290枚目 「二重核」


 レーテが二回目のお茶を淹れて戻って来ると、トカとツァツリーが眉間に皺を寄せているところだった。


「……二重核ダブルスロットで雷系統を扱う人族なんて初めて見ました」

「ダブルスロット? なんだいそれ。許容核スロットなら分かるが」


 ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げるレーテ。手元のお茶はラエルたちが持ち込んだものであり獣除けの風味は微塵もしない。徐に口へ運んだお茶にひと息つく。器を魔法で温めるレーテに、ツァツリーは説明役をかって出た。


「……人が魔術を発現するには『術級や術式に応じた魔力配分』と『魔術系統ごとの術式構築の差』と『魔術系統ごとの許容核スロット数』。主にこの三点に留意しなければなりません」


 許容核スロットは、人が魔術を発現する際に使用するキャパシティの目安だ。


 例えば汎用六族の場合。土系統は一、水系統は二、火系統は三、風系統は六、雷系統は十二とされ――系統が進むにつれ必要な許容核スロットは増加する。


 一般的には卓越した術者であるほど、才がある者ほど制御できる許容核スロットは多く、魔術発現が有利になる。ただ、魔力消費と比例して使用する集中力と魔力操作の難度は上がっていく。これは魔術陣を書く場合も変わらない。


 以上が魔術を使用する際には逃れられないルールなのだが……実は誰もが無意識的にやっている操作であるため、学院で専門的に学ぶか教わるかしなければ意識もされないというのが実情だ。


 例えば魔導王国だと、カリキュラムや指導マニュアルから許容核スロットの説明自体がごっそり抜けていたりする。魔力に富んだ体質と文化で育つ彼らは、多くの場合理論を知らずとも魔術を扱うことができるのだ。


 その証拠に、レーテは説明を受けても実感が沸かないようすで首を傾げた。


「魔術は感覚で使うものだから、人に教わらねば意識もしないことだろうね」


 ツァツリーもその辺りは同意できるのか、頷きを返す。


「ええ。魔術が生活の一部となれば尚更ですが。ここで問題です」

「も、問題?」

「魔法具や魔法武具に頼らず個人で魔術を発現させる際、使用できる許容核スロットは最大幾つでしょうか」

「……手指の数、だろう?」


 レーテは学院時代の記憶を掘り返しながら答える。慌てることなく、お茶を器に注ぐ。


「そうですね。手指の先というのは視界に良く入り『在る』ことを強く意識できる部位の一つです。基本的には『十』が上限ということになりますが」

「……」

「ところでラエルさんはトカさんたちに禁じられたことを。これまでずっと守ってきたらしく。今まで魔法具の補助を受けずに魔術を発現してきたと聞きました」

「……ん?」


 レーテは思わず聞き返してしまった。

 危うく、なみなみと注いだカップから貴重な紅茶が溢れるところだ。


「つまりラエルくんはこれまで、杖や魔術書……許容核スロットの上限を増やす魔法武具の類を使用してこなかったと……いや、でも彼女はさっき『霹靂フルミネート』を発現させたじゃないか? 普通は身体のどこかしらに許容核スロット付与の魔法具を身に着けているものじゃあないかい?」

「雷系統を扱うなら普通そうですが。私の目で見る限り初撃は魔法具も螺鈿武具ミスリアルムも使用していませんでした。最初のあれは光らせただけですね」

「光らせていた、だけ……?」


 表面張力で保たれていた水面が最後の一滴で崩壊する。


 レーテは眉間に皺を寄せると、落ち着いた様子で応急処置をして顔を上げた。こぼれてしまった分は諦めるとして、注ぎすぎてなみなみとした水面に口に運ぶ。


「……繰り返しますが。雷系統の核数は十二・・。十では足りません」


 ツァツリーは動じず丁寧に指折り数えると、二つ指が足らないジェスチャーをする。


「そこで二重核ダブルスロット――二指分の核を一指にまとめて扱う技術の登場です。一指維持するだけで相当精神力を使うものですし。デメリットが重いので一般的な手段ではありませんが」

