296枚目 「線を成す」


 ――何故、捧げられるのは女性や子どもだと、されたのか。


「どうして、って……」


 生殖機能の違いが理由だろうか? いや、それが理由なら片方の性別に絞られるはずだ。しかし「子ども」の枠に男女の区別がない。

 選出に魔力が関係するとしても、大人になるにつれて魔力量が増えるのだから今度は子どもを選ぶ必要性が薄くなる。


(違う、の? そもそも捧げられる人に適正は必要じゃなかった……?)


 女性や子どもは腕力が弱い……から、だろうか? 冬を越すには体力が足りず、年老いた者の次に食い扶持減らしの対象になってしまうから……だろうか?


 そうだ。トカが口にしていたじゃないか。

 必ずしも生贄が女性や子どもである必要はない、と。


「……身も蓋もないことを言わせてもらうとね。」ハーミットは言いながら、ラエルの目の前に指を置く。「魔力を食う生物としてアダンスが進化して来たのだとしたら。恐らくこの土地に先に居ついていたのは蟲の方で、移住者は骨守の方だろうと思うんだ」


 つまり、蟲は世代を繋ぐにあたって必ずしも人間を必要とはしていなかったはずで。

 あれは「蟲と交渉するための手段」で、「人を延命する」選択肢のひとつというだけだった――と。針鼠は言っているのだった。


 もしこの考察が正しいなら、蟲の次代を産むためにわざわざ人柱を用意する理由はないということになる。


「まさか、最初から人の都合で……なんてことはないわよね……まさか、ね……」

「今となっては、始まりなんて分かりっこないけどね。まあ、だから俺は次代の発生に必ずしも供物が必要になるとは思っていない」


 ラエルは眉間に皺を寄せる。ハーミットの言わんとすることについて行こうと必死な少女を横目に、トカは茶を片手に口を挟む。


「成程な。だが、その為には膨大な魔力が必要になるだろう。どこから調達するつもりだと?」

「現時点で派手な動きがないってことは、足りる予定なんだろう」

「……根拠は?」

「魔力量が多いキニーネ・スカルペッロ及び三名が、蟲に食われるでもなく祭壇周辺で生かされている。これ以上の根拠はないかな」


 次代になる覚悟で祭壇に行っただろうエヴァンは、まだ分かる。獣人であり魔力量が少ないサンゲイザーは意地で生き残ったのだろうと想像せずとも考えられる。しかし、これといった攻撃手段を持ちえないキーナに関しては何故無事で居たのかがずっと疑問だった。


 灰髪の少年は「糸に包まれていた」とは言っていたが、ツァツリーの診断結果を聞く限り目立った怪我もしていないという。


 こうなると、長く生きていてもらわなければならないと大蜘蛛が判断した可能性の方が高い。勿論、エヴァンが駄目だったときの保険でもあったのだろうが――。


「逆を言えば、彼女は懐に不安材料を抱えることになったわけだ」

「その通り。この状況を利用するに越したことはない」


 見込み通り、間に合うといいんだけど。


 ハーミットがぼやく。内容を察したのか、ジェムシだけが苦い顔をした。


「そういったって、悠長にできる猶予があるのかぁ? あの辺りはもう目に入る色もおかしいことになってきてるんだが」

「まさか、猶予なんて有るわけないだろう。本来ならすぐにでも対処しなければならなかったことを伸ばしてるんだ。そもそも、拮抗を維持しつづけても勝ち目は薄い」

「ほー。となると短期戦を所望か」

「ああ。できることなら明日明後日には片付け終えて、村から撤収したいかな」


 ハーミットはそう言うが、賊三人が複雑そうな顔をする。


 無理もない。彼らはあの時、六人がかりで祭壇へ赴いたのだから――いくらハーミットが四天王と呼ばれていても二の舞はごめんだろう。


 針鼠もその辺りは考慮していたらしい。

 手のひらをくるりと天井に向け、所感を問う。


「実際に短期戦で突破しようとした感想は?」

「いや無理だろあの数を相手するのは」

「そうだね。突入するのが俺ひとりならともかく、大人数で動くには祭壇に続く通路の形状も向いてない。待ち伏せにでも遭えば前衛からやられることになりかねない。無策で突っ込めば火に入る虫、袋の鼠だ。退路の確保、もしくは退路の作成を見込む必要があるね」

