297枚目 「悪は予告しない」


 ……作戦の内容を固め、煮詰めること二時間ほどだろうか。


 全員で出せる案は出し切った、という意見の一致から、ラエルたちは常の間の休息をとることになった。

 既に出ている案だけでも、臨機応変な対応ができるようにと「第一」から「第八」くらいまであるのだが――今なお小屋に残っているハーミットとジェムシとレーテとトカは、回線硝子の番を交換して合流したツァツリーを含めた五人で検討を続けている。


 作戦会議から追い出された、ないしツァツリーと入れ替わりで小屋の外に出たのは主に頭脳労働が苦手な面々であり、その中にラエルも含まれていた。


 夜になって随分元気になったノワールも、作戦開始までの僅かな時間を休息にあてるため、ラエルの懐に収まっている。


 聞けば、脱走したトカを連れ戻した後からノワールは随分と働かされていたらしい。「ノワールはこれからの作戦でも重要な役目を担う。本番に備えるべきだ」と、ハーミットが無理やり休憩指示を出したのだった。


 ざっくりとした作戦の内容は、こうだ。


 ――夜襲・・して、昼になるまでに決着をつける。


 こちらには夜目が効くノワールとファレが控えており、ファレは後方支援として十分に立ち回ることができる。そもそも祭壇までの道中は魔術や魔法具を縛る必要がないので、灯りはどうとでもなる。後は時間との勝負だ、と。


 いわずもがな、こちらの主な戦力は四天王強欲ハーミット・ヘッジホッグが振るう両手剣「強欲なるものグリーディ・カース」だ。「捕縛」という目標を達成するために企てられた作戦は、彼が落ちれば前提から瓦解しかねない諸刃の策である。


 故に、決行は夜。

 ハーミットの体温が上がり辛い、いまに決まった。


(土地から魔力を吸い上げ続けているアダンス側にしてみれば、朝も夜も大して変わらない。それなら、ハーミットが全力を出せる時間帯に一気に勝負をつけてしまうほうがいい……それは、理解しているけれど。不安は不安ね。私自身が、着いて行けるかどうかが不安)


 砂漠で生活していた経験を合わせても夜の狩りは殆ど未経験に近い。盗賊である三人は夜襲について何かしら心得ていそうだが、話が通じそうなジェムシは小屋の中。クリザンテイムは回線硝子ラインビードロの番をしていて、グリッタがその隣で会話を試みている。


 こうなるともう、ひとりしか候補が残っていないのだが。周囲を見回せど立ち耳も鍵尻尾も見当たらないのだった。


「……」


 現在、ラエルは小屋の横に居る。壊された部屋の近く、丸太で作られた椅子に腰かけている。

 この場から見えない位置にいるとすれば、釣り堀側か、薪割りの場所か――屋根の上、だろうか。


 そういうわけで、ラエルは小屋の上に昇ってみることにした。


 勿論彼女もハーミットから「作戦時間までしっかり休むこと」と念押しされていたのだが、いざその時が迫っていると思うとそわそわしてして落ち着かない。心を落ち着けるには誰かと会話をするしかないだろう。


