294枚目 「麦粉焼きと筋肉痛」


「ぜぇーっ、ぜぇーっ、はぁーっ、ぜぇーっ」

「ある程度形にはなりましたかね。二時間でこの結果は上出来です。ここまでにしましょう」

「あ、ありがとう、ございまし……」


 た。とまで言い切れず、ラエルはその場に崩れ落ちた。


 正拳突きや前蹴りといった基本動作を覚えるために的にした炭樹トレントの木板 (元々破壊された部屋の壁の一部なのだが既に跡形もない)が温い風にさらされる。ツァツリーは涼しい顔をして黒布のツインテールを揺らした。


「回復促進かけますね」

「あ、ありが、と」


 ラエルは突っ伏したまま顔だけ横に向け、全身の筋肉痛に耐えながら口を動かした。


 わき腹から腕にかけての肉がビキビキと酷い音を立てている。最終手段に回復術があるとはいえ、普段使わない部位を急に鍛えようとすると碌なことにならないと学習した。


 毎回こうなるのは勘弁だ。どう考えても継続的に鍛える方がいいに決まっている。

 持久走に加えて筋トレなども組み込む必要がありそうだった。


(――って、流れるように思考が筋肉になってる。私は黒魔術士……私は黒魔術士……!)


 動かない身体で必死に抵抗を試みるラエルだったが、烈火隊の筋肉娘たちがこちらへ来いと手を振っている幻覚が消える気配はなかった。


「おつかれさま、二人共。区切りがついた感じかな?」

「ええ」


 ツァツリーはハーミットに答えて、幾つかの強化付与術式を発現させる。


 詠唱ありきとはいえ二重三重に展開される魔術は圧巻だった。彼女がどれだけの許容核スロットを魔法具で補っているかは考えたくないが、味方だと思うととても心強い。


 一方のハーミットは焚き火で焼いたらしい麦粉の練り物を頬張る。水で溶いた麦子に塩と胡椒を混ぜただけのものらしいが、そこそこいける味のようだ。


 差し出したそれをやんわりと断られ、少年は徐に肩を竦める。


「こっちも丁度、情報共有が終わったところだ。休憩挟んで、作戦の続きは小屋の中で立てようかと思って」

「場所を変えるのは賛成です。意識の切り替えにもなるでしょうし」

「うん。それで回線硝子ラインビードロの番を誰がしようかっていう話なんだけど」

「私でよければ引き受けます。後々の共有であっても把握できますし」

「それは頼もしい」


 針鼠は明るい口調のまま串ものを頬張り飲み込む。開いた襟の内側で少年の口が「す」と一文字に結ばれているのを見て、ツァツリーの表情が僅かに曇った。


「因みに、貴女自身はどういう立ち位置を求められると思ってる?」

「私は白魔術士ですが回復術に関しては殆ど使い物になりませんから必要とされるなら強化付与エンチャント要員でしょう――私が範囲付与可能な強化術式は切断・打撃強化。硬質化。魔術抵抗向上。身体能力向上。回復促進の五種。障壁は『受け流す壁パリング』と『翼甲の盾バスピス』が得意です。その他。知覚の鋭敏化や反射促進……即座に発現し数種を同時に扱えるのはこの辺りでしょう。効果はどれもささやか・・・・ですが。ないよりはマシではないかと」

「数種、って幾つくらいまで?」

「詠唱の時間と魔力さえ確保できれば三つでも五つでも。強化術式の殆どは土系統なので許容核スロットを埋めづらいんですよ」


 返答するのに、ほんの少し口早になる。


 ツァツリーはラエルの味方に立つと宣言したばかりであり、必要以上に警戒されるような態度は取っていないつもりだ。それこそ「ガルバ・ツァツリー」として真面目に白魔術士を全うしてきた彼女にとって、この針鼠の反応は予想外だった。


 ツァツリーの不安をよそに、ハーミットは頷きながら質問を続ける。


「呪いは専門外?」

「そうですね。『解呪デスペル』が通じる範囲なら対処できますが呪いを返すには技量が足りません。風系統までの基礎的な魔術であれば扱えますがその程度です。黒魔術では戦力になれないでしょう。蟲が相手なら得物を振った方が速いです」

「十分だよ。『水玉集めポイス・ラクロッタ』とか使える?」

「……素体を使用しない水の生成なら。できますよ」

「よし」

「何が『よし』なんですか?」

「いろいろとね」


 ハーミットは手にしていた串の二本目にかぶりつく。生地を焼いただけだった一本目とは違い、こちらには野菜か根菜が共に巻きつけられているようだった。


(……しかし。よく食べますね。いいことですが)


 ツァツリーの疑問をよそに、針鼠は「もきゅもきゅ」と頬張りながら思案して、飲み込むと同時に口を開いた。


「そういえばツァツリーさんは魔力吸収ドレインを扱える人?」

「――んんっ、げふんっ」


 白魔術師は大きく咳き込んだ。


 咳き込んだが、少年の声が耳に入らなかったわけではない。不意をつくような半日前のやらかしに何故今更指摘が――と素早く思考を巡らせようとして、ツァツリーは目の前の針鼠がこちらを観察していることに気が付いた。