「……デメリットとは?」

二重核ダブルスロットを使用した魔術の発現中は他の魔術を同時発現できません。二核の水魔術を一指でひとつだけ使うより。二指でひとつ発現して残りの八指を活かす方が効率的でしょう?」


 白魔術士は淡々と指を振る。


 魔術師にとって魔術の同時発現を封じられるのはかなり厳しい。


 例えば白魔術師は解術宣言デスペルコールや回復術と並行して患者の体温調節や診察の魔術発現を同時に行うので、魔法具の許容核スロット補助が必須である。

 黒魔術師が扱う魔術だって詠唱中に自らを守る盾を用意することを考えると、やはり魔法具の許容核スロット補助が必須なのである。


 共通するのは敢えてまで二重核ダブルスロットを使う余地がない、ということだ。


 六指必要な風系統すら二重核ダブルスロットで発現するにあたってのメリットが「片手で魔術が使える (ただし他魔術と同時発現はできない)」だけなので、このデメリットの比重はかなりのものである。


「こうなると雷系統だって装具や武具で許容核スロットを補助した方が安全です。通常二指に念じる情報量を一指にまとめるわけですから。魔力圧で導線にも負荷がかかりますし」

「踏んだり蹴ったりじゃないか」

「ええ。なので好んで使われる機会はありません。発現時の見た目はスマートかもしれませんが。実用的でないカッコつけなんて空しいだけでしょう?」


 なんだか身に覚えがあるかのような言いぶりだったが、二人の視線に対しツァツリーは無表情を貫いた――若気の至りは、誰にでもあるらしい。


「だが、雷系統の魔術を単独で発現できるようになるというのは……時と場合によってはメリットが勝る場合もある。事故や事件に巻き込まれ荷物を失った場合や、そもそも十全な装備が用意できなかった場合などだな」


 糸術使いは飲み干した器を手に嘆息する。


 ラエルの暴発体質を極限まで抑える方法が雷魔術の発現だった、ということも二重核ダブルスロットの習得に踏み切った理由だったのだろう。

 トカはその辺りの説明を省くことにしたようだが、レーテはイシクブールで聞いていたし、ツァツリーはラエルの口から聞いて知っている。


「彼女は記憶喪失の影響で魔術の固定観念がなかった故に、あの精度の二重核ダブルスロットで雷魔術を放てるまでになったのだと私は思う」

「ふむ、それでは何故魔法具禁止の教えを? 先に言っていたラエルくんの才能というのは許容核スロットと関係がないのかい?」

「……ああ、関係ない」


 より激しくなった組手と、時折放たれる魔術を眺めながらトカは言う。


「暴発と付き合わねばならない体質にもかかわらず黒魔術を専門とし、好奇心のままに行動する悪癖をそのままに今に至るまで生きている。下手に魔法具を扱い全能感に囚われれでもすれば何をしでかすか――『才がある』とは、そういうことだ」


 レーテはお茶を飲み込む。無言のまま得心がいった表情で器を置いた。


「ふむ。どうしてラエルくんがハーミットくんのペースに着いて行けるのか、ちょっとだけ分かった気がするよ」

「……トカさんは『口ではこう言っているが本心は違うこともある』の典型ですからね。ラエルさんにとって強欲さまは感情表現が分かりやすくて付き合いやすい相手なのかもしれません」


 黒布のツインテールが揺れるのを横目に、トカは明らかに眉と口角を下げると不満げな顔で小屋の外に視線を投げ直す。黒曜の眼が僅かに歪められた。


「あら。苦い顔をしますね」

「それはまあ、そうだ……干渉のしすぎは良くないと思っているが、なかなか思うようにはいかないな。しかし、この世には様々な人間が居る。見極めないままというのは……」

「ハーミットくんは、私から見ても類まれな善人だと思うけども?」

「私は彼女の親ではいられないが、放任するわけにもいかないのだよ。私が耐えられない」

「気持ちは分かるとも。私の娘たちもなかなか癖のある婿たちを迎えた奔放ばかりでねぇ」

「……貴方とはいずれ、酒を酌み交わしてみたいものだな」


 トカは言って、空になったばかりの器に口をつけた。







「――『点火アンツ』!!」


 金髪少年へ向けて発現した火の帯は生成と共にナイフの腹で弾かれ消える。飛んだ先の土に焦げた穴が開いた。魔力の残り香と焦げ臭さ、その匂いが鼻に届くと同時に目の前を刃物が掠めて行った。


