295枚目 「計略紡ぐは糸車」


 リビングに戻ると、炭樹トレントの風鈴の音で全員が振り向いた。

 男ばかりで囲んだテーブルには、手書きの地形図と防音魔法具が並んでいる。


 ラエルとハーミットはテーブルの開いた場所に身を寄せたが、ラエルの手には依然麦粉焼きが握られたままである。流石に、さっきの今で食べ終えるほど早食いではなかった。


 机の上に無造作に置かれた木製の駒と、細かい格子が刻まれた板。水分の類は各々の手にあり、紙や木を汚すような油物の気配はない。


 ラエルは玄関先で足を止め、手元に残った串を数える。まだ三本あった。


 男衆はラエルの挙動を見て目を丸くすると、耐えきれず吹き出した。ハーミットもやれやれと肩を竦めラエルの背を「ぽんぽん」と軽く押す。


「ははは。あんなに動いてりゃあ腹も減るって!」

「美味しいかい?」

「美味しいわ」

「そりゃあ何よりだ。万一吐きそうになっても言ってくれりゃあいいからよぉ」


 意見をぶつけ合うことが程よい発散になったのか、場の空気は危惧するほど悪くはないようだった。トカがしれっとした顔で全員の前に薬草茶を出す所業をしているが、それ以外は至って――……平和だ。と、場違いにラエルは思った。


 争う空気が微塵もない。

 これから争いに行こうという空気すらない。


 全員程よく力が抜けていて、けれど確かに糸が張られている気配がする。


 張りつめていない「だけ」の空気が、目に見える。


 決断に後悔はない。故に撤回もありえない。

 黒髪の少女にとっての問題は「可能か不可能か」だけだ。


 ラエルは咀嚼を再開して、麦粉焼きを呑み込んだ。


「気にしてくれてありがとう。そうね、まずは蟲についてまとまった情報を説明して頂戴。作戦の案があるなら、それも教えて欲しいわ」

「よしきた! つっても、お兄さんたちは蟲について気づいたことを喋り倒しただけだからな。把握できてるのはそこの白き者エルフと針鼠くらいじゃねぇか?」

「にゃあ。待つの疲れた、早くするー」

「 (槌を磨きながら立ち上がる)」

「さっさとはじめようぜ」

「ああ。本村小蜘蛛掃討大蜘蛛捕縛大作戦の作戦会議だね」

「……」


 ラエルは無言のまま机の方を向いた。総じて目を逸らされた。


 黙るということは、この場に至るまで誰も何も突っ込まなかったということか。

 口が裂けてもとグリッタとレーテが首を振る。まあ、ハーミットの立場や成り行きを踏まえるとそうなってしまうのか……?


(いやいや。いくら何でも長いと思うわよ本村小蜘蛛そ……うん、思い出せないわ)


 個人的には作戦名などどうでもいいのだが、憶えられない作戦名はどうかと思うのだ。


「ハーミット。せめて捕蟲ほちゅう作戦とかにしない?」

「……構わないけど、どうして皆神妙な顔をしてるのかな。分かりやすくなかった? 本村小蜘蛛掃討大蜘蛛捕縛大作戦」

「長いと思うの」

「長いかぁ。分かった、補蟲ほちゅー大作戦にしようか」


 針鼠の言葉を聞いて、机を囲んでいた数人の膝が折れた。


 笑いを堪えるつもりがあるなら全力で欺いて欲しいものだ。こうなれば全員巻き添えを食らってもらうほかないだろう。ラエルは自分まで頭を抱えそうになるのを耐えて、できる限り最短で話が完結するように舵を切ることにした。


「どうしても『大』を入れたいのね。いいわよ。補蟲大作戦で」

「よし。それじゃあ気を取り直して――補蟲大作戦の作戦会議を始めよう!」

「おー」


 ラエルはひきつった顔で拳をほんの少し上げて、机に寄った。串焼きに噛みつきながら板に刻まれた格子が地図であることを認識し、咀嚼しながら駒の形を把握する。一度乱された思考はクリアになって、目の前に広げられた情報が次々飲み込まれていく。


 ハーミットは、ラエルが輪に溶け込んだことを確認して姿勢を正した。


 立ち耳の獣人は尾を揺らしながら不満げにしていたが、針鼠が指を立てて「他言無用」を口にする。かえってジト目を返されるものの、気にしない。


 アイスブレイクは十分、本題に移ろう。







「――さて。まず『魔力食いの小鎧蜘蛛』を、その見た目と経歴から仮称『アダンス』と呼ぶことにした。名がつくと説明が楽になるからね。よし、まずは纏めた情報についてざっくりと説明しよう。さっき話し合いに参加した人も、情報共有のために聞いてくれ。


「第三大陸に根強い骨守信仰。これは表向き、白い石材が採れる晶砂岩の山脈――竜の尾骨ドラゴン・コックスを称えるものであり、この地の魔力を食らうアダンスの個体数を維持するための教えだったことを、俺たちはこれまでの情報から突き止めた。