 誰も居なければそれでよし。星空の下、特等席で仮眠をとるだけだ。


 ……勿論、そんなささやかな希望は叶わないのだろう。

 本命の人物は屋根の上で胡坐をかいて、身の丈もある巨大な武具を弄っていた。


 立ち耳が「ぴるる」と動く。


 ファレは背後から現れたラエルを咎めることなく、しかし無言のまま尻尾だけがゆらゆらと挨拶をした。


 ぎりぎり、と軋むような音がする。


 畳まれたまま猫背に背負われていたあの巨大な弓に、見たこともない太さの弦が張られている。これにつがえて目いっぱい引いた時、矢はどれくらい遠くまで届くのだろうか。


「……えっと。おじゃま、だったわね……」


 とはいえ、ラエルは色々と察して後退しようとした。


 あのファレが、こちらを一瞥もすることなく武具の手入れをしている光景が意外過ぎるが――しかし、当の本人の尻尾はラエルの手首を引っ掴む。


 毛皮に包まれた尾が、ラエルの手首を傷痕ごと飲み込むように絡みつく。

 力こそ弱いが、確かに手繰り寄せるような気配があった。


「え、えと。ファレは……どうしてほしいの?」

「別に。ファレは、ラエル邪魔とか思ってないし」

「……そう」

「ファレに何か、用事。あった?」

「あった、けれど」


 言いかけて、弦の張りを確かめるファレを見る。魔力子で弦を張るのと比べると随分質量がありそうだ。ラエルの中で長らく息を潜めていた好奇心が尻尾を出した。


「それよりも、その魔法武具が気になって……改めて近くで見ると重そうだし、強そうね……?」


 しどろもどろに興味津々を伝えたラエルにファレはポカンとして、それから手にした長弓と少女とを見比べた。


「にゃぁ、それはそう。これ、昔のクリザンテイムの弓」

「え?」

「ファレは夜が好き。ナイフも好き。けど、三代目に『ナイフ使うな』って言われたから。だから、弓。元々持ってなかったから、お下がり」


 がしゃん、と。元はクリザンテイムが扱っていたという巨大な弓を畳みながらファレは言う。その手つきから、彼がその弓を丁寧に扱っているのは明白だった。


 淡々とした口ぶりを聞きながら、ラエルは武具を背負い直す猫背を眺める。

 因みにラエルの手首は未だ解放されていない。中腰の体制で居続けるのも苦しいので、ラエルはファレの傍に腰を下ろした。


「大切なものなのね。話してくれてありがとう」

「いい。それより、用事」

「……用事がある、って言ったこと憶えててくれたの?」


 すっかり聞き流されているものだと思っていた――そう驚きを隠さないラエルに対し、ファレは銅色の左目を不満そうに歪めた。

 このまま機嫌を損ねてはいけないと、ラエルは慌てて弁明する。夜間に狩りをした経験が無いのだと正直に話せば、ファレは察したのか頬杖をついて呆れ交じりのため息を吐いた。


「ナイフ。研いでやる」

「えっ。あ、ありがとう」


 驚きつつナイフを差し出す黒髪の少女に立ち耳の獣人は何か言いたげにしたが、やがて視線を逸らした。


 ハーミットが使っている真四角の研石とは違って、ファレは何処かで拾ってきた丁度いい砂岩を研ぎに使っているようだ。


 ナイフの剣身を静かに石肌に添え、慣れた手つきで研いでいく。

 削れた砂粒が月明かりにキラキラとする。


 祈るように指跡を拭うハーミットとも、ワクワクと目を輝かせながら油を塗り込むフランとも違う空気だった。


 ラエルもこれまで周囲に教えてもらったように手入れをしてきたが、ファレの指先からは得物を狩る前の下準備――包丁を扱う様な気軽さが感じられる。


 仕上げに刃の面を一度研ぎ石にかけると、ファレは剣身を布で拭き鞘に戻す。作業があらかた終わってようやく、小さな口が開いた。


「今日は明るい。足元の心配ない」

「そ、そう」

「でも、手元が明るいほど遠くは見えない」

「……明るくても視界は悪いから気をつけろ、ってこと?」

「そう。ラエル、頭いい」


 ファレの手元で黒鞘のナイフがくるりと回る。柄を差し出されたラエルは受け取ろうとして、しかし剣塚を握りそびれる。目の前で再び、ナイフが回転した。


 鞘に収まったナイフの先が滑る。少女の鳩尾に入る。


「っ」


 あまりに不意のことで、防御も警戒もしていなかったラエルは息を詰まらせる。


 悪意も殺意もそれらしい初動もなかった。そもそも鞘越しのナイフだ、それ自体に殺傷能力はないが……腹部に突きつけられた時点で、ラエルは何かしら抵抗をするべきだった。


 伸びた斑髪の隙間から、白藍と淡い銅が瞬く。


 それが視界に入っただけで十分距離が近いと分かったはずなのに、ラエルは身を捩ることもできず、そのままファレの頬ずりの餌食となった。


 獣の顎をあやすように、義肢の冷たい指が少女の顎をなぞる。


「にゃぁ」


 まるで、「恐怖」の有無を探っているような。


 ざりっ。


「!?」

「ぐるぐるぐる」


(え、今の何。冷た……ちょっと痛いわね。噛まれてるとか刺されてるとかじゃあないみたいだけど……めっちゃくちゃのど鳴ってる、ご機嫌? ご機嫌なの? さっきの今で? どうして? 何? ひたいにファレの耳が当たってる、頬がめちゃくちゃモフモフする……じゃ、なくて!!)


