288枚目 「剣身青に仄めく」


 音が、小屋の中まで響いてくる気がした。


 糸術使いは自らが壊した部屋の片隅に椅子を置いて、少年少女が手を合わせ足を打ち合う様子をじっと見ていた。お互いに殺気が無いところをみると、稽古のようにも思える。


 レーテは通訳の為に同席していたのだが、出番が殆ど無かったこともあってほっとしたようで、今はお茶くみに行っている。壊れた部屋の中に居るのはトカとツァツリーの二人だけだった。


 ツァツリーは手に起動中の防音魔法具を抱えている。ハーミットが指定した通りであれば、話し合いが終わった現在まで防音を行う必要はないのだが……。


「トカさん。よろしいですか」

「……何でも聞いてくれ、なんなら糾弾してくれても構わない」

「既に罰を受けた貴方を理由もなく糾弾はしませんが……疑問ではありますね。魔術書や杖を用いた発現の禁止もそうですが。どうして貴方は魔力糸を用いてラエルさんの治療を行ったんですか? あれを治療に使う行為自体。世界法で禁術指定されているはず」


 これは、ツァツリーがラエルの治療をする中で気づいたことだ。


 人体の内側に張り巡らされた魔力糸。蟲の巣のように縦横無尽に巡るそれらを認識して、まず脳裏をよぎったのは「虐待」の二文字だった。


(魔術の使用に魔法武具の補助を禁じることで魔力導線の痛みを速めたのでは――と。洞窟で聞いた時は思いましたが。話を聞けば聞くほど。彼がそのような愚を犯すような治療者には思えない……)


 先ほども事あるごとにラエルの命について話をしていたが、その度に彼は彼女を助けているのだ。

 食料に乏しい砂漠の地で、生死を彷徨う他人を死地から引き上げる選択を取るのは容易な覚悟でできることではなかっただろうに。


 ツァツリーの言葉に、トカは外を眺めながら口を開く。


「それはそうだ。魔力糸を使用した治療行為について禁術申請したのは私だからな」

「え」

「あの魔術は一種の無魔法だ。条件が合わなければ術者被術者共に危険を伴う……私以外の術者が再現するには難しい術式である故に、禁術というわけだ」


 糸術使いは糸を編む。発現した魔力糸はごく薄い黄色を纏い、細く撚られて編み上げられ、瞬く間に細いリリアンのような形状になる。


 綾取りの星の向こうには、黒髪を振り乱す黒魔術師の姿があった。


「……そうなるとトカ殿は、どうしてラエルくんの治療に糸術式を?」


 お茶を淹れて戻ってきたレーテ・スカルペッロに問われ、トカは頬杖を突く。


「保険だよ。今の様子を見る限り、もう必要ないかもしれないが」


 ――保険。


 もしや、彼女の体内に万が一を想定した「仕込み」でもしていたというのか。レーテとツァツリーは一瞬椅子を立ちそうになったが、トカは外を見たまま微動だにしなかった。


 茶色の虹彩は、八年近くを共に過ごした少女の成長を目に収めようと必死だった。

 糸術使いは綾取りを解き、礼を言ってお茶を口にする。


「最も今回は、治療より魔術陣・・・の修復が本命だったがな。自己治癒力を底上げし、身体能力を高める術式……ついでに強化付与術式もいくつか組んであったはずだが、ここに運び込まれた時点で殆どが破損していると分かった。相当、無茶をしたんだろう」

「……」

「……」

「治療ついでにあらかた繋ぎ直しておいたから問題はないと思うが……ん?」


 トカが疑問符を浮かべながら振り返るので、ツァツリーは開いた口を手動で閉じた。レーテの手元にあった空の盆も床に落ちて転がっていたので、拾う。


 体の中に、魔術陣を?


(そんなこと。思いついたとしても理論上不可能だろう? できたとして一つか二つでは?)


 彼が言っている通りならばそれは、ラエルの身体の内側で幾つも同時に魔術が発現しても暴発しない仕組みができているということで、それこそ術式の全てが歯車のように噛み合わなければ成立しない構成法だ。


 現在の技術では一人の皮膚に術式刻印を刻むのも数個・・が限界だというのに。

 今、この白魔導師は少女のあの小柄な体躯に幾つ組み込んだと口にした……?


「えっ……と……本人に説明は……」

「知らない方が、あの娘の助けになると思ったんだが」

「かっこつけてるように聞こえますけど何もかっこよくないですからね。同意のない施術は違法ですよ」

「そ……それもそうだな……」

「し、沈まないでくれないか、せっかく浮上してきたばかりだというのに」

「沈むのは構いませんがお待ちください。まだ答えてもらっていない質問もあります」


 飴も鞭もあたりが強い気がする。

 トカは苦虫を噛むような顔をして、それから顔を上げる。


「質問……ああ、魔法具の使用制限のことだったね。それなら、魔力導線を酷使させたくない意図も勿論あったが……」


 言葉の続きを口にせず、トカはお茶の残りを含んだ。

 何故だか神妙な顔で、肘をつく。







 ラエルの拳は軽かったが、受け流し慣れるまでに少し時間がかかった。

 ハーミットにしてみれば、このことが既に驚きだった。


 センチュアリッジでの一幕、浮島の烈火隊との走り込み、魔術訓練での魔力制御。

 草原でのグラスクラフトの操作、草刈り、蚤の市、尻尾取り――そして本村に入ってからの戦闘。

 ラエルがハーミットの立ち回りを殆ど見たことがないのに対し、ハーミットはラエルのことを監視ついでに散々観察してきたにもかかわらず、だ。意外とも思える状況である。


(侮っていたわけじゃない。正当な評価をしているつもりだったんだけどな)


 ここにきて、実力以上のパフォーマンスができているのか。


(……それとも元々は、こう、だった、のか!)


