する。


 休暇とはいえ深酒は厳禁だと分かっている。分かっているが、飲まずにはいられなかった。


 倍増した仕事をさばききった白魔導士のことは、今のところ放置で構わないだろう。彼はストレンが思う以上にできる・・・魔族だった。彼は、きっと大丈夫だ。


 こうなると、ストレンが憂慮するような事柄はひとつしかない。


 ずばり。何処かへ行ったっきり音沙汰が無い「誰かさん」のことである。


 果実を煮詰めたような赤い眼が、剣呑とした目つきで壁のシミを数える。これまで気にもしなかっただろうことが、こまごまと思考に引っかかって仕方がないのだった。


(ラエル、隣村に行くだけですぐに戻るのかと思えば全然帰ってきませんし。連れ戻して欲しいってお願いしたのに、ガルバさんまで戻って来ないですし……)


 ストレンは器を傾ける。

 重い酒が、泡のついた水との間で陽炎に似た揺らぎを生む。


 王様の勅令まで利用してイシクブールに乗り込んだ彼女は、この町の向こう側で……肉親との再会を果たすことができたのだろうか。


 贈ったばかりの黒靴は目的達成の一助になれただろうか……なれるだろうか。


 蚤の市の一件にしてもラエルらの行先にしても、この町には秘め事が非常に多い。しかし魔導王国の四天王が独自に動いている以上、ストレンに口を出す権利はない。手探りで情報を集めるにも、限界があった。


(誰に、何を聞いても首を振られるばかり。町長さんに至ってはポータブルハウスの立ち入りすら許してもらえなかった。本当、一体何に首を突っ込んでいるんですか、あの人たち)


 気分が落ちると同時に、やけに不味い酒が欲しくなった。

 ストレンは、見栄えはいいが売れそうにない酒を追加で注文した。


 使用される酒のラインナップを見る限り、頼む前からどう飲んでもゲテモノだと分かっているが……彼女にとっては刺激が強いだけの嗜好品だ。


 何より見栄えがいいのが良い。思い出くらいにはなるだろう。


 そう思って、ほんの少し気を抜いたことが不味かったのかもしれない。客と店員をドン引きさせる見栄えばかりが良いゲテモノは、見事に変人を呼び込んだ。


 目の前に色鮮やかな「虹」が届くと同時に、赤魔術士は退路を断たれたも同然だった。


 足音も気配も隠さず堂々と入店してきたその人は、店内をムード良く盛り上げている間接照明の灯りをかき消しながら濃い影をストレンに被せた。


 骨ばった長い指が目につく。

 竹爪は、赤錆色に塗り潰されている。


「あらあらぁ。貴女、意外なものを頼むんですね? 勇気があるというか、変わり者というか。それとも、見た目が目的ですか?」

「…………」

「おとなり、よろしくて?」

「嫌だと言っても……座りますよね。そりゃ、カウンター席ですし? 空いてるんですから」

「うふふ」


 麦酒ビーラを一杯。


 実にシンプルな注文をして、眼鏡をかけた長身の女性が隣の席に着いた。長い腕貫の内側で幾つも瞼が動いた気配がする。


 ストレンは隠すことなくため息を吐くと、虹の層を飲み干した。

 球根酒の香ばしさと薬草酒の苦々しさと芋酒特有の強い刺激臭とシロップの甘ったるさと果実酒の甘酸っぱさとが、悲しいほどに容赦なく口の中を蹂躙し喉を焼く。


 そうして急激に回り始めた強い酒精を、ストレンはたった一言だけ呟いて打ち消した・・・・・。解毒の応用である。霧化させたアルコールを口から煙のように吐き出せば、隣から笑いを堪える音が聞こえた。


