301枚目 「見敵」
前回のあらすじ。
大鎧蜘蛛が座す祭壇へ向かう道のりをラエルたちが移動する間、
しかし糸術使いが早速フレンドリーファイアを引き起こした。
接敵から着火まで秒の出来事である。
モクモクと煙を上げた
「――っ、こっの野郎!! 俺まで巻き込んで殺す気か!?」
「何を言う、あれしきで死ぬわけがない。君は今代の四天王なのだろう?」
「貴方の時代の先人たちと比べないで欲しいなぁー!? 俺、魔術、まったく使えないし!! できることに限りがあるんだけどぉー!?」
「ふむ。それは失敬した」
「反省してないよなぁ!? 反省して欲しいんだけどなぁ!?」
怒りと理性がせめぎ合う状況で、針鼠は怒声を飛ばしながら蟲を切り伏せていく。意識を切り替えながら戦闘を続けていくと、不本意ながらトカの意図が読めてきた。
フレンドリーファイアの後から、
(たぶん、俺自身に
再び振り向きかけた身体を律して、無駄を切り捨てるように思考を断つ。
いま必要なのは「時間と余裕」だ。ハーミットとトカはそれを作り出すためにこの場にいる。
ハーミットは丸石の坂に容赦なく足を置く。しかし足場にされた丸い石は揺れも転がりもせず、ただ少年の足を受け止める。丸石に触れていないつま先と踵まで、少しも体重を逃すことなく――石は、踏切りに耐えきれず砕け散った。
「『
再び、腹の底に響くテノールが降る。
上方。細い骨ばった指が指揮でもするように明後日の方角を指し示したかと思えば、次の瞬間にはハーミットの足場が
丸石の上に目の細かい糸の板が現れては消える。礫だろうが丸石だろうが関係なく、少年の足は地面と平行に形成された
背針を乱しながらハーミットは全身に鳥肌が立つのを認識した。嫌悪からのものではなく、糸術使いとしてのトカの力量を目の当たりにして、である。
(集落郡の間にはどこも川の跡があった。
水が苦手なら、水場には理由がない限り近寄らないだろう。だが、得物を追いかけるという目的があればどうだ――得物が居れば、いくらでも寄って来ることは初日の追いかけっこで実証済みである。
河原の周辺は視界を遮る木々が少ない。ここで一方的に足場の安定性を確保できれば、林の中で囲まれるより遥かに対処がしやすくなると踏んで、二人は
ハーミットが振り下ろした剣でいなした蟲爪を、返す手で弾きあげる。身体を浮かせた蟲の首に突きを刺し込むと、剣ごと蟲の身体を振り回し遠心力で頭を切り飛ばした。
魔剣に綴られている『現状維持』の呪いは生物全般に通用する。回復を阻害された
(とはいえ、すばしっこさは土の上じゃないだけまし、って程度だな。でも今は十分だ、これなら俺の目でも追える)
この場所なら水に沈められる心配もない。加えて今は夜。体温が上がりやすい装備であるハーミットには現状以上の好条件を用意できない。
(問題は、賊を相手した時と違って「蟲の猛攻に終わりがあるかは分からない」ってことだけど)
居合わせた人員で最大限の力量を発揮できるように配置した自信はあっても、戦力不足と不測の事態への不安は募る一方だ。
それでも、各々ができることをするしかない。
「……頃合いかな!」
なので、壁が厚くなりすぎた時の対応も打ち合わせで決めていた。
短い詠唱と共に『
火種が砂利の上に落ちる。
ひとつ。ふたつ――少年はできる限り
「『
再びの詠唱。周囲に張り巡らされていた魔力糸が真黄色に光輝く。
赤熱した魔力の流れは糸に沿って瞬く間に黄色を塗りつぶし、火花をばらまきながら眩しい光を放って一点に収束――
一度目より火柱の威力がある理由は、先ほど少年が地面に置いた枝を巻き込んだからだろう。蟲殻が降り注ぎ、河原が黒く塗り潰されていく――が、
爆音で鈍くなった耳よりも早く肌が気配を感じ取る。後方からの切り裂きに対応し、ハーミットは巨大な蟲爪を関節付近で切り捨てた。
蟲を釘付けにするには。ひたすらに斬り続け、一報を待つしかない。
(大丈夫だ、上手くいく)
暗示の様に言葉を反芻して、ハーミットはそこから喋ることをしなくなった。
無心に蟲爪の猛攻を捌く少年を、糸術使いは全力で補助する。
ラエルは走りながら、走馬灯のように回想する。
「そうだ。これは大事なことだから言っておくけど」
作戦会議がいち段落して、ツァツリーと入れ替わりに数人が小屋を出る準備をしたとき。一瞬だけ揃った全員に対して、針鼠は勿体ぶることなく口を開いた。
「今回の作戦。責任の所在は、魔導王国四天王『強欲』ハーミット・ヘッジホッグにある。……この言葉の意味だけでも、理解しててくれると助かる」
穏やかな口調だったが、有無をいわせない圧があった。
(――責任、私に被せてくれてよかったのに)
小言が口をつこうとするのをぐっと堪えて、無理無茶の元凶であるラエルはツァツリーの背を追う。先を行く賊の三名は露払いに注力し、ラエルたち四名は切り開かれた道を全速力で前に進んでいた。
