179枚目 「潰れた鍵穴」


 だから蝙蝠使いが荒いんじゃボケェェェェェエ!! と、頭上から飛びかかった蝙蝠の蹴りをすんでのところで回避したハーミット・ヘッジホッグは、改めて向き直る。


 濡羽の髪を振り乱し駆け寄ったラエル・イゥルポテーも、その顔に安堵を浮かべるが――口を吐いて出たのは無事を喜ぶ言葉ではなかった。


「薬の件、どうして教えてくれなかったのよ」

「……時間制限があると焦るだろう?」

「そうなる可能性を否定はしないけれど、せめて私には教えててくれてもよかったんじゃない?」


 ぺちん、叩かれた黒い袖から軽い音がなる。

 痛みに顔をしかめた金髪少年は気まずそうにタートルネックの襟に指を通した。


 ラエルは苦笑しながら腕にのせた蝙蝠をもふもふとする。かじられた。


「ラエルたちは、どうやってここに?」

「教会には、避難路が用意されているものです。」マンティラで頭を覆った女性、パルモが一歩前に出る。「雷が落ちて後、キーナさまがどうしてもと駄々をこねて走り出してしまいましたので追うしかなくって……はうぅ」

「貴女は――パルモさん、でいいですか? ラエルから話は聞いていました。はじめまして」

「……ええ。こちらこそはじめまして」


 地下通路の薄暗い中でも、外と変わらず礼をするパルモ。

 ハーミットは会釈を返すとサンゲイザーの方を一瞥した。


 アステルやキーナたちと距離を取った蜥蜴の獣人は、居心地悪そうに舌を鳴らしている。今のところ、誰かに危害を加える意思はないようだった。


「アステルさまも、よくご無事で」

「畏まらなくていいわ、パルモ。キーナもそこに居るのね?」

「……申し訳ありません」

「いいのよ。わたくしの子です、制御が利くような性格はしていないでしょう?」

「制御って。母さまこそ、どうしてここに居るんだよ」

「ふふ。聞きたい? とても楽しい追いかけっこをしてきたのだけど!」

「は? 大の大人がこの状況で遊び呆けてた訳?」


(雷の雨を避けるための全力疾走を「追いかけっこ」呼ばわりとは恐れ入るよ……)


 ハーミットは針並みを撫でようとして腕を上げ、そこでようやく鼠顔がないことを思い出したのか「ぴしり」と顔を歪ませる。実はラエルも同じような顔をしていた。


 金髪少年が顔を隠して行動しているのは魔導王国の人間からすれば周知の事実だが、ここイシクブールでは勝手が違う。

 ラエルは合流すると同時に、さりげなく周囲から向けられる視線を遮りハーミットの顔を隠していた。顔を合わせてすぐに駆け寄って来たのはその為だ。


 アステルがキーナとパルモに状況を説明する間、ラエルは彼らに背を向けてハーミットに顔を近づける。


「別行動している間に何があったのよ。貴方が顔を晒してるなんてよっぽどじゃないの?」

「……外が雷の雨だったからね。アステルさん、魔法耐性低そうだから貸してたんだ」

「地下道に入ってからも? ゴーグルーの障壁もあるのに? 気を抜き過ぎにも程がない?」

「うぐ」


 実は熱中症寸前だったこととか、なんならコートもアステルの手元にあることを含め、しかしこれ以上の正当性を主張すると墓穴を掘る――故にハーミットは何も言い返せず、しくしくと地面の小石を転がし始めた。


 朱色の唇をつんと尖らせ、少年らしくふてくされる。


「ラエルこそ、賊と鉢合わせたりしなかったのか? 呪いのせいで中級以上の魔術は使えなかっただろう」

「ええ、まあ。どうにかね。直前になってフランベル工房からゴーグルーを貸し出すことができたから、比較的楽だったとは思うわ」

「本当に?」

「本当よ?」


 そう言いながら、ラエルも中級魔術を初級魔術の出力で不発させるという荒業を使っているのでどっちもどっちである。似た者同士の二人を常に観察してきたノワールに言わせれば『ノワールを挟んで会話をするんじゃない、です』だった。


 一方、キーナはラエルとハーミットが親し気に会話する様子に違和感を覚えたようで、アステルの話を聞く役をパルモに譲るとこちらへやってきた。

 二人と一匹は思わず身を固くするが、こうなってしまうと頭の天辺からつま先まで隠す余地がない。


 あの夜と同じく、目が「ばちり」と合う。


 ハーミットはやんわり笑うだけに留めると目を逸らし、つまるところ騙す為に使っていた労力を回復にあてることにしたようだ。


 キーナはラエルの不安げな視線の圧に押されたのか、わざとらしく肩を竦める。


「……人族なのに獣人の振りなんかして、何だろうとか疑問には思ってたけどさ。まさか歳に反して若作りなのがそんなにコンプレックスだったんだ?」

「……」

「……」

『……』

「なんだよ二人と一匹して、そんな顔するなって。僕だって色んな人と関わって来たんだ、それぐらい察するさ。あっ、もしかして察しが良すぎて固まっちゃった感じ?」


 僕の観察眼も捨てたもんじゃないなー。と嬉しそうに自賛するキーナ。

 二人と一匹は顔を見合わせると、それぞれの理由から胸を撫で下ろす。


 キーナがハーミットに対して悪意や嫌悪の感情を向ける様子がなく、また目の前の金髪少年も安心したらしいことを悟ったラエルの心中と――「元勇者」という秘密を死守した形になる一人と一匹の心中とでは重みが違うが。傍から見れば似たようなものだった。


