303枚目 「黒を織る」
魔導王国四天王の名を冠する「強欲」の力量はラエルたちと比較にもならなかった。
金髪少年は呪剣を振るい、レーテたちを攻撃していた大蟲の分身を瞬く間に制圧したのだ。
うごめく女の腕が形を保てず崩れていく。人型も黒い鎧も一緒くたにゲル化したそれを横目に、ハーミットは周囲に
彼の行動を合図に、灰の香りを纏った糸術使いが周囲に張った糸を強く弾く。
幹に繋がれた太い魔力糸が瞬く間に音を運び、暗闇へと消える。
数拍後、遥か遠くで響き渡った破裂音――それを皮切りに、周囲を囲んでいた蟲の足音と気配は徐々に遠ざかって行った。
「はー、間に合って良かった。あの数を相手に、よく無事だったね」
「ご、ごめんなさい……」
「どうして謝るのかなぁ、大健闘だって言ってるじゃないか」
合流した一行は、仕切り直しの為に廃墟から離れて陣を組むことになった。針鼠は謝罪を受けて背針をもさもさと動かす。気まずそうにする少女の足を揉みながら、テーピングの用意を始めた。
「状況から、何が起きたかは予想できるよ。派手な行進の跡片付けまで気が回らなかったんだろう? 過ぎたことは仕方がない。言い出した本人も反省してるみたいだしね」
視界の端には正座をするクリザンテイムの姿がある。
ツァツリーの手当てを受けるジェムシは、痛みに顔を歪めながら部下への必死のフォローを続けていた。
「同調してしまった私も悪いわ」
「それを言うなら
「……走って疲れただけ。何処も捻ってない」
「それはよかった。そういうことなら、動きを補助するだけにしておこう」
少年は丁寧な手つきで、ラエルの足にテープを巻く。
緊張していると見抜かれたのか、思うように会話が続かない。ここで意地を張っても空回りしてしまいそうで、ラエルは口を噤んだ。
そうして無言でいると、こちらに剣呑な視線を送りながらトカがやってきた。どうやらラエルを睨んでいるのではなく、ハーミットの態度が気に食わないらしい。
一方の針鼠は口笛混じりにラエルの足にテープを巻き続ける。無言の応酬の内に根負けして、トカはわざとらしく肩を落とした。
「……ラエル。何度か魔術を使ったみたいだな、調子は?」
「レーテさんの補助ありきだけれど、どうにかなってるわ」
ラエルは言い、自身の手のひらと首元を覆う黒色に目を留める。
トカはラエルの様子に神妙な顔をした後、首を振りながら踵を返した。
「
「……ええ」
弟子の身が無事だと知って、次はグリッタの腰を診に行くらしい。テーピング中で身動きが取れないラエルは、その間にできることをする。
身体を巡る魔力に滞りがないことを確認して、灰色のケープを羽織り直す。普段とは角度を変え、胸元ではなく右肩に紐を巻きつけると留め具に結んだ。
これで、短剣を結んだ右腕が自由になる。
ラエル自身に武器を扱う技術は殆どない。目に見えるように
ラエルは再び喉元の慣れない感触を探り、黒い袖に覆われた腕を見た。
目の前でテープを巻く金髪少年の首元にも同じ黒色がある。
ラエルが現在身に着けているインナーは、ハーミットの普段着と同じものなのだ。
ラエルはそれとなく腹部に手を当てた。
痛みは既にないが、ほんの数日前に穴が開いていた場所だ。
(あの蟲爪は、防御魔術を編み込んだワンピースを貫通した。一枚増やしたところで大して変わらないとは思うけれど……ないよりはマシでしょうね)
いま身に着けている黒手袋も血染めになった手袋の代わりで、こちらも針鼠から借りたものだ。出発前にトカやクリザンテイムがラエルの手に合うよう調整してくれたのでサイズはぴったりである。
ただし、この手袋には魔力のコントロールを補助する機能がついていない。魔力を流しても問題ない素材で作られただけの、ただの革手袋だ。魔術の発現は気合でどうにかするしかなかった。
黒革がカンテラの橙に照る。
くすんだ淡い光をもう片方の手で隠すようにして、静かに握り込んだ。
ラエルのテーピングを済ませ、ハーミットは顔を上げる。
黒髪の少女は服を正していた手を止めて、祭壇がある方角へ目を向けていた。
