180枚目 「草山丹花は硬貨を歪めて」


「……握手?」


 復唱するしかできないキーナは、ゆるりと両手の指を組んだ。

 ラエルと握手を交わした際の現象がまた起こらないとも限らないのだ。


(いくら何でも、自分の本心モノローグを読み取られるのは嫌だし)


 逡巡する灰髪の少年をみて、ハーミットは残念そうに手を引く――もちもちと白パンのように柔らかそうな薄紅の頬に猛禽の足が食い込むのに時間はかからなかった。


「いっだぁぁぁあ!? 何するんだノワール!?」

『非常事態にも関わらず言葉が足りないやつが悪いです!!』


 キャットファイトならぬバットファイトを始めた二人に呆れを込めた視線を送り、ラエルはキーナの方を向く。


「ポフで話したベリシードさんはね、ハーミットに頼みごとをするような人じゃないの。あの性格だし、ハーミットが機材を乱用するらしいから寧ろ煙たがってるというか」


 ――その魔法具技師が、香辛料の雨が降る直前にキーナを指差した。ハーミットと合流するまでは彼にゴーグルーをかけさせるな。その方が身の為だろう――と。


 町長宅から出て、西地区を走り、教会へ辿り着き、地下を巡って来た。

 その間、キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは指摘を守り、右腕にゴーグルーを巻き付けたままで一度も目にかけていない。


「どうしてベリシードさんがあの場で明言しなかったのかまでは分からないけれど。だからこそ、ハーミットの無魔法が必要だってことなんだと思うの」

「……無魔法? 存在が疑われてる魔法系統じゃないのそれ?」

「それが残念ながら目の前に居るのよねぇ。ハーミットは、触るだけで解術が可能なの」

「は?」

「私も仕組みは知らないわ。ただでさえ変なところがあるのに、ここまでだと理解不能よね」

『です』

「会話から弾き出された挙句、流れ弾が飛んできた気がするんだけど!?」


 金髪少年は蝙蝠を引き剥がし、赤手袋で対抗しながら咳払いをした。


「俺の無魔法は『魔法の無効化マジックキャンセル』。どんなに強い呪いだろうが祝福だろうが、本人に源泉がない限り――本人が術者でないかぎり、触れた魔法を無効化する」


 解術の対象に、魔術の良し悪しは関係ない。


「キーナ君にかけられた祝福だか呪いだかが君にどんな影響を与えているかは知らない。俺の予想が通りなら相当辛い思いをするだろう。それでも、君が『知りたい』なら協力する。壊れた箱を開けるには、鎚でぶっ壊すのが一番早いからね」

「……」

「三十秒、考える時間をあげるよ。無理強いはしない」

「いや。今すぐやってくれ、四天王」


 灰色の髪を耳にかけ、金髪少年の前に立つ。

 木製の腕輪をかけた右手を差し出す。


「僕が彼なら、こういう状況で僕が迷うことを知ってる。その通りに動くのは癪だ」

「……」

「解術が必要だって言うなら、応じるよ。僕は躊躇わない」


 仲間外れにされた気分だ。そう言って顔を引き攣らせ、キーナは虚勢を張る。


 ハーミットはアステルとパルモの方を一瞥する。壁にもたれたまま欠伸をするサンゲイザー然り、二人にもこちらを止める意思はないということは明確だった。


 金髪少年は深呼吸して、琥珀の瞳を濁らせる。


「恨むなら、俺にしてくれよ」

「?」


 ハーミットの本意が読めないまま、キーナが聞き返す前に手は握られた。







 東地区、聖樹信仰教会。


 雷の雨に怯える住人たちをなだめながら、バンダナを額に撒いた商人は汗を拭う。

 教会に一際大きな落雷があった後から、住民たちは身を寄せ合っていた。


(戦争を生き延びた奴らが殆どとはいえ、あれがトラウマになってない方がおかしいっていうもんだ。比較対象が目と鼻の先に合ったシンビオージの末路なら無理もない)


 泣き喚く赤ん坊をどうにかあやそうと必死な女性が、目を虚ろにしている。親と離れたらしい子どもたちが机の下に潜り込んで震えている。酒を飲んでいたおっさんがそれを真似して椅子に引っかかり背中を痛めていた。


 教会に居るべき人間は血相を変えたスカルペッロ家の跡継ぎ候補と駆けて行ってしまったし、この場に残った戦闘要員はカフス売りの商人グリッタと、教会に避難していた数名の衛兵や商人だけである。