 振りあげられたナイフがそれだったと気づく頃に、手首を返し銀色が降って来る。雨より速く、音もなく。


 ラエルは咄嗟に身を捩って躱し、追撃したハーミットの肩に手をついて飛び上がった。


 両腕を空へ向ければ、夕焼けに煌めく水塊が次々と槍の形をとる。


「――『流水のストリーム・斧槍ハルバード』!!」


 降り注がんと差し向けられた水槍に琥珀の瞳は動じない。


 ハーミットはその場を蹴って飛び上がると、宙に浮いたラエルの上に位置取る。水槍のしぶきに視界を遮られていた紫目は見開かれ、彼女の腹に蹴りが入った。


「ぅ、ぐ」


 ラエルが蹴り飛ばされた先には芝生がある。着地と共に抉れた草葉を気にする余裕はない。

 おおよそ本気ではないそれは、ストレンの飛び蹴りと同じくらいの威力があった。


 身体を庇うために使った腕がじりじり痛む。


(……いやぁ、本当に強いわね……)


 それはそうだ。彼は一般人でもなければ一般的な軍人でもない。魔導王国の四天王・・・である。つい最近まで白砂漠で遊んでいた黒髪の少女ひとりが勝てる相手ではない。


 ハーミットが奮うナイフはラエルが奮う物と殆ど変わらない。以前少年自身が口にしたように、ベリシードは二人のナイフが重さすら同じになるように作ったのだろう。

 それでもひとつ、確実に違うことがあるとすれば――ラエルは螺鈿武具ミスリアルムとして使い始めたのに対し、彼はでラエルのことを圧倒しているということだった。


 無魔法『魔法の無効化マジックキャンセル』。鼠顔を被る四天王は魔術が使えないが、その背針やコートには魔術吸収や魔法耐性が付与されている。

 魔法具の使用すら魔石を砕かねばならない彼だが、そんなことがハンデになるなら四天王に任命されてはいないだろう。


(私には、手加減をする余裕なんてない)


 たかが思考容量が増えて魔術発現に余裕が持てるようになった程度で「届くかも」だなんて、少しも考えていなかったことだが――それでも相手は「魔術が使えない人族」であるはずなのだ。


 ああ、こんなにも遠い。


 逆光を背に黄土色のコートがひらめく。蟲の糸よりも細く滑らかな金の髪。

 黒く塗られて見えない表情と仕草が、ハーミットの次の手を隠す。


 光が、ラエルの視界を潰す。


「っ――!!」


 右腕に巻きつけたナイフは鮮やかな青を放つ。焼けた空に混ざり、その瞳に似た鮮やかな紫に唇を噛む。

 何度も擦りむいてぶつけて痣ができただろう足と腕を庇うことなく、ラエルは拳を握り込む。


 踏み込みがうまく行った。距離を詰めるのも、前よりずっと綺麗に身体を動かせているはずだ。明らかに砂漠の砂を踏むより速くて、きっとバクハイムでツァツリーと尻尾取りをしていた頃より軸がぶれていない。


