286枚目 「逃避の終わり」


 ハーミットたちがトカを連れて戻って来たのは、日が落ちる少し前のことだ。

 一仕事終えたノワールが報酬の果物を頬張る。アプルの実には可愛らしい歯型がついた。


 連れて戻ってきたと言っても、ラエルはまだトカと顔を合わせていなかった。ハーミットは彼を賊にも合わせることなくレーテと共に小屋へと押し入れてしまったのだ。


 曰く、少し時間が必要だとのことだった。何か用意するものでもあるのだろうか。


「というわけでラエル、このあとは煮るなり焼くなりやっちゃっていいからさ」

「そ、そこまではしないわよ。私をなんだと思ってるの?」

「人売りとか賊相手に容赦なく『霹靂フルミネート』を落とす黒魔術使い……」

「あれはその場で反省して謝ったじゃない!?」

「ははは。たかだが数か月前が時効になってたまるか」


 からりと笑って、少年は針頭をもさもさとする。


 どうやらここに来てからずっと張りつめていた緊張の類が幾分か緩和されたようで、言葉にはしないが安堵しているようですらあった。


(本当に、帰ってくる道中で三つ首鷹スリーヘッドホークの大群に追い立てられていたとはとても思えない顔をしているわ……)


 聞けば、トカは運よく鳥たちに見つからない洞窟に逃げ込んだだけで他の穴にはがっつり巣があったのだとか。故に帰り道は散々だったらしく、止むを得ず命をとった数羽を抱え、彼らは帰還したのだった。


 しめられた鳥たちはファレとクリザンテイムとグリッタが捌きに行ったので、今夜のメニューは決まったようなものだ。かの鳥は食べていいものか悩む食性をしているが、内臓と血を抜いて適切な処理をすれば問題ないのだと……これは現在涼しい顔をしているハーミットの言である。


 掃除屋とも称される鳥の肉――味の想像をしようとして、ラエルは首を振った。夕食の心配より、大事おおごとになってしまった自分の問題を解決する方が先だろう、と。


「……すっかり元の調子ね。私があれこれ悩む間に元気になれたのなら何よりよ」

「まあね。君ばかりに重荷を背負わせてちゃあ、四天王の名が廃ると思ったんだけど、肩代わりには向いていなかったらしい。やっぱり、俺は俺にできることをするだけだね」

「そう? 貴方が誰かの為に身を粉にするのは『そうしたいから』だと思っていたのだけど」

「思っても、行動できない時だってあるさ」

「今回は?」

「彼は君を泣かせたからね。追うしかないだろ」

「……」

「なぜ笑う……?」

「さあ? よく分からないけれど、なんだか『すっ』としたからかも」


 ラエルは言いながら、手袋を嵌めた指を背後で組む。「ぎゅ」と。

 ハーミットは鼠顔を傾げると、優し気な声音に切り替えた。


「俺がいない間に、俺に怒られるようなことでもしたのか?」

「いいえ?」

「……分かった、君の誠意を信じよう」

「ええ」


 ラエルは動揺を悟られないように、にこりとした。


 嘘の吐き方は目の前の針鼠が教えてくれたようなものなので「隠し事の有無」は、ばれただろう。しかし黒髪の少女からすれば、追及を逃れただけで十分な快挙である。


 ハーミットは報酬で腹が満たされてうつらうつらとし始めたノワールの毛並みを数度撫でて、諦めと信頼の意味でため息を吐いた。

 誤解されないように「仕方がないなぁ」と口にも出したのは、彼なりの気遣いだろうか。


「さっきの今で水入らずっていうのは難しいだろうから、レーテさんに同席してもらうといいよ。それでも心配ならツァツリーさんにも頼めば万全だと思う」

「貴方は?」

「俺は事情を聞いても態度を変えられそうになかったからね。喧嘩になると話が進まないからって、レーテさんに退出を願われてしまったよ」

「そうだったの」

「うん。俺は外で待ってるから、終わったら出てくるといい。君も、無理はしないように。思ったこと、感じたこと、言いたいこと。心配せずトカさんにぶつけてくるといい」

「……できる限りそうするわ。ありがとうハーミット。行ってくる」

「ああ。行ってらっしゃい」


 黒髪の少女は風に舞おうとする髪を抑え、半壊した黒板の小屋へと歩いていく。破壊されたのはラエルが使っていた部屋が一つだけで、他の部屋は無事だ。魔法具を使えばそれなりの防音は成せるだろう。