 ようやっと回り始めていた酒精を全て引っこ抜く羽目になったが仕方がない。ストレンは気を取り直して新しい酒を注文した。できるだけ味が良い酒を、と。


 ストレンの隣に腰かけたのは、極彩のカーディガンを肩にした長身の女性だった。目元には度のきつい眼鏡があり、前髪は額の上に結び留められている。

 魔導王国浮島、資料室館長――多眼のメルデル。彼女も白魔術隊としてこの町に送り込まれた内のひとりだが、その分野はストレンやカルツェと離れている。


 メルデルの業務内容は事情聴取と精神のケア、事態の観測と記録。


 体よく言えば「記録係」。

 実態を言えば「尋問係」、だ。


「業務時間外まで何の御用ですかぁー。私、お休みの日くらいは自由にしていたいんですけどぉ」

「ふふふ。なんてことはありません、ただの偶然ですよ。ワタクシ、こう見えて食事が趣味でして。町や村に出かけた際はできるかぎりコンプリートを目指す癖がついているのです」

「コンプリートって。まさかお店じゃなくてメニューの話だったりしますぅ?」

「ええ」

「胃の容量、引き出しの箱ドロワーボックスなんですぅ?」


 適当に話を流しながら、赤魔術士は必死に頭を回す。


 プライベートを満喫しているストレンに、何故メルデルは接触してきたのだろうか。


 蚤の市事件で捕縛された賊たちの治療は済んでいる。捕縛された賊に裁量が下された時点で、メルデルの仕事は殆ど終了しているに等しいだろう。

 ストレンだって、休暇が終わり次第イシクブールを発つ予定になっている。帰還する白魔術隊の中にはメルデルも含まれているはずだ。


 現状、処分が決まった賊たちは治療前後の険悪さが嘘であったかのように穏やかな会話が可能になっている。あそこまで鎮静化・・・させられたなら、今後暴動が起こる可能性は低いだろう。残りはこの町と第三大陸の仕事である。


 使用した治療器具の中で廃棄と再活用とで分けてそれぞれ処理をした。

 浮島へ連行する重罪人たちのカルテを仕分けて送付手続きをした。

 蚤の市の一件とやらについても、聴取の内容を証拠のひとつとして提出した。

 町に残る賊たちに関して、宗派や体質を始めとした考慮すべき事項を資料にまとめ、地元の管理者への引継ぎだって済ませた。


 ……思い出せば思い出すほど、完璧に仕事を終わらせたはずの自分とカルツェの姿が浮かぶ。が、しかし。メルデルが業務時間外で話しかけて来たとなれば不安しかない。


 ストレンには仕事をこなした自信があったが、酒の味がしない程度には焦りがあった。


 研究をする片手間で、資料室の館長を務める――ここで言われる館長とは、資料室に所蔵する「全て」について、ひとつ残らず把握している者をさす――などということができている時点で、彼女の「把握力」は計り知れないにもほどがある。


 例え苦手でも、その存在を無視できないほどには。


 とはいえ、メルデルはストレンの内心まで汲み取ることはしなかった。彼女もまた常日頃から喧しい女性だが、本人なりに公私の区別があるのかもしれない。


 運ばれてきた麦酒ビーラに舌鼓を打ち、赤らめた頬のまま「きょとん」とする。


「……百面相してらっしゃいますが、そんなに美味しかったですか? 

「生憎、味わう暇もありませんでしたがぁ? それで、何の用ですか。仕事に不備があったのであれば、すぐにでも戻ってやり直しますよぅ」

「あら。導士さまも大概ですが、貴女も相当の仕事中毒みたいですね? 言霊治療カウンセリングがお望みであればいつでも歓迎しますよ?」

「結構ですぅ」

「ふふふ。心配せずとも、貴方がたの仕事に不備はありませんでしたよ。今日は、たまたま見知った顔がひとりで寂しそうに飲んでいらしたので……いえ、貴女がを飲んで悶える姿に興味がなかったのか、と問われれば嘘になるのですが!」