 グリッタは、落ちて来る雷がどの勢力由来のものなのか判断しかねていた。


 少年少女が自分の頭上で交わした情報交換の内容を丸のみするには生きた年数が邪魔をする。「敵の敵は敵」の可能性だってあるのだから。


 また一つ、外では目を焼くような閃光と共に雷撃が落ちる。子どもが悲鳴を上げた。


 罅が入ったステンドグラス周辺からは住民をどかしているので、もし何かあっても怪我人は最小限に抑えられるだろうが――この調子が続けば、パニックになるのも時間の問題だった。


 しかしこうなると壁際の七脚の椅子が邪魔である。信仰の対象を邪魔物扱いするとパルモに叱られそうだが、このような非常事態において座れない椅子は只の置物だ。


(ドレッドの娘は……飛び出て行かない理性があるだけ大したもんだ。しかし兄貴の方はこの轟音の中でも目覚める気配がないとは)


 商人仲間の中に一度寝たらテコで転がそうが黒魔術を食らおうが絶対に起きない獣人のことを思い出す。賊の攻撃を受けての昏睡だと聞いているのでその線は薄いのだろうが。


(最後に見かけた時は、そんな図太い神経をしてるようには見えなかったんだがな)


 仮にも彼女・・の子どもたちだというのだから、当然といえば当然なのかもしれない。近づこうとすると妹の方に威嚇されるので容体を確認することもできないが。


(元白魔導士のパルモはキー坊を追いかけて行っちまったし、残った俺は腕っぷしに自信があるわけでもない只の商人だ。泣いてる子どものあやし方も、怪我の処置方法も分かりやしない)


 賊が攻めて来るなら対処のしようもあったが、長年第二大陸で過ごして来た彼の勘が「それはない」と告げていた。とすれば、この雷は一体誰のものなのだろう。


(魔術は、術者の意図に寄って凶悪にもなるんだったよな……しかしそれにしては、激しさが足りない気が――)


 グリッタは顔を上げる。正面の扉の下に、教会の外から影が落ちたのだ。


 訪れた人を把握できるように、聖樹教会の扉は床との間に隙間が作られている。

 そこに、古びてボロボロになった、つぎはぎの靴が四足。


 二足はしっかりと立っているが、もう二足はつま先しか見えない。恐らくは意識がない人間のものだが、問題はその人間たちが「賊」だろうということだった。


 グリッタは無言で長剣を抜く。


 教会の前まで来て扉を叩いてこないのは、その余裕がないということだろう。躊躇いか諦めからか――しかし、例え両手が塞がっていたとしても、切羽詰まった人間は何をやらかしたものか分かったものではない。


 そうあれと育てられたか、そうなりたいと生き方を決めたか、そうあらなければ生き延びられなかったか。


 悪人は、誰にでもなれるものなのだと。グリッタは知っている。


「……」


 そうして歯噛みするカフス売りの姿を、栗髪の女の子が見ていた。

 海のような青い瞳は、苦悩する大人の姿をじっと見ていた。


 握り続けていた兄の手を離れ。立ち止まった大人の隣をすり抜けて、扉の前に立つ。


 止めようとしたグリッタを制して、女の子は教会の扉を叩いた。

 向こう側から、足を使ったノックが一つ。


「――聖樹は、弱者を拒まない。強者を拒まない。あらゆることは些事とされ、この場において争いはなく、この場において区別はなく、癒しが必要とされなくなるその時まで、人々の存在を許容します」


 栗髪の少女は、閂に手をかけることなく淡々と言葉を紡ぐ。それは、聖樹教会の人間がよく口ずさんでいる言葉である。耳にたこができる程聞かされた聖句だった。


「ここに傷つける者はいません。ここに侵す者はいません。ですが。貴方が暴力を奮えば聖樹の許容の枠を外れます。……守れますか。貴方たちはこの教会に居る誰をも傷つけないと。誓えますか。誓えないのなら、立ち去って」


 声がしっかりと届いたのだろう。革靴の先は「じり」と音を立てて後退の意思を示した。

 栗髪の女の子はその様子をじっと見つめる。扉の前、散々迷ったのだろう。掠れた男の声が帰って来た。


 こいつだけでいい、隅の方で寝かせてやってくれないか――と。


 グリッタはその言葉に頭を抱えた。ガシガシと黒髪を搔き乱し、栗髪ドレッドをぐいと後ろに追いやり、閂を上げる。こればかりは大人の仕事なのだと、剣を持ったまま扉を開けた。


 扉の向こうにいた賊は、一人の人間に肩を貸していた。

 意識がない方は雷に撃たれたのか左半身に大きな火傷を負っている。瀕死の重傷だった。


「所持品はすべて回収させて貰う。それが条件だ、良いな」

「……ああ」


 苦渋と辛酸をなめたような、けれど安堵が入り混じったその声音を聞いて。商人は後方に指示を出す。どう捻くれたとしても、どう割り切りをつけてもお互い人間なのだと思い知らされる。


