302枚目 「綾を壊して」


 この村には、蛇行する林道に沿って五つの集落跡がある。


 ラエルたちが初日に徒歩で数刻とかからず祭壇までたどり着けたことを考えると、今夜の妨害はしっかり足止めの役割を果たしているらしい。


 ラエルたちが十名にも満たないチームであるのに対して、鎧蜘蛛アダンスは「群れ」だ。


 それは、特攻役と本命の妨害工作を行う役との作業分担が可能ということで――三つ目の集落群で受けたラエルたちからの激しい抵抗を前に、蟲側が対策をとらないわけがなかった。


 例え、足止めにしかならないとしても。


「……これは」


 四つ目の集落群を目前にして、ラエルたちは蟲糸で作られた高い白壁の前に立ち往生していた。

 カンテラで照らせば目がくらむ白色、夥しい量の糸束が背の高い針葉樹の幹すら巻き込み、集落群のあちこちが巨大な布を張ったようになっていた。


 糸束の隙間から向こう側を覗こうとしたラエルを引き留め、レーテとグリッタは思案顔になる。


「法則性はないようだけども、この先は迷路にでもなっているんだろうか?」

「迷路だとして、出口があるかは微妙だろう。規模もデカいしあちこちに蟲の影がある。途中で糸を足されて袋小路にされたらと思うとたまったもんじゃあない」


 衝撃を与えると瞬間的に硬質化する、粘性のある柔らかい糸。

 この付近で鎧蜘蛛アダンスに襲われても、思うように武器を振るうことはできない。


「ぱっと思いつくのは、魔術で焼き払うか、大きく迂回するか。だな」

「しかし、集落群を焼いてしまうと囮役の効果が薄くなる。かといって迂回するには道が険しい。どちらにせよ、時間を食うことになるね」

「……でも、ここで鎧蜘蛛アダンスに囲まれるわけにもいかないわ。合流にかかる時間が延びるのも困る。貴方たち、こういう時はどうした方がいいか知ってる?」


 ラエルが振り向かないまま言うと、えっちらおっちら追いついてきたジェムシが短い欠伸をした。遥か上方から立ち耳の獣人がしなやかな動きで着地する。


「ファレ、上から見た。あちこち蓋がある」

「はあ。どう考えても罠だな? つっても、こっからの迂回は時間もかかる。糸には弓も打撃も斬撃も効かねぇっつうんだし、やっぱ焼くしかなくないか?」

「…………」


 のそり、と。クリザンテイムが首を傾げた。黒衣の大男は全員の視線を集めながら、一人壁の前に近づくと、落ちていた枝を指でつまむ。


 そうして何をするかと思えば――先ほどツァツリーが振って折れたその枝を、クリザンテイムは無言のまま木の枝を糸の壁にめり込ませた。……めり込ませた。


 クリザンテイムが手にした枝は、何一つ反発されることなく糸束に飲み込まれたのだ。

 一行はその光景に唖然として、しかし同時に納得する。


 鎧蜘蛛アダンスの糸は衝撃に強い。それは実験結果からして間違いなかった。


 しかし弱い力・・・に対してはどうだろうか? ノワールが被害を被った遊糸は風に揺れて波を打っていたらしい。つまりそれだけの柔軟性が元々ある、ということだ。


 クリザンテイムは大きな体を丸めながら丁寧に枝をちまちまくるくると回して、暫くするとこちらを向いた。


 大男の指先には、ふわふわな飴菓子に似た糸の塊があった。

 そのまま地面を転がせば小石や土が絡むので、この糸は粘ついているのだろう。


 のそのそ動いたクリザンテイムは手ごろな若い針葉樹に槌を構えると、その場で幹を乱打し砕き倒す。幹の長さを適度な所で調整して、肩に担ぐと戻って来た。どうやら彼にとっての「木の枝」は「木の幹」らしい。