「あー、そうか。そうなるとパワー役は内側より外のがいいか?」

「……火力でそれ・・が可能ならね。どのみち、退路確保のためにも入り口には誰かに居てもらわなきゃいけないだろう」

「そうかそうか、それなら結界術使いの配置は――っておい、さっき聞き捨てならねぇことを言いやがったな!! 一人ならどうにかなるのかよ!? あの群れをか!?」

「なるよ。たぶん」


 策もあるしね。と、ハーミットは鞄から瓶をいくつも引っ張り出す。

 内容物は黒い砂や灰が殆どで、透明な液体が入っているものもあった。


 ラエルは首を傾げながら許可をとって瓶を手にすると、光にすかしたりした。

 灰の欠片は光を通さず、それは黒い砂も同様だ。観察だけでは「何」なのか分からない。


「ハーミット。これは?」

「ノワールに拾ってきてもらったアダンスの甲殻を砕いたり灰にしてみたりしたやつ」


 ――咄嗟に叫び声をあげたり瓶を投げたりしなかっただけ、ラエル・イゥルポテーは心が強かったと言えるだろう。


 固まったラエルの手からサンプルを抜き取り、ハーミットはその蓋を開けた。黒い砂は僅かに魔力を帯びているようだが、サラサラと身じろぎひとつせずに落ちていく。


「先の話題でアダンスの属性耐性について話をしたけど、いっそこの場で実験しようかと思って。ほら、今の検討は戦闘中の所感を集めたに過ぎないからさ」

「へ、へぇぇ……そうなの……どうやって?」

「手帳の紙を使うよ。この感魔力紙には色別に指文字フィンガースペリングが焼き付けできる。つまり魔術系統の特徴を保持したまま魔力を投与できるんだ」


 説明しながら紙片を机に並べるハーミットは、十字の折り目の中心に蟲の粉をひとつまみ山のようにのせる。同じものを六つ作ると机の上で横並びに整列させた。


 しかし、紙には空白式がひとつずつ刻まれているだけだ。


 魔力を流し込む回路だけがあっても、どのような魔術系統を発現するか指定されていないのでは使い物にならないだろうに。


「この魔術陣、基礎はどうしたのよ」

「発現可能術式の上で試したら、発現の火力が勝って素材の耐久度がもたなかったんだ。『点火アンツ』が欲しいのに『炎弾フォイア』が出るみたいな感じでね。通常は再現性を維持するためにも魔法具で調整して出力固定するけど、今は手元にないから魔力が通る道だけ用意して…………」


 少年は言うと、顔を上げる。机を囲む全員の顔をまじまじと、見比べる。

 商人、白魔導師、白き者、結界術使い――……黒魔術士。


「……」

「……」


 ハーミットはラエルに、にっこりと笑いかけた。


「よし。ラエル、手を貸してくれないか?」

「この中で敢えて選ばれたってことに不安しかないのだけど。魔術の精度で言えばレーテさんやジェムシさんの方が遥かに上手うわてじゃないの? ねぇ?」

「まあまあ、騙されたと思ってさ。こっちに右手の指置いて、左手で『指文字フィンガースペリング』を使って欲しいんだ」


 なんだか以前にも聞いたことがある言い回しである。

 ラエルの思考の片隅に、砕けた氷塊がよぎった。


 黒髪の少女のジェスチャーに嬉々として頷く針鼠に、いよいよそうだと確信したラエルは肩を落とす。これで難なく「成功」してしまったら悲しみしかないのだが、少年はその結果を望んでいるので複雑な心境であることこの上ない。


(力を入れなければいいのかしらね……気を抜くとか……すれば……?)


 元々そうだったということを含めて、自然体で挑めばどうにかなるだろうか?


「それじゃあ、黄色からいこうか」

「……文字の色を変えるだけでいいの?」


 ハーミットは頷く。ラエルは眉間に皺を寄せたまま、ため息を吐いた。

 頼まれたからには挑むが、成功してほしくないというのが本音ではある。


 成功してほしくない。


 そんな念と共に左手で黄色の『指文字フィンガースペリング』を発現させるラエル。

 果たして。右手指を添えた紙の上には――空白式の円をなぞった黄の光色が灯った。


「……っ!! (普通にできてしまったので苦虫を噛み潰したような顔になった)」

「よし、この調子で他もやっちゃおう」

「ううううぅぅ」


 明らかに苦悩しながら指文字の色を変えていくラエルと、その手元でサンプルを入れ替えるハーミット。グリッタは何が起こっているのか分かっていない様子だったが、レーテとトカは眉間に寄った皺を潰しながら頭痛を堪え、ジェムシは笑いを堪えるあまりに茶をこぼした。


 用紙に置かれたサンプルは次々に反応を起こして結果を告げる。土の時は何も起こらなかったが、水で湿り、火で燃え、風で更に細かい粉になり、雷で赤熱し焦げる。


 全ての用紙に漏洩魔力を注ぎ込んだラエルは震える手を顔に当てると、「暫く放っておいて欲しい」と部屋の隅へ行ってしまった。


 ハーミットは結果を手帳にメモして、反応済みの黒い粉を短い木の棒で突いたりした後に「よし、成功した」と嬉しそうに言った。役に立ったことが嬉しいんだかこっぱ恥ずかしいんだか、想像以上に成長していなかったらしい魔力制御の具合に絶望しているんだか、ラエルは壁の方で頭を抱えて悶えている。