 魔法具は先ほど小屋に入ったツァツリーに、ハーミットの手で渡したばかりだった。彼女ならラエルの機敏にも気が配れるだろうし、トカに感情移入しすぎることもない。


 手を振った針鼠の隣、閉じた扉の向こうを見やった白髪の青年は複雑そうな顔をしていた。


 血肉を見られないジェムシは鳥の解体に立ち会わない代わりに大鍋を用意している。その仕草は、戻ってきたハーミットの目を気にしているようにも見えた。


 ラエルはやんわりと否定したが、目を離している隙に何かをしていたのだろう。


 理由と経緯をあとで本人の口から説明してもらうと決めて、ハーミットは余裕が出てきた思考回路を今後の布石について裂いていく。


 ラエルの回答を待つこと。

 キーナたちの安全を確保すること。

 村から無事に脱出すること。


 残る大きな課題はこの三つだ。

 ……先ほど相談された事柄に関しても、良案があればいいのだが。


 鍋に水を汲み入れたジェムシがハーミットの後方で頭を掻く。言葉をかけるタイミングを見計らっていたのか二度ほど躊躇った後に、口を開いた。


「……トカさんは。あんた等が来るまで、ずっと砂漠の話をしていたぞ」

「そうなのか。まあ、そうだろうなとは思ってたよ」


 ハーミットは相槌をして、水筒の中身を喉に流し込む。

 知った所で、弁明にもならない話だ。


「ノワール」

『です』

「追加の仕事を頼みたいんだけど、第二大陸産の果実詰め合わせでどうかな」

『手をうつです』

「よし。後は……ジェムシさん」

「あん?」

「その武具と貴方の立ち場について、確認しておきたいことがあります」


 ハーミットが目をかけたのは、真鍮にも思える光沢を放つ彼の得物であった。

 ジェムシは思案して、それから鼠顔の下の口元を見る。


 襟の内には、朱色の緩い弧が引かれていた。







 カラコロ。

 扉に着けられた炭樹トレントの風鈴が揺れる。


 黒髪の少女は小屋の中に足を踏み入れて、高く束ねていた髪を解いた。二日前に千切れたリリアンの代わりをしていたのは、つい先日ベリシードに修理を依頼した水色のブーツの靴ひもである。


 波打つ黒髪に指櫛を通し、久々にお団子を作った。擦れた革の匂いが指に残る。改めて顔を上げれば、部屋の壁が黒い以外の情報を再認識することができた。


 現在部屋に居るのは四名、ラエルとトカ、レーテとツァツリーである。朝食で囲んだ机の上には、起動済みの防音魔法具が設置されている。


 ラエルの真正面、トカの隣に立つレーテは笑っても怒ってもいない。ひとり丸太に腰かけるツァツリーも無表情で、黙々と黄銅色の光沢をまとった斧棍を布で磨いていた。


 その中で待ちわびた育ての親はどうかと言えば、何故か膝を畳んで床に座り背中を丸めて地面に顔を着けようとしていた。床が舐めたいのかと思えばそうでもないようだが、見ていて気持ちがいい座り方ではない。