 得意げな鼻息の音と共に、黒衣の下に獰猛な笑みが見えた。


「そうか、防音魔術の範囲内で糸を触る分には、周囲には伝達されない……!」


 レーテのぼやきに全員が目を光らせた。いける気がする、と。

 全員が、枝やら棒やらの何かしらを手にする。


 慎重に糸綿の中を進む人海戦術。悪質な迷路は、ぶっ壊して一直線に進むべし。


 気の逸りか、焦りのせいか。

 そもそもの大前提を忘れていることに、誰も気づくことはなかった。







 一帯に、鳥肉を焼いたような香ばしさが立ち込めている。


 河原特有の足場の悪さをトカの糸術式で打ち消し、ハーミットは一際大きい鎧蜘蛛アダンスの腹を刃で撫ぜた。


 火魔術を頻繁に使う場では、喉が酷く乾く。

 乱暴に開けた水筒の先から僅かな水を口に含み、いくらか頭にふりかける。


 鎧蜘蛛アダンスの攻撃には定期的な波があった。こちらは休めば休むほど持久力が削れていくのだが、今回に限っては集敵を目的に戦闘を行っているのでかえって好都合だった。


 ハーミットは水が滴る髪をそのままに剣を下ろす。


「さて、作戦開始から一刻過ぎた。そろそろあっちでも判断ミス・・・・が出てくる頃かなと思うんだけど、どう思うトカさん」

回線硝子ラインビードロを使う暇が必要かね」

「この状況で助言する余裕まではないかな!」

「こちらも同じような意見だ。まあ、ラエルなら墓穴を掘っても穴に入る前にを破壊するだろう」

「死にはしないって?」

「想定通りに進む計画などないだろう?」


 トカは言って、蟲殻の短外套を翻した。


 崖の上から鎧蜘蛛アダンスが零れ落ちてくる。何かに追われているようだと思えば、北東の方角から赤い光が瞬き煙がたった。支給したカンテラの光色とは色が違うので、火魔術が使用されたのだろうと推測する。


 二人は身構えながら、それぞれ苦い顔をする。


「集敵の意味がなくなった気がするな」

「……鎧蜘蛛アダンスの動きを見つつ、プラン三の『かけ足』で」

「異論ない」

「よーし、仕事だ仕事だ!」


 半ばヤケクソに近い声を上げながら鎧蜘蛛アダンスを蹴散らしていくハーミットに、トカは淡々と、安定した足場を提供する作業を再開したのだった。






 そう。

 音を立てずに巣を壊す。ここまでは良いアイデアだった。


 問題は「防音魔法具の範囲を抜けた後」を考慮しなかったところにある。

 つまるところ、壁を壊した瞬間は察知されずとも、壁が壊れた事実は確実に鎧蜘蛛アダンスにバレることを。一行は失念していたのだ……。


 というわけでラエルたちはすぐに鎧蜘蛛アダンスに見つかり、集落中に張り巡らされた大量の蟲糸に動きを制限されつつ乱闘する羽目になった。鎧蜘蛛アダンスの猛攻により悠長に壁を突破することも難しく、あれよあれよと袋小路に追い詰められていく――悲しいまでに、袋の鼠だ。


「駄目だった、駄目だった!! 気配消していけば大丈夫とか考えが甘かったわ!! 感知に長けた蟲が相手なんだもの、そりゃあそうよねえ!!」

「すまない!! ほんっとうにすまない!! もう少し考えるべきだった!!」

「…………!!」

「おうこらクリザンテイム、てめぇ一人の責じゃねぇっつーの凹むな。ファレ!! 深追いするな、道を開くのが優先だぞ、援護しろ!!」

「にゃあぁ~~~~!!」

「っ……ちっとも聞いてねぇなぁ!? 仕方がねぇ、クリザンテイム!! 糸は避けて前方を切り込め!! このまま突破する!!」

「――――!!」


 ジェムシの掛け声に応じて、どんよりとしたクリザンテイムが悲しみと後悔を火力に変えて槌を振るい抜く。

 周囲の糸束などを衝撃で硬化させたままに引きちぎると、迫っていた鎧蜘蛛アダンス三体に向かって勢いを殺すことなく叩きつけた。


 蟲殻に粘性のある糸が夥しく貼りついて、鎧蜘蛛アダンスは一斉に爪で振り払おうともがき絡まった。槌を打った場所だけが風圧で切り抜かれ何も付着していない。鎧蜘蛛アダンスの殻に白い花が咲いたようですらある。