 大やけどの対応法など知りはしないが、これだけ住民がいれば一人二人は知識を持っているだろうと希望をもって声をかける。混乱が収まることを祈って。できる限りの全霊を尽くすと誓って。


 曇天の影が落ちる。

 教会の扉は再び、閉じられる。







 ――迎えに行く、と。


 そんな言葉が己の口をついた瞬間、どうしようもなく嫌な予感がした。

 きっかけなんてそんなものだ。自分はきっと、嚆矢こうしを見逃したと、自覚する。


「……っ!!」


 この身体は他の種族のように多くの汗をかかない。白い町の反射熱を丸ごと毛皮に吸収する。

 熱にうかされた頭が痛む。影を選んで走る高い背は次第に速度を緩め、壁に手をついた。


(あれだけ沢山いた筈の賊がもう居ない……ハーミットさんの匂いはあるけど、曖昧だ。もしかして意図的に匂いを薄めてたりする? あと絶対怪我してる……!!)


 彼が「勇者」であり、世間にそれを知られてはいけない立場なのであれば認識阻害の香水を使わない理由はないだろう。それでも獣の鼻は優秀なもので、僅かな彼の痕跡を追うのに困ることはなかった。


 砕けた石畳を器用に避けて、蹄の足で駆けていく。

 普段は靴の下に隠したそれを露わにするほどには焦っていたし、彼自身その自覚があった。


(ラエルさんも心配だけど、さっき関所の方に居たからきっと、大丈夫)


 なら、自分は当初の目的を果たそう。

 キーナとハーミットを引き合わせるという目的を。


 賊に見つかったらどうするんだ。魔術が飛んで来たらどうするんだ。

 冷静な自分が耳元で囁く。本能が警鐘を鳴らす。逃げろ。ここにいちゃあ不味い。


(怖い……怖いけど。早く、早く見つけなきゃ……)


 震える足に鞭打って、青年は身を起こす。

 できるだけ早く走るのだ。できるだけ素早く、最短を。


 目的の為に。目的の為に。目的の為――


 がしゃあん!!


「!!」


 鼓膜を震わせた音に足が止まる。


 硝子が割れた音? 物が壊れた音? 殴り合い?

 何処だ。これは四天王の匂いがする方向とは違う。


「め、ぇ」


 父親の、匂いがした。そして、見知った遊撃衛兵の匂い。


(それなら……あのヒトは強い。賊が相手だろうと容赦なく生き残れるだろうし)


 ペンタスの足はしかし、止まったままだった。嫌な予感がしたのだ。

 暫く立ち尽くすと、暴力の音が止んだ。


 音がした方角は、芋揚げが美味しいあのお店の周辺である。針鼠の痕跡は町長宅の方に向かっているが、距離からしてそう変わらないだろう。


(だ……大丈夫、そう)


 めぇ、と呟きかけて。続いて耳をつんざくような雷の音がして。

 一人分の音が、聞こえなくなって。


 ざわざわと、人が慌てる声がする。案じる声と怒号が入り混じる。


(何か、あった)


 青年はつま先の方向を切り替える。とっさの判断で、本能に反した行動だった。

 針鼠の匂いから遠ざかる。全力疾走で音が消えた場所に駆けこむ。


(ああ、最悪だ。最悪だ。最悪だ。任せてくれと自分で言っておきながらこうして、ボクは約束の一つすら守れない――!!)


 無残な破片になって転がった扉を蹴り飛ばし、店内に駆けこむ。

 黒毛の獣人と見知らぬ小人が必死になって、倒れた遊撃衛兵に声をかけていた。


「……!!」


 ペンタスは店内を見回す。奥にいた住民が自分のことに気が付き、首を振る。左方、床に縛り上げられたまま転がされた賊たちは顔面すらボコボコで気を失っている。


 床に寝かされたスカルペッロ三女――シグニシア・スカルペッロは虚ろな目を閉じることなく。その心臓から音はしない。呼吸音無し、血流の音も弱い。


 けれど、全力で走って来たかいあって、どうやらまだ。手遅れではなかった。


 住民たちと一拍遅れて、女性に声をかけていた二人がこちらを見た。

 硬貨を潰した瞳同士がかち合う。


 父親の揺れた瞳に、青年の中でぷちりと何かが切れる音がした。

 母親が事故に巻き込まれて死んだ時と、全く同じ顔を。


 二度と見たくないと思っていた表情を目にして、ツノつきの青年は。


「……回復体位じゃなくて仰向けにして。頭は後ろに。心臓動かすよ――諦めるな!!」


 ペンタス・マーコールは声を張る。

 彼がこの後、本戦線に復帰することは、ない。




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