「っち、あの酒のせいですかぁ!? 慣れないことはしないに限りますねぇ!?」

「冒険は悪いことではありませんよ?」

「冒険がしたくて頼んだわけじゃあありません」

「うふ」


 メルデルはニヤリと目を細くした。


「そうですか。てっきり、お酒で忘れたいことでもあったのかと」

「はい?」


 忘れたいこと、とは。妙な聞き方だった。

 ストレンは酒を飲み込む。……悲しいかな、味がしなかった。


「最近、変なものを見たりはしませんでしたか?」


 注がれた声に魔力が籠る。耳に入れば最後、回答を強要する自白魔術の類。

 赤魔術士は咄嗟に思考を切り替えた。すんでのところで引きずり出した記憶は、白い石でできた骨竜の置物――。


「っ、それはまぁ。ええ。この町に設置されている石像の影がでっかい蟲・・・・・になっているのは……確かにだと思いましたが。それがなにかぁ? 私、蟲は得意ではなくって、正直思い出したくもなかったんですけどぉ……」


 口から引きずり出された文はそのようなものだった。ストレンは、酒を口に含む。やはり味がしない。涼しい顔を維持しつつも、服の下は汗でぐちゃぐちゃになっていた。


 メルデルは眼鏡の位置を直すと酒を飲み干し「うふ」と言う。


 最悪な空気を作った彼女は酒を十分に満喫したのか、その一杯限りで席を立った。


「えぇ。貴女は皿に盛るには惜しい人材ですから、くれぐれもそのままで。貴女が貴女で居ることに意味があると、ワタクシは思います」

「皿?」

「無知が破れぬ盾になることもある、ということです。今後とも随意に頼みますよ、烈火隊の赤魔術士」

「……貴女にも、不死鳥の加護がありますように」

「ええ、貴女にも」


 形式的な挨拶を交わし、メルデルが微笑みを湛えて店を出る。

 ストレンは席に座ったまま、味わう前に空にしてしまった瑠璃の器を手に天板へと突っ伏した。


 今のは、明らかに、危ない所だった。

 あれは恐らく、この場には居ない黒魔術士ラエルについての情報集めだったのだ。


 今回は忠告で済まされたようだが、もし口に出していたらと思うとぞっとする。


 ストレンは霧がかった思考を手繰り、首元を飾る魔石に指を添える。


 カルツェから「メルデルが変なことを聞いて回っている」と事前に情報を得ていなければ、対処も対策もできていなかっただろう。


 赤魔術士は顔を上げた。硝子窓に反射した赤い眼は眉根を寄せたことで歪んでいる。顔のどのパーツも、去り文句の内容に引きずられたままだった。


無知が・・・盾になる・・・・。ですって? 馬鹿なことを言う。知らなければ守れないことだって、あるでしょう。白魔術が、検証を重ねて発展した魔術系統であるように――)


 と、ストレンが思考できたのはここまでだった。

 視界に入れていなかった手元の方で、物が砕ける音がしたからだ。


 来店から今まで様々な魔力濃度の酒を注ぎ、入れ替えては使い続けていた器だ。脆くなっていたところに魔族の握力が加われば、硝子の強度など茶菓子を割るようなもの。


 派手な音を立てた器だった物に、僅かな血が滴り落ちる。


「……はぁーっ、もうっ!!」


 ストレンは砕けた硝子をかき集め、傷を瞬きの間に癒やした。

 店員に謝り倒し、交渉の後に支払いを上乗せする。砕いた器を引き取るためだ。


 縁起でもないタイミングで壊れた物は、修復して機嫌を取らなければ災いが来る――と、古くから体に馴染んだ魔導王国の風習が理由だった。


 騒がしくしたお詫びも含めチップまで嵩増しして店を出る。


(無事でなければ承知しませんよ、ラエル)


 赤魔術士は、砕けた器と共に帰路に着く。

 宿屋では蚤の市で購入した骨竜の置物が待っていた。









【休載のおしらせ】


毎週の更新を楽しみにしていただき、ありがとうございます。

日々制作を続けている「強欲なる勇者の書」の、ストックが、尽きて、しまいました。


よって、9月から更新をしばらくお休みさせていただきます。


6章を最後まで書ききったら戻ってきます。がんばります。

詳しい経過は「近況ノート」にてお知らせします。お待たせしてすみません。

今後とも「強欲なる勇者の書」を、よろしくお願いします。


Planet_Rana 2023.8.27.

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