蟲の糸に絡めとられて歪んだ高い木々の隙間――ひたすら遠くに視線を投げている。
「……何を考えてる?」
「
「成程、威勢は良し」
振り返らないラエルにハーミットは微笑む。
徐に鼠顔を被り直した。
「行こうか」
「ええ」
三日ぶりに訪れた洞窟の周辺は、橋を落とされたことによる景観の悪さと相まって物騒な雰囲気を醸していた。
無風の中、足音と共に生まれた波だけが対岸へと渡っていく。
暗い水底には、初日に呪剣で斬られた
……ここまで来て、追っ手は暫くの猶予をくれたようだ。誘い込みの漁をされているようで気分が悪いが、今は進む以外に手段がない。
「にゃあぁ」
「!」
声に振り返ると、ここまで姿を隠していたファレが林の影からやって来るところだった。小脇に抱えているのは伝書蝙蝠――だが、どうやら目を回している。ラエルは苦笑しながらノワール引き取った。
確かファレは、ここに来るまでの道中をかなりアクロバティックな方法で移動していた……獣魔法の効果範囲が狭かったからとはいえ、本調子でない伝書蝙蝠に苦行を強いることになってしまったようだ。
「ファレ、確かに渡した。じゃあねラエル」
「ええ。気を付けてね」
「にゃぁ」
最後にひと鳴きして、ファレは再び林の影に姿をくらませた。
直前まで目で追っていたというのに、既に気配を感じられない。あの巨大な弓と長い鍵尻尾をどう隠しているのかと不思議になるくらい鮮やかな隠遁術だった。
林は静まりかえっているが、
対岸へ渡る準備を進めるレーテとトカを尻目に、グリッタは長剣を引き抜いた。隣のクリザンテイムも己の得物である槌を手にする。
作戦会議の時点で、ファレを始めとするこの三人はここに残ると決まっていた。祭壇へ駆け込むラエルたちの退路を確保するために、最も危険な役目を引き受けた形になる。
グリッタはおびただしい数のカフスがついたマントを纏い、草葉を踏みしめた。
「大船に乗ったつもりでお兄さんに任せろ!! と言いたいところだが不安はある。主に腰だ。戦闘中に術が解けたらと思うと正直気が気でなかったりする」
「……あまり期待はしてくれるなよ。私は紙装甲だからな」
「はっはっは! 冗談きついぜトカさんよぅ!」
トカの脅しにカフス売りは空笑いして、額に浮かんだ汗を拭った。
「ハーミットくん、ラエル嬢ちゃん。キー坊を頼む」
傍から見ても、その手が震えているのが分かった。
冷や汗か脂汗か、額を伝った汗は少なくとも気持ちがいいものではなかったのだろう。
グリッタは奥歯を鳴らすと共に、無理やり口角を上げて固定する。
そこまで真似をする必要はないのだと、ハーミットは言いかけて口を閉じた。
カフス売りに覚悟があるなら、針鼠は「一言」を付け足して送り出すだけである。
「……うん。グリッタさんも、クリザンテイムさんに迷惑をかけないように」
「はははははそう来るか!! やっぱしお前さん、お兄さんがしでかしたこと相当怒ってるなぁ?」
ハーミットとラエルはトカとともに、レーテたちが居る方へ戻っていった。グリッタは震える手を誤魔化すように握っては開いてを繰り返して、ペアとなる大男に腕を振る。
クリザンテイムは無言のまま、黒いフードから僅かに覗いた八重歯と口角を釣り上げた。
「…………」
「――はっ。すまんすまん。お兄さんは逞しい賊とは違ってただの旅商人なもんで、こういう状況は軽口を叩いてないとやっていられなくてだなぁ。これでも真面目、大真面目なんだ。だからそんな顔で凄まないでくれないか、クリザンテイム」
「……」
「おう、よろしく頼むぞ槌奮い。このカフス売りの生存は何気にお前さんにかかっていたりするんだからな!!」
「……」
「なんだか目を逸らされた気がするんだが!? 不安だなぁ!?」
ぐるる、とクリザンテイムが喉を鳴らす。グリッタはビビッて一歩距離をとった。
ラエルはその様子を眺めながら水を摂る。第二大陸で旅商人をしているというグリッタの経歴は、もしかすると凄いことなのかもしれないと思った。
「ちょっとだけ心配していたのだけど、杞憂だったみたいで良かったわ」