 今の彼女を誰が慰めても逆効果だろう……とりあえずこの場は話を進めることを優先したほうがよさそうだ。


 ハーミットはどこまで承知の上なのか、大してテンションを変えることなく話の続きをする。


「思った通り、魔力壁が無ければ大抵は通る・・みたいだね。どの系統に対しても高い耐性値は見られない。殻だけなら、火風雷水の順で魔術が効きそうだ」

「ほぉー、こりゃぁ……」

「風系統が弱点っていうのは盲点だったな。使ってみようとも思わなかった」

「情報整理の時点で『蟲に弓矢が通った』っていうのを聞いたからね、もしかしてと思ったんだ。はっきり出てよかった、これで使える手数も増えるね」

「ハーミットくん。これ、効く効かないはどう判断してるんだい?」

「それは、対象物質に影響を与えたかどうか、ですね」


 ハーミットは言いながら、すり鉢と元のサンプルを手に取った。


 検討を進めると、土系統を付与した黒い砂は元のサンプルと比べても粒の大きさや耐久値に影響がないことも分かった。物理的な土塊ならともかく、魔力操作を始めとした「干渉」を行うことが難しいと考えてよさそうだ。


 一方、水系統を付与した砂は湿ったが「殻に水が弾かれなかった」というだけで、殻自体にどれだけの保水力があるかは判断できず……水系統の魔術で溶解できるかはまた別の話だろうという結論に至った。


 「水」は素体確保が必須であり、「火」は使用場所が限定される。これらを前提にすると、大半が中級以上の高度な魔術ということになる。「風」と「雷」を中心に戦うには魔術士が少なすぎるのが、ネックになるだろう。


「洞窟の中で、風系統の強化術式はどれほど保つだろうか?」

「自ら発動するのと、強化付与してもらうのとでは変わるからなぁ。術者との距離次第だと思うぞ」

「祭壇のある部屋に限れば……ノワール。いけそうか?」


 ハーミットは何処を向く素振りもなく言う。天井のカンテラが揺れ、梁にぶら下がっていたらしい伝書蝙蝠が机に降り立った。


 ノワールは黒飴の目を針鼠に向けると、もふもふの胸を張って見せる。


『――ふ。あれだけ壁があれば楽勝です!! ただしノワールが丸腰になるです!!』

「心配はそこなんだよなぁ。今のノワールは全力で飛べないし、所々詰めながら対処法を考えよう。最悪俺の懐に居てもらうことにして」

『断るです。目が回る』

「命には代えられないから、もしもの時は諦めてくれよ」


 伝書蝙蝠の眉間を解し解し、ハーミットはラエルの方を振り向く。

 床に人差し指をぐりぐりとしていた黒魔術士が針鼠の接近に気づいて立ち上がった。


「さっきの、私がやる前提で考えてたの?」

「ははは。君なら余裕じゃないかなと思って」

「他の魔術士に頼めばよかったのに」

「片手で操作しながらもう片方に流すなんて、逆に難しいと思わないか?」

「……そうなの? 言い訳にしか聞こえないのだけど」

「これが終わったら、美味しいものでも食べに行こうよ。俺が奢るから」

「……………………」

「いや、その、美味しいもので君のことを買収できるとも思ってない、よ……?」

「言われなくても貴方にそのつもりが無いことは分かってるわよ。一連の話も聞いてたし」


 いつの間にかなくなっていた麦粉焼きの串を束ねて、ラエルは机上の情報に改めて視線を落とした。


「私は風魔術苦手だから、付与術式に頼ることになりそうね。使い物になるのは『霹靂フルミネート』ぐらいかしら」

「そう卑下しないでくれ。広範囲魔術の使い手はそう多くないよ、頼りにしてるんだからさ」

「……私にできることをするだけよ」

「勿論、それでいい。全員の能力を鑑みて作戦を立てるのが俺たち大人の役目だからね。全力を尽くすさ」


 針鼠の少年は言って、懐を探る。


 取り出したのは、カプセル状に装飾が成された紫色の回線硝子ラインビードロだ。今回の遠征に合わせて、主にラエルやノワールと通信をするために作ったものである。


 しかし、ノワールとラエルはこの場に居合わせていて通信をするには距離が近い。


 ハーミットは暫く無点灯の紫色を眺めていたが、それはやがて光を放った。


 この村で、外部との連絡は通じない。

 とすれば。これはこの村にいる人物との通信である。


 ノワールは眉間に皺を寄せながら、地図を机に映し出す準備を始めた。ハーミットは鼠顔を少し持ち上げて、琥珀の目を眩し気に細める。朱色の薄い唇が弧を描いた。


「……それじゃあ、奥の手が育ったかどうかは本人の口から聞いてみようか」


 策の糸は織られる。

 夜が、刻一刻と深くなる。


「んんっ。えー、こちらヘッジホッグ。進捗はどう?」

『――僕は、僕は良いんじゃないかと思ってるけど』

「けど?」

『サンゲイザーとエヴァンさんが厳しすぎて基準に達しないっ!!』

「そ、そうかぁ……」


 全くの杞憂であってほしいのだが。

 何故だろう。始める前から、前途多難の気配がした。




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