 ぱしん、と。掌で拳を受け止める音が響く。

 ラエルは無理に身体を引かず、むしろ踏み込んでくる。


 捨て身とは違う、的確に次につなげる為の動きだ。腹部を目掛け放たれた二撃目を反対の手で受け止め、ハーミットは硝子越しにラエルを見やる。


 そのまま、止めていた息を細く吐く。


「会話の余裕はある? 俺で良ければ、壁打ちの相手くらいにはなると思うけど……っていうか君、今の今までこんなに調子いいことあった?」

「確かに、調子はいいわね。白砂漠に居たときみたい。あの人が治療ついでに何かしたのかしらね」

「二日前の君、わき腹かっさばかれてたよね……?」

「そうねぇ。治ってるわよ、あれも」

「は?」

「完治らしいわ。ツァツリーさんに診断してもらったから間違いないと思うけれど」

「どういう仕組みかは知らないけど、魔術ってすごいなぁ!?」


 拳を止めていた手を開き、距離を取る。ラエルは追撃することなく、最初の位置まで戻った。

 少女の黒髪が焼けた肌にまとわりつくようになびいている。それがどうして、まったく動きづらそうに見えないものだから――少年は思わず笑って、身震いした。


「さて、予定していた手合わせとは随分違う内容になってるっぽいけど。どうかな、君の目的は達成できそう?」

「……」

「申し訳ないけど、ジェムシさんに色々聞いたんだ。俺たちがトカさん追っかけてる間に、フランから渡してもらった魔法武具の使い方を習って、練習してたんだって?」

「……ごめんなさい。他の白魔術師が居ない状況で、ツァツリーさんに武器在りきで教えを乞う様なことをしたわ」

「いや、いい。君にできることを見抜けなかった俺にも否がある。それに、君は俺のわがままに付き合ってくれているからね」


 ハーミットは言いながら茶革の手袋に仕込んだ魔術を発現させる。指先から赤く染まり現れたロンググローブは肘までを覆い、籠手の役目を果たす。


 ラエルは息を呑む。

 針鼠が赤手袋を着用するのは決まって戦闘時だと、知っている故に。


 赤い指が丁寧に開かれて、少年は片足を引くと掌を差し出した。

 まるで舞踏会で出会った紳士が、淑女へそうするように。


「俺にできることがあるなら、協力させてほしい」

「……今の自分にどこまでできるのか。試したいわ」


 ラエルは言いながら苦笑する。どう反応するべきか分からなかったのだろう。

 ハーミットはその様子を見て何かを諦め、ポーズを崩すと構えをとった。


「そうか、それなら存分にやるといい。今日は魔力補給瓶ポーションも、腕のいい白魔術使いも揃ってるからね。ただし、条件が二つある」

「条件?」

「一つ目。黒魔術を地面に向けて放つのだけは加減してくれ、島が沈むことになる」

「……確かに。それじゃあ、素体を必要とする土魔術も使わないことにするわ。島を削っちゃうものね」

「あぁ、助かるよ――二つ目の条件は時間制限だ。そうだね、日没までに俺に一撃を入れられたら、一本とれたということにしようか」

「一本取れたら何かあるの?」

「機密漏洩による減給の件、再度検討すると約束する」

「…………」


 ハーミットの言葉にラエルは視線を遠くに投げ、それから半笑いになった。


 収入は大事だ。この条件だとラエルは死に物狂いで頑張らなくてはならない。追い詰められた状況を再現するとなれば、ある意味実力を測るには最適なのかもしれないが……。


「心配せずとも俺は魔術では死なない。それは、あの天幕テントで実証済みだろう?」


 鼠顔があっけらかんと言うので、気を遣ってくれたのだろうと少女は予測する。


 ラエルがこの手合わせで彼に魔術を向け、例え傷を与えようと、そう焚きつけたのが自分だと言えば丸く収まると――そんな風に考えているのだろうと。


「お気遣いありがとう。それじゃあ、いくわよ」

「あぁ、おいで」


 ……そしてハーミットは、ラエルから一撃も貰うつもりがないのだろうと。


「『霹靂フルミネート』」

「ちょっとぉ!?」


 容赦のない詠唱と共に、雷撃が迷いなくハーミットを襲う。少年はすんでの所で身を翻したが、僅かに弾けた雷の穂先が背針に激突し吹き飛ばされた。


(っ、く、まじか、命中率六割だったっけ!?)


 踏ん張り損ねた足が地面を離れるが、浮いた身体を無理やり前傾させて着地する。目の前の赤手袋に早速土がついた。


 ラエルは気が晴れたような顔をしながら軽い火傷を負った手をパタパタと冷まし。反対側の・・・・手で・・握って・・・いた武具・・・・を持ち直した。


 半身になったラエルの右手には一本のナイフが握られていて――剣身の中心が仄かに青く、光っている。


 塚頭から伸びる魔力糸が、左手指の一本に巻き付いた。


 紫目が、僅かに歪む。


「――よし、まずは一撃入れさせてもらったわ。減給の件は後で話し合うとして、これで気負いなく日没まで遊べるわね」

「初撃で雷は初見殺しじゃないのか!?」

「手加減したら意味がないじゃないの、つべこべ言わず実験台になりなさい!!」

「それが本音かぁぁぁああ!!」


 紫目の少女は笑顔で頷き突貫する。


 今更も今更。

 ラエル・イゥルポテーは黒魔術士である。




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