 魔術を発現させると見せかけて、空の左手で少年の胸倉を取る。外側のコートに幾ら魔術を放とうが彼にダメージはないと、分かっている。


 狙うなら内側だ。

 あの島で、少年が怪魚にしたように。


 ハーミットは掴みかかってきたラエルに琥珀の眼を向けて、身体を後ろに倒した。


 時間制限があるん、だったか。そんな思考はラエルの中に残っていない。

 少年の視界からは見えない少女の右腕の方から「ばちり」と耳につく音がした。


 詠唱の為に口を開いた黒魔術士の顔が、少年の素手の右手で鷲掴みにされる――あの逆光の中、手袋を外していたのか。


 しゃがみ込んだ体制から上体を土と平行になるまで倒していたハーミットは、もはや空気椅子とも呼べないほど仰け反ったその体制から片足を浮かせ、少女の右足を払った。


 魔術を封じられ、軸足を失い、肩から崩れ落ちたラエルの身体は叩きつけられることも転がることもなく少年の脚に受け止められて、やがて地面に背が着けられる。


 丁度、日が沈む頃だ。


 ハーミットが詰めていた息を吐く。


 もし彼が泳げたなら、いったいどれほど呼吸が保つだろうと想像するくらいには深く長い息だった。


 白パンのような頬が上気して、手袋を外した右腕までが赤く染まっている。

 全身のあちこちに泥をつけた少女とは対照的に、汗だけが流れ落ちる綺麗な肌だった。


 無意識に皺を寄せたラエルの眉間を、ハーミットは右手指の親指でぐりぐりと解した。普段は温かく感じるその指が冷たく感じられるのは、ラエルの熱が上がっているからだろうか。


 ……どうやら、状況にかこつけてはしゃぎすぎてしまったらしい。


 ハーミットはそのまま地面の上に座り込むと、抑え込んでいたラエルの肩を解放する。少女はうねる黒髪に土が絡むのも構わず横に転がって、むくりと半身を起こした。


 黒髪の少女は顔についた土を拭って、泥がついた服に肩を落とす。

 ハーミットは息を整えながら、ラエルの手首に残された熱傷痕と塞がったらしい脇腹のあたりを眺めていた。


 これだけ動いても彼女の傷が開く様子はない。完治したというラエルの言葉も、診断も、間違いないということだった。


「はー、つくづく思うけど白魔術って凄いよね。例え俺がこの場で君の自由を奪ったとしても治せるってことだろう?」

「へぇ、そうするつもりだったの? こんなに疲れてて動けない私に追撃を?」

「割と二日前まではそう思ってたよ。なんなら今朝まではそのつもりだった」

「まさか、置いて行くつもりだったの?」

「……ああ、うん。そうだよ」


 適当に相槌を打ったハーミットがふてくされた顔を上げてみれば、ラエルは髪に絡まった葉を取るところだった。髪の束を振れば砂や土が落ちる。少女が『乾いた川浴セイシキ』を唱えるまで時間はかからない。


「何よその顔」

「なんでもないよ。……それにしても」


 少年の声がやけに明るいものになって、それを聞いた少女の動きが止まる。

 乱れた髪を直しながら、濁った琥珀は紫目をじっと見つめていた。


 ラエルは引きつった笑みを浮かべて視線を逸らす。


 しかしハーミットはラエルの急なわがままに付き合ってくれたのだから、彼の言い分もできるかぎり聞かねばならないか――そう考える間に、まんまと距離を詰められていた。


「最後のやつ、自爆技だよね? ツァツリーさんに頼んでまで叩き込んでもらったはずなのにどーして考え方が変わんないかなぁ……?」

「ち、違う。あれは自爆技とかじゃないわ! 『霹靂フルミネート』とか『紫電シデン』とか、魔術思考に余裕ができた状態で発現させたらどうなるのかなぁーって、試してみたかったのよ!」


 手当たり次第に弁明を投げつけるラエルだが、論理的でない回答がハーミットを納得させられるわけがないのだ。

 怪力であると知っている手のひらが静かに少女の頬に添えられる。今しがた頬を鷲掴みにされたばかりのラエルは引きつる喉で息を呑んだ。


魔力補給瓶ポーション飲んだからってばかすか中級魔術使った挙句もう一発『霹靂フルミネート』ぶっぱなすつもりだったのか君は? というか『紫電シデン』はまだ使ったこと無いだろう、あれ上級雷系統じゃなかったか? こんな辺境で血中毒になる気かな!?」