「祭壇に居座る大蜘蛛は、さっき言ったアダンスに魔力供給を行うかなめになっている。大蜘蛛を止めない限り、村中に潜むアダンスたちは砕かれようと切り裂かれようと際限なしに再生するわけだ。けど、証言を集めていくと例外もあると分かってきた。


「まず、彼らは火に弱い。張り巡らされた糸も巣もアダンス本体も魔力の塊だ。数日前にトカさんがしたように魔法の火はよく効くだろう。アダンスに限れば火系統魔術を始めとした火責めが最も有効な討伐手段だと思うよ。


「次に、彼らは魔力を糧に再生する。逆に言えば周囲に魔力が足りなければ再生できないだろうし、魔力を取り除いて絶命させた場合にも再生を行うことはないとツァツリーさんの手で証明された。これで、少なくともアダンスは傀儡の類じゃあないと分かった。


「そうそう、生きている物が相手であるなら剣の呪いが効く。『状態維持』と『回復阻害』、実際にアダンスを相手にしたとき、剣で両断した蟲は再生に失敗していた。斬って水の中に落としでもすれば相応の時間稼ぎになるだろうね。


「……随分と虫のいい話ばかりだなって? いやいやまだまだ。今のは良い知らせを先に説明しただけで、悪い知らせもしっかりあるよ。そうだね。今、手当たり次第に上げた情報を駆使したところで、俺たちと蟲との戦力差はそう簡単には埋まらないさ。


「アダンスの厄介さは甲殻の頑丈さと機動力、粘着性を持った硬質化する糸に、目の良さに毒牙、そもそもの巨大さ――それら全てを踏まえた上で、より警戒すべきは『統率された群れ』であるという点だ。


「例えば、この場に居る全員が前線に立ったとしても九人と一匹対未知数だ。質量で勝てるとは思えない。大蜘蛛の捕縛が最終目的なら猶更だね。


「加えて面倒なことに、祭壇周辺に居るアダンスには常時回復術がかかっているような状態だ。晶化の危険もあるし、長期戦だけは避けなきゃならないけど……こうなるとアダンスを狩るだけでも問題が出てくる。


「ひとつ。先に説明した『火責め』は祭壇周辺の環境では使えない。魔法の火は魔力を燃料にするけど、そもそも物が燃えるには空気が必須だから閉所で使うには適さない。この手段が使えるのはもっぱら外での戦闘だろう。


「ふたつ。アダンスが傀儡ではないなら、知恵や同調性が個体間に存在する可能性がある。彼らは飛び掛かって来るときも全く同時には襲ってこなかった。一匹がとった行動が周囲に連鎖することもあった。本能的だとしても、生存競争に関して無知ではないだろう。


「恐らくアダンスは戦闘中にも行動を変化させることができる。俺たちがほぼ初見で彼らの相手をする一方で、アダンス側は人間の狩り方や捕まえ方を熟知していくんだ。長引けば相当不利になるだろう。


「みっつ。アダンスを無力化するには魔力供給元を断つのが手っ取り早いけども、祭壇下にあるらしい白木聖樹を切り倒すなんて大蜘蛛を移動させなきゃ無理。


「そういえばラエルは天井から下がっている丸いやつを『巣』か何かだと思ったんだっけ? 祭壇に行ったとき、アダンスに向かって魔力の流れがあるって言ってたよね。


「トカさんとあの後情報交換して知ったことだけど、あれは次代を産むためのものらしい。蟲から採取した体液のサンプルと君が頭からかぶった謎の液体を鑑定にかけたらほぼ同じ物質だった。あの丸いものを産卵床だと仮定して、それじゃあどうやって次が産まれるのかっていう話になるんだけど――」


 そう、先を言いかけた針鼠の肩が物凄い勢いで掴まれた。ハーミットがポカンとして顔を上げると、紫目が眼前にまで迫っている。


「ちょ……っとまって。どういうこと……!?」

「ん?」


 少年は少しばかりフリーズして、今までの発言を振り返った。

 なるほど、誤解させてしまったらしい。説明が必要だ。


「大蜘蛛を捕まえるということは、魔力を食うアダンスの統率が失われるということだ。ということは、次代を確保するのを前提に作戦を練る必要がある」

「だから、人柱を立てるって言うの!?」

「へ、そんなことしないよ? 別の可能性を提示するに決まってるじゃないか」


 背針を軒並み寝かせて凹む針鼠に、ラエルはますます分からないと眉間に皺を寄せる。

 ハーミットはどう説明したものか熟考すると、顔を上げた。


「ごめん、説明を省いたのが悪かった……えっとね、ラエル。この村で行われてきた生贄の儀式には、どうして女性と子どもが捧げられるようになったんだと思う?」




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