中州の浮島からこちらへ渡り、幾つも丘を越えて今に至る。
ラエルも体力には自信があるほうだが、ここに来て蟲の妨害が激しくなってきた。五つ目の集落跡までこのペースを保つのは厳しいかもしれない。
(……私は、細かいことを考えるのが苦手だから)
ラエルは、針鼠が何を思ってあのような指示をしたのか分からない。最終的には二十三案くらいになった作戦の分岐を把握したか、という意味でも一夜漬けなので不安しかない。
それでも、この足が辿り着くべき場所は決まっている。
ラエルひとりの決断と覚悟――その為に、この場の全員を巻き込んだ実感が今更になってこみあげてくる。
そして彼女にとって不安を通り越した「怖さ」は、「存在しない」ものなので――震えた指先を固く握り、顔を上げた少女の表情は、獣に似た笑みなのだった。
家屋の屋根から
ラエルの後方には防音魔法具を維持しながらついてくるレーテと、グリッタがいる。絶妙に発現範囲から出ないよう走っていたツァツリーが、ラエルの足が止まったことを確認して眼前のアダンスに止めを刺した。
「そろそろ三つ目の集落跡を抜けます。今まで通り賊の三名は後追いで来ます。ラエルさん。先の二か所と同じように。思いきりやってください」
「ええ」
叫びながら追いついてきた大人二人が集落を抜けるタイミングで、ラエルは深呼吸しつつ地面に手をつける。
「『
『
「よぅし、私の出番だね!!」
レーテが声を上げ、防音魔法具がグリッタにパスされた。
柱になりかけの土塊を飛び越えて、林に出たレーテがラエルに手を伸ばす。黒髪の少女は魔術発現の途中にも関わらず、生身の手のひらで結界術使いの手を握り返した。
そうすると途端に魔術の揺らぎが収まり、目の前に壁を作るように安定した土柱の生成が行われた。集落郡内から飛びかかろうとした
鼠返しのような形の壁を集落群向けに形成して、ラエルはレーテの補助を受けながら発現を止める。しばらくして息を吐き出した。
これは魔力の譲渡や共有ではない――ラエルが発現した魔術の操作権を、その場でレーテに
魔術暴発を収めるためには魔力を制御する技術が必要になる。だがこればかりは鍛錬で身につけるしかない。その上で、ラエルの魔力制御は不安定なままだ。
しかし「魔術発現・解術」という現象の仕組みに限れば、他者が横やりを入れて発現を打ち消すことができるように、発現中に補助を受けることも理論上は可能である。
現に、生活魔術の習得や子どもへの指導の際には親や師が制御の補助を行うことは珍しくない――ラエルはそうした基礎知識を、ネオンに教わったばかりだった。
「他者に命を握らせるという高いリスクがあるから、あえてやらない」というだけだ、と。
不可能でないなら、
結果。ここまでラエルは三つの集落跡を土壁で塞ぎ足止めにしてきたが、一度も暴発を起こしていない。発現後の体調の悪化もなく、魔力も殆ど消費していなかった。
グリッタは二人の周囲を警戒しながら、丸くした眼をバンダナの影に隠す。
(キー坊がイシクブールで色塗りした時だって精度と手際に驚いたもんだが、魔力制御は魔術の基礎である土系統の熟練度に準ずる。……できるやつの自己評価をまるままは信用できんな)
補助、と柔らかい言葉を使っているが、レーテがしていることの実態は「魔術の乗っ取り」、「奪った魔術の返却」、「他者の魔術の制御」である。
「乗っ取り」を行うには、様々な魔術に精通していて尚、相手の魔力を圧倒できるほどの魔力量が必要だ。それでいて被術者であるラエルに負担を感じさせていないとなると……どう考えても、あの一瞬でこなすには頭がパンクする内容である。
そんなことができるのは導士とか導師とか、それなりの地位に居る魔術士の話では?
しかしカフス売りは首を突っ込むのも野暮だと思った。そもそも彼には立場というものがあるので、軽々しく問うべきではないと判断した。
グリッタは長剣を構え直すと、土壁の横から這い出た
――隙を突き、どこからともなく矢が飛来する。
グリッタの傍を掠め蟲の首を穿った矢尻は明らかに石製だった。グリッタは咄嗟に残った脚を斬り飛ばし、土壁の向こうへ放り投げる。
残心をとりながら周囲を観察すると、離れたところで三毛の鍵尻尾が枝を踏み台に林を走って行くのが見えた。
追撃が無いことを確認してグリッタは体制を整え直す。聞こえるかも分からないが、口早に礼を言う。すると着地の一瞬、ファレの尻尾が手を振るようにした。どうやら聞こえたらしい。
(いやぁー、やっぱ第二出身はおっかないな!)
味方だと思えば、心強い。と三度胸中で繰り返し、カフス売りのグリッタは
越えるべき集落跡は、残り二つだ。
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