「正論を言う時は本当に元気になるわね貴方」

「君も弁明するときは割増しで元気だよね!?」

「っつ、ぐ、一言も二言も多いんだからっ……!!」


 こうなると掘った穴に入りたい気分である。反論に疲れたラエルはその場で膝を抱き身体を丸くしたが、そろりと視線を戻す頃にはしっかりと距離がとられていた。


「……それで、気は済んだのか? 暴れ足りた?」


 日が落ちた空を背に、少年はコートの埃を払い落としながら琥珀の眼を細める。

 少女は口にしかけた言葉を飲み込んで、視線を外さずに頷いて見せた。


 ハーミットはラエルの様子に笑んで、振り向く。


「それはよかった。それに今日は暴発らしい暴発をしなかったよね。そのナイフのお陰もあるかもしれないけど、成長の事実は喜ばしいことだよ」

「……『霹靂フルミネート』はともかく、『点火アンツ』はがっつり暴発したじゃない」

「出力とイメージ差で発現内容に差が出るのが魔術なんだろう? むしろ暴発する前提で行動してたみたいに見えたけど」

「それはそうよ、使う度に暴発している魔術だし。暴発込みで作戦を練るに決まってるじゃない」

「暴発を前提に闘う魔術師は大抵惨い死に方をするんだけどなぁ……内臓破裂、四肢欠損、導線切断、焼身。血中毒の症状なんて比にはならないからね? くれぐれも、気をつけるように」

「……え、禁止じゃないの?」

「この状況下で君を封じる術があったら、俺は既にそうしてる」


 肩を叩かれぽかんとするラエルに、ハーミットは微笑む。

 逆光ではなくなったはずの表情は灰色で、捉えづらい。


「まあ、気をつけるに越したことはない。怖くなくても、痛いのは嫌だろう?」


 かけられた言葉の意図が、優しさか、呆れか、それとも全く別の思惑が含まれているのか。黒髪の少女はその判断をするには若く、経験が足りない。


 それに、掴みどころのない針鼠の機敏を察するより「答える」方が優先だ。


 不安も憂慮もかなぐり捨てて。意思を貫く用意は整った。


「……ハーミット。私ね」

「うん」

「私にはあの人を救えるほどの力がない。でも、命を奪うことならできる」

「……」

「殺せるか殺せないかで言えば、殺せると思うわ」


 恐怖を持たない自分が強者を前にしたとき、手加減をする余裕があるか。


 螺鈿武具ミスリアルムの使い方を学びたいといったのも本心だが、ラエルがトカの話を聞いた後にハーミットと手合わせをしたいと申し出た本当の理由は「それ」を確かめるためだった。


 結果はこの通り。


 ラエルは恐怖を感じずとも痛みや苦痛を嫌う。危機感があれば反射で防御するし、反撃する。自身を遥かに上回る実力者が相手であろうと、ラエルは全力・・を出す。事実、格上の実力者であるハーミットを相手に手加減などできなかった。


 あの蟲を前にしたラエルが余裕を保てるわけがない。それは本人が一番よく分かっている。


 蟲になった彼女・・がどういう黒魔導師だったか知っているからこそ、今のラエルの力量で手加減などしようものなら敵わないことを、思い知っている。


 だから、救えない。

 ラエルの力では、到底及ばない。


「……だから、自分なりに、考えたのだけど」


 やや長い間があって、幾つかのフィラーを挟む。

 ラエルは決死の思いで続きを口にした。


「あの人、魔法瓶・・・詰めて・・・持ち・・帰っ・・たり・・できな・・・いかな・・・って」

「うん…………う、ん……魔法瓶?」


 ハーミットは一瞬考えるようにして、それからもう一度聞いた。


 それは、「念のため」の確認でもある。


 あの蟲を魔法瓶に入れ、魔導王国へ連れ帰る。

 それが一体どういうことか、分かっているのかと――問う。


 琥珀と目が合った紫目は、今度こそ揺れなかった。


 ラエルは、にこりともせず頷く。


 その回答に金髪少年は固まって、顔から表情を消した。

 お互いに無言の間があって、やがて顎に手を添えた少年が鼠顔を被る。


 足音にラエルが振り返ると、そこには手帳を手にしたトカが立っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る