 アステルやパルモから刺さる様な視線を投げられている気もするが多分気のせいである。


「それよりもペンタスだよ。ここに居ないってことは、会ってないんだ?」

「え? ああ。来る途中にも見かけなかった。行き違いかな」

「そうか。無事だと良いんだけど」


 青灰の目が僅かに翳る。紫目の少女はそれを見計らって、今までの経緯を金髪少年と共有する。主に、教会に残ったグリッタや子どもたちの様子と、西地区に行ったまま戻って来なかったウィズリィのことだった。


 ハーミットは震えが目立たないよう指を組み直した。

 赤いグローブが音を立てて軋む。


「――はわぁ、暗躍していたのが彼だったとは驚きです。町の遊撃衛兵の纏め役で、かつ頼りがいのある方だとばかり思っていたのですが」


 一通り話を聞いたらしいパルモは、刺繍が施されたベールの裾を握り締める。


「ふむぅ。彼のことですから名前を口にすることも危ういでしょうね。アステルさまやキーナさまならともかく、他の方に魔術的妨害がないとも限りませんし」

「え? 何で僕まで?」

「……後ほどアステルさまからお聞きくださいませ。このパルモが説明することではありませんので。ね? アステルさま」

「キーナがそれを望むならね――それはそうと、これからどうしましょう。ハーミットさま。人手は十分だと思いますが」


 アステルは駆動ごと振り向く。手入れが行き届いたストレートがぱさりと胸に落ちた。

 鼠顔は彼女の頭部にのったままだが、顔が見えるよう押し上げていてヘルメットの役割を果たしていない。針並みは彼女の動きに合わせてわさわさと稼働する。


 金髪少年は少し考えるようにして、立ち上がる。気を抜かずに振る舞えばどうということもないようだ。琥珀を伏せ、次に顔を上げた時には道化の笑みが張り付いていた。


「そうだね、まずは相手の能力と限界がいかほどのものか把握したいかな。彼について、その辺りの事情を知っている人は?」

「……彼の魔力値は、白き者エルフにしては少ない方らしいよ。魔族ぐらいしかないって聞いたことがあるけど、本人からの情報だから信憑性は薄いかも知れないな」


 ハーミットのお仕事モード (有無を言わさぬ笑顔)に引きながら、キーナが呟く。

 どうやらキーナもネオンの魔術指導を受けてきた立場らしい。初等教育を中心に教わっていたラエルとは違い、魔術の使い方なども指導を受けたことがあると言う。


「じゃあ、町を飛び回ってた風魔術に心当たりは?」

「僕はここに来るまで一度も魔力可視を使ってないから断言はできないけど。町を走ってるのは『風読書レッジィ・ウェント』の応用だと思う。よく使ってたしな」

「ラエルも同じ見解?」

「ええ。ポフで見せて貰ったキーナさんの風読書レッジィ・ヴェントに似てはいたけれど。黒魔術じゃなくて生活魔術のたぐいだから詳しいことは分からないわ」


 ラエルは黒魔術特化の黒魔術士なので、勘と経験と読んだ魔術書以上の知識がないのである。そのことを責めることもなく、一人頷いたハーミットは鞄から手帳と鉛筆を引っ張り出す。


 震えを気合で誤魔化し、鉛筆の先が手帳の空白を埋め始めた。


「――よし。それじゃあ、次は君たちの行動経路を教えてくれ。今日の半日で何があったか、何処で何を見たか。さっき聞いたことも含めて些細なことでも構わないから、全部、言って」


 白いページにさらさらと迷いなく描かれたのはイシクブールの全体像だった。震える指を抑えながら、金髪少年は集まった情報をできるだけ簡潔に手書きの地図へ落とし込んでいく。


 町全体の風の流れ。風を形成する魔力塊の大きさと速さ。


 記述したそれにハーミットは爪先ほどの円を書き足す。ラエルが問えば、これは魔術書などに記載されている『風読書レッジィ・ヴェント』の最大効果範囲の目安らしい。鉛筆の先が幾つかの弧を描く。


「小規模な風の流れを町中に配置して、得た情報をリレー方式でやり取りしているんだろう。今回使われたのがこの方法だとしても、イシクブール全体に適応するにはラエルが『霹靂フルミネート』を最大威力で二、三回ぶっ放すぐらいの魔力が必要なんだけどね」