 ラエルは暫し黙して、無言のまま丸太の椅子を用意する。

 少女が腰かけて尚、彼は顔を上げようとはしなかった。


 ラエルは深呼吸して足を組み、頬杖をついた。


 行儀の悪さも性格の悪さも今に始まったことではない。取り繕うことを辞めた彼女に、床に手をついたままの男は、やはり何も言わなかった。


「おかえりなさい。逃避行は楽しかった?」

「……」

「その恰好、誰に教わったの? 何かの儀式?」

「……レーテさん曰く、これは最上級の謝罪を示す格好らしい。特に、謝っても謝り切れない時に相手にうなじと背中を見せることで命を差し出す意味があるのだと……」

「貴方の命に興味なんかないわよ。それよりも話をしましょう、時間がもったいない。レーテさんも貴方も、椅子に座ってくれるとありがたいわ」


 ラエルは声が震えないように、丁寧に言葉を並べる。


 早口に言って立ち上がる。こうして少し会話をしただけで喉が渇いてしまった。

 器に水を汲んで戻ったラエルが元の姿勢で座り直す。水を飲み込む以外は、ひたすらに静寂だった。


(皆は、何だか沢山怒ってくれていたわね)


 他者の為にああまで言えるものなのだろうか。所詮は自分事ではないから、殴ってやれだとか煮て焼いてしまえとか言えるのかもしれない。


 イシクブールの教会で、悩むキーナにラエルが言ったのと同じように。


(確かにそれで終わるなら簡単よね。でも、そんな結果じゃあ、私は満足できない)


 学んだ黒魔術を自分自身のためだけに使えという母親の教えをなぞるならば、清算は一瞬で終わってはいけないものだと、ラエルは考えている。

 一方で黒魔術の呪いカースには禁術であったり人への付与が禁じられているものが数多くあって、その多くが命にかかわるものだ。ラエルには彼らを傷つける意図がないので、これらを使う理由はない。


(彼が私に魔術を向けた時、私は反撃しないように必死になった。攻撃されて当然のことを意図的に口にしたのだから。あの反撃は、甘んじて受けるべきだと思って……)


 しかしそれが結果的に今の状況を生み出している。


 ラエルはショックを受けた程度なのに、これをきっかけに周囲に多大なる迷惑と心配をかけてしまっている。と、黒髪の少女はどうやらそういう認識でいるらしい。


 ラエル自身はそのことを感情欠損ハートロスのせいにはしていないのだが――それは傍から見れば明らかに、恐怖が欠落しているが故の思考回路だった――或いは、ラエルが自分自身の感情を受け止め切れていないことの証左だった。


 黒髪の少女は育ての親を前に考える。

 何が丁度いい落としどころになるかを考える。


 ……何が、お互いの呪い・・・・・・になるだろうか、と。


「話をして欲しいわ。トカ・イゥルポテー」


 言って、組んでいた足を解く。

 ラエルは床に降りて、トカと同じ床に座った。


「貴方が何を思ってここに居るのか、白砂漠で何を思っていたのか。できるだけ全部、教えて頂戴」

「……」

「勿論、その体制で話されると困るわ。声が聞き取りづらいと内容が良く分からなかったりするでしょう?」

「……ラエル、私は」

「ああ、言い忘れていたけれど。まだ謝らないでね、トカさん・・・・


 ラエルは再び立ち上がる。トカに着席を促す。


「私は貴方が思う以上に私自身を信用していないの。だから、私に原因がある可能性だって考えてる。だから貴方の話を聞いた後に、私がどうするか……貴方にどうして欲しいかを決めることにするわ」


 ……簡単に謝らせはしない。

 他者に外道と呼ばれようと、非道だと、嫌いだと言われていようと。


 それは印象であって真実とは違うのだろう。

 ラエルは、本当のことが知りたい。


「私は。貴方たちを知ることが正しい選択だと思っているの」


 ラエルには、この言葉が間違っているとは思えなかった。


 紫目の娘は言葉を待つ。

 糸術使いは徐に顔を上げ、茶色の双眸で相対した。


 そこに陰気の影は跡形もない。

 いつの間にか、よく知る父親の目をしていた。




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