「ああ。なんだかんだで意思疎通できているあたり問題なさそうだ。さて、この場はグリッタさんたちに任せて、俺たちは祭壇に居る
これが最後の休息になると知っていながら、一行は淡々と計画の確認を続ける。
ラエルは何度も指折り数えて、どうにも覚えられそうにない事柄を口元で繰り返す。
ハーミットは「全部覚える必要はない」と、やんわり釘を刺した。
「心配せずとも、悩んだことも考え抜いたことも決して無駄にはならないさ。全力を尽くすために必要なことは全てやりつくした。いま必要なのは、前を向く覚悟だけだよ」
「当然の様に、生き残る前提で言うのね」
「君だって死ぬつもりはないだろう?」
「否定はしないけれど」
「それなら良かった。頑張って貢いだかいがあるね」
「……腑に落ちないわね。私が貴方に影響されてるってこと?」
『です。そうじゃなきゃノワールが困るです』
ふと頭に響く声がして少年少女は顔を見合わせた。
まだ気分が優れないのか、伝書蝙蝠からの
二人は暫く「きょとん」としていたが、やがて堪えきれずに黒い毛並みを撫で回した。
黒い毛並みに刻まれた眉間の皺は最後までとれなかったが、伝書蝙蝠は撫でられている間抵抗することなく、むしろ満足げな表情でラエルのポーチに足を留めた。
「――
「――
「――『
ジェムシ、レーテ、トカの詠唱が聞こえて、二人は顔を上げる。
静かだった水面に尖った土の柱が幾つも突き刺さったかと思えば、それを土台にタイル状の『
対岸まで水上を埋める、橋に似た半透明の足場の完成だ――今回は土台と補強がしっかりしているので『
ハーミットは足場の強度を確認すると、実に満足そうに頷く。
そしてノールックで、隣に立っていたラエルの腰と膝裏を抱き寄せ持ち上げた。
姫抱き、ともいう。
「?」
急な重心の移動に、ラエルの腰元で伝書蝙蝠が悶えた声がした。地面から離れた足がぶらりと宙をかく。
状況を理解できず紫目を丸くしたラエルに対し、ハーミットは何故かにっこり笑った。針鼠の靴もまた、地面から離れる。気づけば、できたばかりの足場の上を走っていた。
「えっ、なに? 自分で走れるわよ?」
「念には念をってね」
「全然説明になってないのだけど」
「洞窟を塞いでる壁を蹴り砕くから、舌噛まないように掴まってて」
「は!?」
ラエルが再び疑問を呈する前に、対岸に辿り着いたハーミットは勢いを殺すことなく身体をひねり、蹴りを壁に叩き込んだ。
その気になれば
派手な音がしそうな割には静かな破壊行為で――それもそのはず、針鼠の手元にはちゃっかり防音魔法具が握られているのだった。次の瞬間には仕舞われてしまったが。
ラエルは目を丸くする。
それは、これまでの彼の振る舞いと比べても確かな怒りを感じさせる蹴りだった。浮島でハーミットが言っていたことを思い出す。確か「お礼参り」がしたいとか、なんとか。
……そういえば、これはあの夜にも思ったことだが。
この針鼠はどうして、ラエルのわがままに付き合ってくれているのだろうか。
(あの夜に言われた言葉が全てだとは、どうしても思えない)
黒髪の少女は地面に下ろしてもらって、しかし浮かんだ疑問を振り払う。
(全部終わって無事で居られたら、改めて聞けばいいか)
「 」
「トカ殿、気をしっかり! 置いて行かれますよ!」
主にラエルが姫抱きにされたことについて衝撃を受けたトカは、レーテの一喝により正気を取り戻すとラエルたちの後に続いた。
ジェムシとツァツリーは針鼠の行動を見て、視線を交わす。
気まずそうにジェムシが肩を竦めるのが先だった。ツァツリーは無表情のまま口を開く。
「私たちも続きましょうか」
「そうだな。三人とも、この場は任せたぜ!!」
ジェムシは半ばヤケクソに叫びながらツァツリーの足元を束ね、右腕で抱え上げるとラエルたちの後を追いかけた。
最後の最後に良く分からないものを見せつけられることになったグリッタとクリザンテイムは、顔を見合わせ肩を竦め合うのだった。
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