 浮島で目にした黒髪の少女のカルテを思い出しながら呟くハーミット。へぇそうなんだ。と素直に相槌を打つラエルとは違い、蝙蝠が眉間に皺を作った。


 相変わらず、一度見ただけで他人の情報を記憶するというのは末恐ろしい能力である。


「で。これで何が分かるんだよ」

「まだもう二つ……いや、三つかな。町にパルモさんが言ってたようなトラップ系の術式が伏せられているとして。」町全体に囲いを作る赤い指。「俺の耳には届かなかった魔法具の鐘音をかき消す必要があったとして。」教会の方面を丸で囲む。「あとは雷の雨を降らす魔術が発動してるよね」町全体に囲いを作る。


 生活魔術の特徴は幾つか上げられるが、その中の一つに「使用した魔力は幾分か回収可能」というものがある。それを差し引いても町全体へのトラップ付与や魔術の局地解術なんて無茶をした上に極め付けがあの雷撃だ。


 時折外から聞こえる地響きは、まだあの魔術が収まっていないということを示している。

 だが、町から人が居なくなれば『風読書レッジィ・ヴェント』の発現維持は辞めるだろう。魔力を回収して――彼の使用人は、それからどうするつもりだろうか。


「……地下に降りて五分……来るまでに七分、足して十二分か。血中毒の進行と晶化速度は比例するから……俺がここから全力で走っても十分……これ以上は削れないな……」


 思考の途中、琥珀が紫目とかち合う。

 彼女は今まで魔力を温存していたのか、血中毒を起こしたような症状はみられない。


「ラエルはこの地面でも問題なく走れそう?」

「え? ええ。多分」

「魔力は?」

「十分。呪いがなければ『霹靂フルミネート』一発ぐらいは撃てると思うけれど」

「そっか。なら――サンゲイザー、彼女と一緒に行ってくれないか」

「あぁん!?」


 すっかり壁の一部となっていた蜥蜴が、まさかの人選に疑問の声を上げる。も、少年は気にしない。右手のグローブを外してラエルの晒された首元に触れる。


 熱を持ったざらつく指の感触に、ラエルが肩を震わせる。同意も確認も無い解術行動は、ハーミット自身が切羽詰まっている証拠でもあった。


「しゅ、るるるる!! てめぇ忘れたとは言わせねぇぞ、そもオレらの目的が何だったか分かってて言ってんのか脳内お花畑め!!」

「誰が頭に花を咲かせてるって? そんなメルヘンを考えてる余裕はないよ――えっと、パルモさんは地下道の通路は把握してますか。スカルペッロ家本宅の近くまでとか」

「い、いいえ。教会に伝わっているのは町の外へ逃げ伸びる為のものが殆どですから」

「分かりました。地図書いたんですけど、これで分かりそうですか」

「はい? え、ええ。何とか」

「パルモさんは確か簡易の白魔術が使えましたね。念のためアステルさんと相乗りしてください」


 てきぱきと担当を割り振りながらも笑みを絶やさないハーミットに違和感を覚えたのか、ラエルが指を引き離す。呪いはとっくに解けていて、彼女はその意図を汲みそびれた。


 剥がされた後に握り込まれた手のひらに、金髪少年は力なく琥珀を歪める。


「俺は残念ながらここで脱落かな。今は気力を振り絞ってるけど、これ以上は走れないし武器も持てそうにない。着いて行ったら確実に足手まといになる」

「……そう」


 短い返答だったが、何か言いたそうな顔だった。


 ラエルが切羽詰まった現場に居合わせるのはこれが初めてのことではないが――センチュアリッジの時よりも、浮島の時箱クロノス・アーク事件の時よりも、ハーミットの消耗が激しい。なんだかんだで彼の能力に頼ってきたラエルは、このような状況を経験したことがないのだ。


 心配だという感情と、彼がついて来てくれないという不安と、期待される働きに十全に答えられる実力に満たないという現実が重くのしかかる。


 ラエル・イゥルポテーは一秒だけ悩んで、けれど顔を上げた。

 やるべきことは、まだ残っている。


「分かったわ。それなら今、済ませないと」

「?」

「町の様子がおかしいってベリシードさんに相談したのだけど……その時、キーナさんを貴方に引き合わせろって言われたのよ」

「ベリシードさんが、俺を指名したの」

「そうよ。嫌な予感しかしないでしょう?」

「ふむ」


 少年は少女の肩越しに灰髪の少年を覗き見る。


 良く観察してみればキーナは右腕にゴーグルーを巻き付けている。あの状態では受け流す壁パリングは発動できても魔力可視は――と、そこまで思考して。


 思い出したのは、賊から犯行予告が届いた日の会議だった。

 あの場にいた「彼」は、一体何を飾り切っていただろうか?


 アプルの実、ナイフで切り込んだカービング。

 蔦模様と、不自然な真円と、祈りを込めた魔術文字・・・・――。


「キーナくん」


 もしそうだとしたら、彼はずっと。


「なに、急に改まってさ」

「……君に、全てを知る覚悟があるならで構わない」


 彼が、ずっと。


「俺と、もう一度だけ握手してくれないか。今度はお互いに、素手で」


 琥珀は黄金のように、燃えるように橙に色づく。

 青灰の瞳はただ、困惑に見開かれた。




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