 首筋に顔を埋めるように擦りつくファレに、ラエルは顔を引きつらせる。


 咄嗟に声があげなかったのは、鳩尾に突きつけられたものと、懐にいるノワールのことを思い出したからだった。


「普通、逃げる。ラエル、逃げない?」

「む。無理に逃げたら尻尾を引っ張ることになるわ。そうなると貴方が痛いでしょう!?」


 ……もっと言えば、ファレの尻尾が腕に絡まっていなかったとしても、今のラエルでは立ち上がることは難しいのだ。

 出来合いの材料で組まれた屋根の上は不安定で、立ち上がるには重心の位置が悪かった。よってラエルの思考には、鞘入りのナイフだけが残る。


「それ、ファレの都合。ラエルの意思と違う」


 ファレは言う。ラエルは考える。


 これが、抜き身の刃であればどうだっただろうか。

 立ち上がる為に鳩尾にナイフが食い込むだろうか。


 なんにせよ、懐に居るノワールがこの状況で何も言わないということは――ファレにラエルを害するような意図は無いのだろうと、できるだけ冷静に。


 冷静に。


「……辞めて欲しいとは思ってるわよ。距離が近すぎるから……!」


 ラエルが言葉を絞り出すと、ファレは丸い目を瞬かせ「ばっ」と距離を取った。


 あまりにもあっけなく離れたので、ラエルは唖然として浅くなった呼吸を整える。ファレは多すぎる瞬きで両目を潤したのち今まで見たこともない俊敏さで髪を掻き乱すと、顔のパーツをぎゅうと中心に寄せた。


「にゃああああ嫌なら先に言う! 獣人、人族と文化違う!」

「い、今のは、何」

「ファレ、ラエルのこと褒めた! ごめん!」

「そ、そう……褒めたのね……なるほど……それじゃあ、腕のこれは?」

「にゃあ、落ちるの、危ない」

「落下防止だったのね」


(でも、褒めるのにナイフを突きつける必要があったの?)


 納得できたようなそうでもないような顔をするラエル。ファレはしゅんと耳を畳みながら、再びナイフをくるくると回す。黒木肌の義手は今度こそラエルの手に鞘入りのナイフを返すと、鍵尻尾の拘束をほんの少し緩めた。


「……知り合いの近くを走る。得物を身体から離さない、これだけ覚える。いい」

「それくらいなら私にもできそうね。教えてくれてありがとう、ファレ。ナイフも研いで貰っちゃって」

「にゃぁ。ファレが勝手にやっただけ。あと」

「?」


 無事に屋根から降りたラエルの隣にファレが着地する。

 紫目を丸くしたラエルに、銅色の左目がニヤリとした。


「悪は予告なんてしないにゃ。もそう、違う?」


 ラエルは、ファレの言葉に少しの無言で答えると、苦笑した。

 そうだ。どうあれ、受け入れなければならなかった。


「忠告、感謝するわ」

「にゃあ」


 この掃討作戦は、決して善ではない。







 さて。


 休憩を挟んで合流したハーミットとトカは、ニコニコと器を差し出してきた。


 説明を求める言葉を口にする前に、目の前で覚えのある匂いがするスープがなみなみと注がれる。


 何も事情を知らない四人と一匹は顔を見合わせて、それから無言のままハーミットとトカを見た。

 どうやら顔色が悪いジェムシとレーテ、出てきてから一言も喋っていないツァツリーのことを鑑みるに、作戦を練っていた五人も既に飲んだ後のようだが……。


「これを飲むの? 出発前に?」

「うん」

「どうして?」

「色々検討している内に、その薬草スープに含まれる成分にアダンスの毒を打ち消す効果が多少なり認められたからだよ」

「くうっ!! 想像していたよりまともな理由だし断る方法も見つからないじゃないのっ!!」


 とても綺麗な弧を描いた少年の微笑みと脂汗とに免じて、四人と一匹は悶える前提で苦渋味スープに口をつけ一斉にあおった。


 出発前の待機時間は、僅かに伸びた。




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