 槌振るいは勢いを殺すことなく先頭にいた白魔術士を追い抜いた。ツァツリーは黒曜の眼を歪めて後退する。


「――レーテさん。グリッタさんを連れて前方へ。彼の付近にいる方が安全でしょう。構いませんかジェムシ」

「構わねぇよ、渥地あつしち酸土テラロッサにゃ勿体ねぇ人間要塞だ。声かけさえ忘れなきゃアイツに守れないやつはいない」

「声かけ?」

「あー、ここに居るぜって意思表示しねぇと巻き込まれて死ぬ可能性がある」

「……」


 ツァツリーは思案に一秒使い、後方から繰り出された蟲爪の突きをひらりと躱す。斧棍を持つ手に捻りを加え、鎧蜘蛛アダンスの体躯ごと遠くへ弾き飛ばした。


 今しがた庇ったばかりの男二人を振り返り、ツァツリーは涼しい無表情で黒布を振り子にした。


「――だ。そうです。二人とも大声を出しながら彼に守りを請うてください。ラエルさんは私とジェムシでカバーします」

「ひえええ恥ずかしいとかプライドがとか何も言ってられないねぇ!?」

「しかしカフス売りのお兄さんよりは遥かに頼りになる護衛役だ、なりふり構う暇はない!! うぉぉぉおクリザンテイムよぉぉ俺たちを守ってくれぇえええ!!」


 蟲をなぎ倒しながら大股で先を行く背を目掛け、競り合うように走っていくレーテとグリッタ。そう距離は離れていないものの、ラエルを含めた後方の三人は防音魔法具の効果範囲から抜け出てしまった。


 白き者エルフ二人は、残された三人の中で唯一決定的なアダンス対策を持たないラエルを庇うように、それぞれの得物を身に寄せて警戒を強める。


「えっ、あ、防音魔法具ってレーテさんがもってるんじゃ」

「こうして乱闘になった時点で音消しの意味はほぼありませんよ。つまり強行突破するしかありません。作戦案二の裏『前言撤回』を適用して構わないかと」

「作戦案二に『裏』とか作ってたの貴方た「『翼甲の盾バスピス』!!」――えっ「『炎纏え騎槍イグニランス』!!」――っう!?」


 詠唱二つに挟まれて、ラエルの後方に正円状の盾と炎槍が飛来する。糸の壁を足場に飛び掛かって来たアダンスが貫かれると同時に燃え上がった。


 瞬く間に蟲の内側から焦げる匂いが鼻を衝き、火が周囲の糸束に次々移るのを唖然と見ていたラエルは流れるような動作でツァツリーに抱え上げられた。斧棍を仕舞った白魔術士は身軽だ、火元との距離があっという間に開く。