 ハーミットはニコニコと笑う。


 ツァツリーは引きつりそうになる顔を必死に抑えて、できる限りの無表情で対抗する。


「ええ。扱えますが……変換器トランスデューサが手元にありませんので」

「そっか。ならこれを渡しておこう」

「……はい?」


 眉間に皺が寄りそうな心情を隠しながらツァツリーが顔を上げると、いつの間にか救い上げられた手のひらに魔法具の重みが伝わる。徐に視線を落として、後悔した。


 華美な装飾がない、マット加工が成された金属の塊。


 中指ほどの棒にしか見えないそれは、ツァツリーが知る限り最上の技術で作られた変換器トランスデューサだった――オークションを通そうものなら家が買える単位のスカーロが、時価で変動する代物だ。


「な。な。なんで。どうして貴方がこんなものを」

「使いどころがありそうな魔法具はある程度持ち歩いてるんだよ」

「そうではなくてですね。何故一介の白魔術士如きにこのようなものを貸すんですかと聞いているんです……!」

「そりゃあ、君が使えるって言ったからね」


 ハーミットはあっさりとそう言って、変換器トランスデューサ用の長いチェーンまで手渡す。手渡しながら、白魔術士の手を取る。


 ツァツリーは相当高価な魔法具を自らの両手で包み込むように持たされ硬直し、ハーミットはその手を上から包み込むように両手で握った。


「使用推奨はしないけど、止むをえない状況に陥ったら遠慮なく使って欲しい。、これを通さずに『魔力吸収ドレイン』するとか、無謀なことをされると困るんだ」


 ――ばれている。


 衝撃に衝撃を重ねられ、白魔術士が「がばり」と顔を上げた。

 少年は薄く笑みをたたえた唇の前に人差し指を置いて、鼠顔をほんの少し押し上げる。


 動揺する黒曜の眼に琥珀の橙が映る。


「命は大事にしよう、ね?」

「……は。はい」


 ツァツリーは、そう答えるしかなかった。


 離れる手のひらと共に、厚意と警告の圧が離れていく。


 湿気てしまった魔法手袋を隠すように、チェーンを繋げた魔法具をジャケットの内に下げるツァツリーを見て、ハーミットは串を口に近づけた。


「うん、分かっているならいいんだ。くれぐれもには注意してね。俺の無魔法じゃ、一度歪んだ源泉には手が付けられないからさ」

「り。留意します」

「ありがとう。それじゃあ回線硝子ラインビードロの番よろしく、ツァツリーさん」


 白魔術士は何か言いたげにしていたが、浅い礼をして焚き火の方へ歩いて行った。


 ハーミットは見送りつつ、串焼き二本目の最後のひと口を頬張る。


 今朝の件だが、これは夕方にジェムシの口から聞いたことだった。このまま放置すると土壇場で無茶をしかねないからどうにかできないか、と相談を受けたのだ。バクハイムでハーミットがツァツリーに頼み込んだこととほぼ同じシチュエーションである。


(本人は隠してるつもりだろうし、実際彼女のポーカーフェイスはよくできたものだけど……隠しきれない分が顔に出るところを見ると、根が素直なんだろうなぁ)


 「幸せになりたい」という動機で白魔術士になったと聞いているが、何を必死に隠しているんだろうか。


 些細な疑問はあるが、現状気にするべき事柄ではないとハーミットは判断した。まだ暖かい麦粉焼きを手に踵を返す。


 「ツァツリーを話し合いの場から引き離す」という当初の目的は達成されたので、あとは地面に転がったままの計画発案者を連れて行くだけだった。


「よーし、ラエル。立てる? 君が居ないと作戦会議始まらないんだ」

「た、立つわ。立つから五秒待って」

「五秒でも十秒でも待つけどさ、串焼きが冷えちゃうから早めにね」

「さっきから美味しそうな匂いがすると思ったら……っ!?」

「ただの麦粉焼きだよ?」

「塩が入ってて火が通ってるならごちそうよ!!」

「ははは。同意するよ」


 手にしていた残りの麦粉焼きを幾つかラエル用に残して、ハーミットは三つ目に齧りつく。頭脳労働にはカロリーが不可欠なのだ。


 ラエルは割れた木板や砕けた木片を避けながらどうにか身体を起こした。治癒力を底上げしてもらったとはいえ、筋肉痛は多少和らいだ程度らしい。

 今もどこかしら肉離れを起こしているように錯覚しているが、立ち上がれないほどではない。小屋の壁にもたれた少女を見て、少年は串を左手に持ち替え右腕を差し出す。


 ラエルは差し出された腕を一瞥して、それから首を振った。


 ハーミットは食べかけの麦粉焼きを口に入れる。咀嚼の後に苦笑が漏れた。




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