 適当な水魔術で周囲を鎮火したジェムシが集落群を抜けて追い付いた頃になって、ラエルはようやく解放された。


「……ラエルちゃん、よくあのデカい蟲に背中向けられるなあ?」

「あ、ありがとう二人とも……気を張ってはいるのだけど、見落としが出るみたいで。目が蟲を見ることを拒否してるのかしらね。ごめんなさい」


 礼を言いながら、ラエルはこめかみを抑える。

 ボンヤリしている自覚はないが、祭壇が近づくにつれ冷静さを欠いているのは確かだった。


 ツァツリーは再び斧棍を手にすると、ラエルに歩くよう促した。

 クリザンテイムたちと少し距離が開いてしまった。人手が足りないラエルたちには分隊を増やすメリットがないので、急いで後を追いかける。


 これで四つ目の集落群は力業で突破したことになるが、蟲が作った糸の壁はまだまだ続いているようだった。


 歩調が安定してきたところで、ツァツリーは口を開く。


「精神的な理由もありそうですが。一番は気配の質でしょう。今のはラエルさんを直接狙ってはいませんでした。殺気がない攻撃は避けづらいものです」

「あー、成程な。強襲の対応はできても大局を把握する経験がねぇ、ってのを見抜かれてるのか。そりゃあそうだ、殴りに行く相手がラエルちゃんのことを何も知らねぇわけがなかったな」

「……」

「ラエルさん。不調があればすぐに言ってくださいね」

「気分が優れないのは最初からだから、いいわ。それに、ハーミットの見立てならそろそろ――!!」


 ラエルは言葉を切り、足を早めた。

 一足先に五つ目の集落に先に踏み込んだレーテたちは、半球形の結界を張って蟲の猛撃に耐えているところだった。


 ただの鎧蜘蛛アダンスが相手であればクリザンテイムやファレの援護でどうにかなっただろうが、そうではない。ラエルたちは最後の集落跡に踏み入る前から、その異様な影を捉えることができていた。


 影の形は蟲と人を重ねたもの。


 女の身体を背に負った巨大な蜘蛛だ――それが、わらわら・・・・と居る。


「……話に聞いた『身代わりサブスター』、ね」

「ですね」


 ツァツリーは短く返答して斧棍を構えた。


 これを初日に見ていたなら、ラエルは卒倒していた自信があった。イシクブールの石像を見るだけであれだけ動揺してしまったのだから――だが、今回は違う。


 血がにじむほど食いしばった唇を乱暴に拭って、目を凝らす。

 隣で同じように巨蟲に目を向けていたツァツリーとジェムシが首を振る。


「土地の魔力が濃すぎる。この距離じゃあ本体が居ても判別がつかないな」

「……ここはまだ高魔力地帯じゃないわ。変質個体になったあの人が身動きを取れる場所じゃあない」

「なら、針鼠の想定通り『分身』ってことか?」

「ええ。場所が悪ければ四天王でも苦戦する分身です。気を抜かないように」

「あぁ」


 言って、駆けだそうとしたジェムシがピタリと動きを止める。

 錆浅葱の三白眼を見開くと、彼は咄嗟にラエルとツァツリーが飛び出さないよう庇った。


 瞬間。二人の顔の一寸先を、巨蟲の爪が奔った。


 上方からの襲撃にジェムシは歯を食いしばり得物で受け止めたが、蟲には八本の足がある。遅れて、青年の顔面を二分するように蟲爪が振り抜かれた。


 鮮血が林に散る。浅葱色の長棒が唸りをあげて爪を弾き返した。


 間一髪、顔の皮一枚で済んだらしい。

 ジェムシは顔を歪め、目の端に映った遊糸を見て笑った。


 ――青年の目の前で、大蟲の身体がねじれ、歪み、吹き飛ぶ。


 あまりにも激しい衝撃を伴った斬撃の瞬間は、ラエルの目でも追うことが叶わなかった。剣戟の代わりに、見慣れた黄土色ばかりが目についた。


 背針を一層逆立てて、深紅のロンググローブが灰色の両手剣を振るったのだと知る。


 ばっさり両断された女と蟲の形は、どろどろ崩れて地面へ溶けていく。


 振り向いた針鼠は、どうにかやる気に満ち溢れる笑みをラエルたちに見せた。

 一拍遅れて、濁った琥珀がカンテラの橙に照らし出される。

 

 ラエルはつられて苦笑を返した。

 精一杯、できる限りの虚勢を張ることしか、できそうになかった。




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